晴歩雨読を書くということ 2018年6月10日(日)
「こぎつねさんぽに出かけよう」の写真ブログには、子ども達が持ち込んでくれた生き物や植物の写真と、その時の会話や考えたことや、調べたことを数行書いています。また幼稚園に行かない日は、自分が歩いたフィールドワークで見つけた自然や、町の様子を記録します。写真ブログには、一枚または数枚の写真を掲載し、その写真に関係する情報を調べたり、考えを書いたりしています。また、前に見た情報とのつながりも書きます。多いときは、一日で10個ほど、写真ブログをアップすることもあります。
昨日は、その「こぎつねさんぽに出かけよう」の写真ブログに載せた一連の記録を思い出しながら、晴歩雨読を書いてみました。このようにすると、その日の発見や考えたことを、影像をイメージしながら文章に書き残すことができることが分かりました。資料収集の写真ブログと、それらをつないで文章を書くという関係性が見えてきました。
日頃の書くという活動では、二つの書くことをしてきました。一つは、晴歩雨読という、身の回りのことについて考えたエッセイのような記録と、もう一つは、文章だけを載せているブログ記録です。文章だけを載せている「きつねTのこぎつねだより」のブログは、これまで書いた20年前からの論文や子ども達へのお便りをパソコンから取り出して整理して掲載しているものなので、写真ブログとは関連がありませんでした。また、晴歩雨読も、日々の写真記録とは、関連を持たないテーマの選び方で書き始めていたので、写真ブログとは関係がありませんでした。というよりも、晴歩雨読を書き始めたころは、写真ブログは止まっていた頃でした。今回初めて、写真のブログの記事をまとめて書くと、晴歩雨読になることを実感したということです。気付いてみると当たり前のことですが、いままで関連させて考えてこなかったことが不思議なほどです。
村上春樹さんは、大きな小説の合間に、短編小説を書く時期があるとエッセイに書かれていました。いろいろな実験を、その短編の中でしてみるようです。また、その短編小説は、決めた数を一気にこなしていくように書くらしいのです。また、短編小説以外にも、外国の文学の翻訳もされていて、そこからも表現方法を吸収されています。そして時期がきた時、長編小説を書き始めるということを、読んだことがあります。
村上春樹さんの仕事と自分の文章を一緒に考えるのは、おそれ多いことですが、写真のブログの記述と、晴歩雨読のブログの関連性を、短編の習作と、長編の晴歩雨読だと考えてみることにしました。写真ブログの所で、自分の興味のある内容を数行書き溜めて、そこらのいくつかを使いながら、晴歩雨読という文章を書くという方法です。
これに気付くと、旅行などをしたとき、まず写真ブログに写真を掲載し、それにコメントを少しずつ書いておき、それらをまとめるように文章を書くと、旅行記ができることになります。また、植物観察や博物館見学なども、写真のブログから、晴歩雨読の文章にまとめていくと、内容のある見学記ができます。これまで、街道歩きをまとめた晴歩雨読も数点あるのですが、写真ブログとはあまり関連させないで、ネットから調べたポイント情報を基に、歩いた時のことを思い出して書いていました。何か違うなと思っていたのですが、今日初めて関連性が見えてきて、すっきりしました。それぞれ、まったく違う経緯で始めた書く活動ですが関連性に気づけました。
気づくということは、こういうことだと、嬉しくなりました。