昔の資料を捨てながら 2018年3月29日(木)
これまでの資料をすべて捨てることを決心しました。大学の講義の時にも、殆ど使うことがなかったので、もう捨ててしまうことにしました。足元の踏み台を捨てるようで、とても不安です。手書きのものも多いので、これまでかけてきた時間の全てがここにはあるので、本当に捨ててしまってよいか迷います。
まず、A4版のノート80冊。殆ど見ないで捨てているのですが、少し覗いてみると、出張の依頼書と一緒に、研究授業を見た時の記録、そして、その時に話をした項目が整理されていて、懐かしくその時のことを思い出します。また、絵や図をたくさん使っていて、そんなメモの取り方をしていたなあと思い出します。学級の授業計画や実際の授業の出来事も書いていて、ノートにインデックスまでつけている時期もありました。また、表紙にいろんな絵をコラージュのように貼り付けているノートもあります。学級の子ども達の記録を続けて書いているページには、座席表と名表を張り込んで、そこにメモを書きながら記録しています。授業のことや、行事のこと、会議のことなども書いています。名前の一覧には、それに数字やチェックを付けていて、どの子もとりこぼさないように努力していたなあと思い出します。理科用と学級用を分けていた時もあって、理科の方には、出張、授業、ソニー理科など、理科の研究記録が続きます。たくさんの授業、たくさんの研究会、たくさんの講演をしてきたなあと感慨深いです。でも、思い切って捨ててしまいます。自分が見ない、他の人はもっと見ないので、これで終わりにします。
ノートとは別に、B4版のファイルに、教師最初の学級からすべての資料を残してきました。引っ越しを何度もしているのですが、ずっと持ち歩いてきました。これらを持つことで、自分の教育の大地をつくっていたのかもしれません。大きな大地を持ち、その上に次の学級の実践が積み上がっていきました。
最初の頃のお便りは手書きでした。初めて卒業させた6年生のお便り「ろくさん」が手書き最後のお便りだったので、それだけは捨てる書類から救出しました。その後のお便りは、ワープロになり、さらに、コンピュータで書くようになってきました。手書きのお便りは、絵も手描きをしていて、今では絶対できない作品としてのお便りになっています。昔はよかったなと思える物です。文字にも絵にも、心がしっかりこもっているように見えます。ワープロ、コンピュータで書くようになると、文字が主体になり、絵を入れないようになってきて、情報量は増えているのですが、何か、温かさの部分を無くしていったようにも思います。しかし、仕事の方法は、戻ることが出来ません。
指導案、研究報告もたくさんあります。多くの研究をしてきています。学年研究、理科部の研究、研究発表、論文、年度末報告などです。これも、最初の数年は手書きでした。一文字ずつ丁寧に書いています。理科では、実験や観察の図も手書きで入っています。温かい感じが本当にします。しかし、もう紙の色がすっかり変わっていて、古くなっています。附属小学校の資料室に入れてもよいような40年前の研究ですが、これらとも、さよならをしました。
テストも、手書きで丁寧に作っていました。国語の教科書を写して、それに設問を作っていました。算数も図をきれいに書いています。さらに、子どもがそれぞれノートに貼って使う資料、小さなチェックテストプリント類などもたくさん作っていました。丁寧な教育をしていたなと、自分でも感心します。一度してきたことなので、方法論は頭にあります。たぶん、もう一度しても、同じこと、また、それ以上のことはできる自信があるので、捨てることにします。今の方が、進歩はしている筈です。
修学旅行や地域研究などの大きな取り組みは、一冊の資料ファイルにまとめていました。取り組みの計画、しおりの原稿、現地の資料、お礼の手紙、報告書の原稿、子どもの文集など、全てを残しています。本当は、これらの実践は歴史に残るような教育的価値があるような取り組みです。本にまとめるべきものですが、それももうしません。教育で有名になることは、子どもにとってはよくないことです。その実践をしている子どもに全てをかけて、学年が終わると、次の目の前の子どもとの新しい取り組みに、全力を傾ける事が大切です。有名になっている暇があれば、次の子どもによい教育をしてあげることです。
奈良の学校に来てからは、コンピュータを使うようになったので、ファイルに綴じていくようなプリントが殆どなくなりました。すべて、コンピュータで仕事をするので、コンピュータのファイルとして保存しました。最初はマックを使っていて、途中からウインドウズに変えたのでマックの頃のデータはすっかりありません。また、フロッピー時代も長かったので、フロッピーは保存しているのですが、今は開くことができません。でも、ちょうどよいのかもしれません。昔の資料を何度も使ってできる教育現場ではありません。世の中の動きが激しく、教育も日々新しいことに挑戦しているというのが、今の状況です。ネット状況が整備されて、情報量も手書きの頃よりも膨大になり、印刷して紙で保存していると、膨大な量になります。書く文字量も、取り扱う写真も、考えられないような量になっています。時代は、インターネットの時代へと変化しています。
ノートと、ファイルに綴じていた資料で、110㎏分をごみとして捨てます。自分の中の中心の部分がなくなるような気がしないでもないのですが、殆ど見てこなかったので、もういいかなと思っています。さらに、あと1年で大学の教育現場からも離れる決心をつけたので、「すっかりいらない」と考えるようにしました。新しい、「ねっと教育」、「ねっと発信の場」を創ったので、新たな方法で、つながりのある幼稚園の保護者に、もう少しだけ発信をしていこうと考えます。園児から低学年を、教育を考える対象にして、しばらく発信します。
まだまだ、捨てるものがあります。研究冊子、地学の資料もあります。次はそれらを整理して、捨てていきます。身軽にして、これからの新しい生活を始めます。昔のノートをめくって、それらをまとめ直したり、思い出にふけったりしている時間はありません。これからしたい事に、時間と空間を作るようにしないと、これからの生活を楽しむことができません。それほど多くの時間は残っていません。
資料整理をしながらメモについて考えました。昔のノートの書き方は、自分のメモの取り方の原点かもしれません。前に、歩いている人が、記録を時系列にとっている本を読んだことがあります。時刻を書いて、何をしたか、何を見たか、その記録を書く時間が休憩の時間としておられました。克明に時刻を書くことで、時刻に付随する出来事、見たことを書いていました。書きながら歩くことはできませんし、また、あまりに克明に書いていると先へ進むことができません。さんぽのメモは、ノート記録と同じように、大事ですが、まだ、どう書くべきか決めかねています。まず、歩くとき、リュックだけでなく、サイドかばんを持つことが便利です。そこにメモ帳を入れてみたのですが、それでも書き始められていません。次は、歩く前に、白い紙に簡単な地図を書いて、そこに書き込むというメモの書き方を考えました。かつて、地図を駅前でコピーして持つようにしたときもありました。その地図のコピーと、事前に白い紙に書いた簡単な地図を準備しておくと、そこにメモを書き込むことができるかもしれません。A3用紙一枚を、持つことにしてみましょう。しばらく続けて、修正していき、良い方法にしていきます。白い紙と地図のコピーを持つことにします。物忘れが増えてきているので、メモを書く方法を開発したいです。