大学生の研究的探究 2018年6月1日(金)
大学生の学習は、研究的に進めるべきだと思うようになりました。大学は、教育機関と言うよりも、研究機関と考え、小中高校のような、教えて覚えていく学習ではなくて、発想、思考力、構成力を競いながら研究的に学ぶ所だということです。教育系の大学では、高校までの知識や経験を生かして、日本の教育のこれからを考える研究所です。新しい最先端の教育を、開発研究できる人を育てる所が大学です。
例えば、教職の現場に入ってしまう前に、学習指導案をどう創っていけばよいのか、レポートはどう書くのがよいのか、子どもが主体的に考える授業はどのように構成するのか、科学的な思考力とは何かなど、仲間と発想を競い合いながら、学び合いながら、新しいものを作り上げることを目指した学習を進めるようにするべきだと考えました。「現場を知らないくせにできるわけがない」と思いがちですが、実はそうではないのです。学生は、それまでその現場で学んできているので、とても現場をよく知っているのです。子どもの気持ち、子どものやる気を育てる教育を考えるには、一番現場に近い所にいた経験を持っているのです。いろいろな先生の授業に出合っていて、そこで子ども(自分達)が育つのは、どのような環境なのかを、振り返り、比較検討し、発展、新規提案をしていくことができるのです。学び合う仲間の数は多いので、それぞれの経験というデータベースから持ち込まれた選りすぐりの活動を、互いに検討すると、これからの学びに何が大切なのか、どのようにすると楽しい学びになるのか、もっとやってみたい学習とはどのようなことか、新しい機器を使ったこれからの教育はどうあるべきかなど、考え合うことができると思います。
生活から学習を創る活動を進めてきた奈良の学習法は、小学校での実践ですが、子どもの生活に深く入り込み、生活を耕し、生活からの子ども達の発信を基に、全ての学習を構築していました。たぶん、大学も一緒です。これまでの教育をふりかえり、よさ、楽しさ、反省、方法、意義など、いろいろな視点で検討しがら、次の教育を創造していくことが大切です。教育は、連続的なもの、文化的なもの、革新的なものです。日本文化の中で先輩の先生方が培ってきた教育を、見直し、改革し、さらに発展していくことが大学生の研究的探究です。
最先端の現場と競い合いながら、取り組みをさせることが、大学の学びの時間です。例えば指導案を書く時も、どのように書けばよいのかという書式を決めないで、試行錯誤をすることが重要です。そうすることで、自分でいろいろ研究しながら、考えながら取り組むことができます。組織に属してしまうと、その書式で書くことが要求されるので、組織に属さない今の間に、自分で多様に研究することが大切です。個人のバックヤードが広く、検索能力の高い人で、考え方を自分で創ろうとする人ほど、いい提案ができます。新しい教育は、そういうところで発信されます。限られた時間の中で、高い成果、個性的な発想を発信できる人が、これから生き抜く力を持っている人です。
競争相手は、友達です。最先端を創る人も、実はすぐ隣の友達です。これまでの経験と、蓄積された文化と、新しい世の中の動きを連動させながら、今、私なら、現場でどうすればよいのかを考えるのが、大学生の学び=研究です。その時、自らの学びを進めて初めて足りないところを自覚し、自分で学び始める事が研究的探究です。ヒントが欲しいときは、先生から本を紹介してもらうことができます。高校生のように静かに学んで、試験の点数をとって、単位をもらって卒業するのではなくて、自分の考え方や行動力を専門の分野に集中しながら、競い合いながら、学びを研究し合うようにしなければいけません。楽しく競い合い、明日の教育を創出するのが大学です。なぜなら、研究者の教授がいるのが大学だからです。
高校生や大学生の中で、学びは講義で教えてもらい、自分から積極的に関わるのは、クラブ活動と、世の中の学習としてのバイトと思っている人が多くいるように思います。本当は、講義の時間が自らの力を伸ばす大学生の時間で、これからの職業に就く前の研究的に探究をする時間が大切なのです。講義中は寝ていて、クラブ活動とバイトだけに生きていくのなら、大学にくる必要のない人です。と言うよりも、寝ていて単位を与えてしまう大学の講義の進め方が問題なのです。もっともっと研究的な学習環境にしていく大学側の努力が必要です。アメリカの大学では80%が討議型の講義だと本で読んだことがあります。大学生を研究者として扱い、自分の論をぶつけ合うのが、学習の時間です。まだまだ、日本の大学は、大学の学びに対しての考え方を変革し、研究のレベルを上げないといけないということです。