博物館めぐりで考えたこと 2018年3月20日(火)
これまで仕事が忙しく、行くことが出来ていなかった近くの博物館へ、ついに行くことが出来ました。きしわだ自然資料館、貝塚市立自然遊学館、善兵衛ランドです。存在はずっと前から知っていたのですが、出かける時間をとることが出来ていませんでした。また、みはら歴史博物館は、北野田から松原へと、中高野街道を探しながら歩いている時、偶然見つけた博物館です。これは歩いている途中なので、その時は立ち寄らず、後日行くことにしました。幼稚園も終えて、大学の講義が始まるのにも少し時間がある今、「こぎつねさんぽ」のブログに博物館を紹介することで、子ども達の教育に少しでも役立ててもらえるのではないかと考えました。
みはら歴史博物館は、家から車で30分もかからない堺市立の博物館です。小さな博物館ですが、とてもすっきりと展示されています。まず、こんな近くで、たたら製鉄がされていたことが分かり、自分にとって大きな驚きでした。お寺の鐘や、仏像作りは、鉱石を溶かして作らないとできません。ここで、そのお寺の鐘や仏像が、たたらの製法で作られていたということです。歴史の古い地域なので、古代のお寺も多くあり、この地にたたら製鉄がなされていたということです。しかしこれまで、「たたら」と言えば、なぜか「出雲」と思い込んでいました。思い込みというのは、とても恥ずかしいものです。たたらの博物館が出雲地方に数か所あるので、砂鉄とたたらと出雲とがつながっていて、「たたら」とは、出雲地方の独特な技術、遺跡だと思い込んでいました。
みはら歴史博物館は、長尾街道、竹ノ内街道などの奈良への道と、中高野街道とが交差するところにあるので、昔の要所でした。そこで、このようなたたらの遺跡が残っていたのでしょう。しかし、周囲に、鉱石、砂鉄(銅)、燃焼につかう木などがあるような場所でもありません。おそらく、鐘が必要だったお寺が近くにあり、その近くで、たたら製法で鐘が作られ、その遺構が残った場所なのでしょう。奈良にも、このようなたたら製鋼をした場所があるのかもしれません。街道の場所を詳しく知りたくて出かけたのですが、街道についての展示はありませんでした。古墳が近くにあり、その古墳は、堺と古市の古墳とはまた違った位置づけの古墳だと説明されていました。古墳の構造も詳しい展示があり、造られた当時、石で覆われていたこと、古墳の頂部や周りに大きな筒状の埴輪が並べられていたことも、模型で示されていました。古墳の勉強をするときは、これを見ればよいことが分かります。
きしわだ自然資料館は、町中にある博物館でした。1階には、いくつかの水槽と売店があり、2階が展示室で、3階には剥製がたくさんありました。2階の展示室は、ナウマンゾウやモササウルスの骨格も置かれていて、丘陵地、山地、平地、溜池の自然などの展示もあり、長居の自然史博物館のミニチュアのようなコンパクトで質の高い博物館です。「ちりめんモンスターを探せ」の取り組みで、一躍有名になったきしわだ自然資料館ですが、その展示もありました。岩石、鉱物もおいてあり、岩石マニアには、嬉しい博物館です。3階に上がると、寄贈された剥製がとてもたくさん並んでいます。ちょっと、東京の国立科学博物館を思わせるような、立派なものです。個人が集めたとは思えないような数に圧倒されます。理科学習として、動物研究のテーマをもって、詳しく体の部分を見るには、とてもいいところだと思いました。動物の研究は、理科の教科書では、取り上げられていません。動物園学習と合わせて、生活科の学習や6年生の環境とのかかわりの中で取り組むカリキュラムを作るようにしたらいいなあと思いました。
展示の記録を書きながら思ったことは、しっかり見ていない、メモが書けていないということです。文章に書くことで、見方の浅さが分かってきました。写真を撮るだけでは見たことになりません。写真は、写っていない部分も多く、細かい所が殆ど分かりません。「何を見たい」のか、表現できません。そこで、今、少し気に入っている「さんぽの記録」の地図のように、「自分が見たもの」についての手書きの配置図をその場で書き、見たものの名前を、手書きで文字に表すことが大切です。さんぽの記録では、道のつながり、見つけたもの、駅の名前、地名などを、帰ってからですが書き込んでいるので、全体図として頭に残ります。グーグルの地図から、必要と思うことを取り出す作業です。写真を撮るだけ、グーグルの地図を貼り込むだけでは記録ではありません。これと同じで、博物館や野外で、図を描き、そこに、物を書き込み、言葉で説明を少し書くような記録が大事なのでしょう。そういえば、若いころ地学巡検で露頭へ観察に行くと、まず見たい崖の絵を描いて、そこに見つけたものを書き込んでいたなと思い出しました。メモの取り方を、進歩させようと思いました。配置図、景色をさっと描き、現地で文字記録を手書きで書き込むような記録をしていきたいです。さんぽの地図の、現地版地図という所です。メモ帳と言わず、観察ノートが必要なのかもしれません。地学観察の時は、表紙の厚いノートを持って、それに記録をしていました。原点に戻るようにしようと思います。
分かるということは、つながりが見えるということです。歩いている視点から言うと、駅と駅の間をつなぐ街道ということで、点と点が線になっていきます。少し分かったような気がします。頭にも入りやすいです。お寺で仏像を見た時、その配置に意味があり、名前にも意味があります。それを、文字で書きとってみて、その文字が意味するところが見えてきます。読んでいるだけ、写真に撮っただけでは全くだめだということです。文字を自分で書いてみて、はじめて「つながり」が見えてくるのだと思います。また、たくさんのことから、必要なものだけを取り出すということも大切です。何を取り出すかは、その時のテーマとかかわります。そこに賢さ、直観が働くのでしょう。頭の良い人は、取り出し方がうまく、また、その関係性をつけるのが上手です。新発見を目指しているのではなく、自分の興味のあることを人に伝える時、何を取り出して表現すればよいのかを常に考えることが大切なのでしょう。何が面白いのか、なぜ面白いのかの、取り出し方と、関係性が分かる表現法を、身に付けたいと思いました。
さんぽの記録の時、最初、グーグルマップをそのままコピーして貼って、その横に文章を書きましたが、どうも気に入らないのでそのままにしました。結局、手書きにして、必要なことだけを取り出して、自分の地図にした方が、人に見せた時も、意図が伝わり、面白いということが分かりました。同じことで、博物館も、お寺の観察も、自分の見たこと、思ったことだけを図に取り出して書いた方が面白いし、人にも伝わるということだと思います。写真は、写真として意味がありますが、記録は、自分の考えがシンプルに入っている表現がいいのかもしれません。それが、観察する、フィールドワークをするということかもしれません。宮本常一さんも、鳥居龍蔵さんも、鶴見良行さんも、図と文章がありました。何を取り出すかということが研究するということですね。
今、読書ノートも書き始めています。これも、小さなノートに、その本の中で、印象に残った文章を2、3書き出すだけですが、いい感じに続く予感があります。手書き、書き出し、少しだけ取り出すということです。忙しいころは本の題名だけしか書いていなかったのですが、今は、少し時間があるので、少しだけ書き出すことが出来るようになりました。たくさん書き出すときりがありません。阿久悠さんが、毎日、新聞から時代を表現する言葉を5つ絞り込んで日記に書かれていたことを読んだことがあります。5つに絞り込む作業に一日かけるということです。絞り込むことが、大切ですね。