学習するということ 2018年7月11日(水)
奈良の大学の講師控室で、フランス語や英語や福祉学の先生と話をする機会が毎週あります。フランス語の先生が、フランス語の学習をしている時、形容詞や副詞などの説明をすると、「形容詞って何」、「副詞って初めて聞くわ」と学生が言うようです。文法用語から教えるのは、フランス語の習得以前の問題だと言っておられました。英語の先生は、「Howって何?」と大学生が聞くので、「もうどこまで戻ればいいの、中学校2年まで戻るの」というような状況だそうです。学習というのは、自分で進めるようにならないと、何も獲得できないということです。
一方、福祉学を教えておられる先生は、60歳を超えてから、保育士の免許、手話の資格など、次々に自分で学び、資格の獲得に挑戦されているようです。保育士の免許を取られるときには、ピアノを4年間ほど習ったということです。
与えられる学習は、いくらしても身に付かないということが分かります。大学生は、今やっている、フランス語や英語も、殆ど身に付かないで無駄な時間を過ごしていることになります。見方を変えると、お金を捨ててくれる学生がいて、退職後の再就職の大学講師がいるという、需要と供給の中で成り立っている状況なのかもしれません。講義をする側は、あまりレベルを上げて、学生に辞められてしまっては困るので、それなりに合わせているということになります。学生はもっと本気で学べばよいのですが、それが出来ないようです。大学という雰囲気を味わっているだけで、学ぼうと思っていない学生も多いのかもしれません。専門学校で技能を身に付けるほうが、今後よっぽど役に立つのですが、大学ではとりあえず知育を進めています。
幼稚園児や小学生の頃は、どの子も全て、懸命に言語や文化の獲得中なので、この時期にいかに良い学び方をするかということが、その後の学習に影響するのではないかと思います。幼稚園や小学校で、子ども自身が自ら新しい学びを獲得していく経験をたくさんすることが、後々の学び方、学ぶ態度を形成するのかもしれません。自分で調べた体験、自分で知識を深めた経験が、高校生、大学生になっても自ら学び続ける学生になるのでしょう。幼稚園から小学校低学年の頃に、物を集めたり、言葉を集めたり、自ら働きかけたり、個性的なことを始めたり、たくさん本を読んだりすることが、とても大切です。その経験が、いつまでも自分から学びに挑戦する気持ちを育てるのかもしれません。幼児教育、小学校低学年教育が重要なのでしょう。園児、小学校低学年の頃、自ら働きかけることがなく与えられてばかりいると、自ら学ばなくてもよいので、新しいことを獲得していく能力は育たないままになってしまいます。いろいろな環境に連れて行って、いろいろ見たり、集めたり、並べたり、調べたり、深めたりする経験が、学びの基礎をつくるのでしょう。
おとなしく静かな子ども、いわれたことをきちんとする子どもに育てるのではなくて、動的な環境の中で、学び続ける子どもを育てていきたいものです。
▼20人以上の高齢者を殺害した可能性のある看護師が逮捕されている。すごい数の大量殺人になる。自分の夜勤の時に亡くなると、家族に対応したり、説明したりするのが嫌だったという理由で、交代の時に薬物の点滴に入れていたようだ。
▼台風8号は、935Hpまで発達し、沖縄、台湾、そして中国へと進んでいる。