お家生活 2018年3月16日(金)
春休みは、これまでとおなじように毎年やってくるのですが、今回は、そのまま4月からの生活も、ずっと春休みの始まりです。2月で大学の講義が終わり、幼稚園の午前中の仕事だけとなり、午後からはあちこちと歩く生活を始めました。午前中仕事して、午後から歩く生活のリズムは、このひと月で身に付いてきました。歩き生活をほぼ毎日続けて、現在23コースを歩いた記録ができました。無理をしないで、1~2時間で毎日違うコースを数キロ歩くことが日課となりました。
4月からは、まだ、大学の講義に行く日が二日あるので、まったく春休みが一年間続くわけではないのですが、午前中5時~9時は、大学のテキストを書いたり、晴歩雨読を書いたり、また、散歩の記録や読書の記録を書いたり、ブログの写真を整理したりしながら、生活をしたいなと思います。午後からは歩きと読書と観察メモの生活です。町内会の公園のお世話係を受けているので、これは、夕方の仕事になるかもしれません。
これまで、仕事をしていると、日々の生活がすべて仕事のリズムに支配されていて、自分の時間はほとんどなく、自由な時間の使い方を判断することはほぼありませんでした。一年間の生活は自動的に出来上がっていて、重なる予定をどのような順番にこなしていくかということに苦心をしてきました。これからは、多くの部分、自分で予定を作ることができるようになりました。これまでにない、幸せです。今は、午後の歩きに関しては、全て自分で考えてどこを歩くかを決めることができます。これからは、午前中の、書いたり考えたりする時間も、自分のしたい時間になります。大学のテキストをさっさと仕上げて、自分の時間を多く取りたいと思います。
ここで、少し心配なのは、大学の講義を終えてから、すべて自分の時間となったとき、やりたい事が本当にあるのかということです。「あえてしなければならないこと」は、おそらくないのですが、博物館、昆虫館、植物園のイベントに参加しながら、これまでいい加減だった自然の観察を正確にしたいというのが、これからしたい事の一つ目です。もう一つは、教育に直接関係のない本も読めるので、これも楽しみです。さらに、旅行へ行く前に、少し調べてから行く、帰ってから少しまとめてみるということもできます。これまでしたいと思いつつ、ぎりぎりまで仕事をしていて、帰るとすぐ次の仕事が始まり、まとめがいい加減になっていました。できなかったことが出来ることは、嬉しいことです。
もう一つありました。手書きの文章を書くことです。ワープロ、パソコンを使い始めてからほぼしていないので、手書きで文章を書くことに取り組みたいと思います。教師をしていたので、黒板を書いていたのが、まだ唯一の救いかもしれません。最近、ノートの記録を始めて、手書きをすることで記憶にいい影響があるように感じられます。手紙を書いたり、筆を使ったり、ノートに記録したり、メモを書いたりなど、手書きをする作業を取り戻したいと考えます。
手書きと言いながらも、今、パソコンのモニターを机の前に二つ並べました。学校で個人用として買って使っていたモニターを持って帰り、家で使っていたモニターと二つ並べておきました。机の前に、大きなモニターが二つあり、コンピュータをそれぞれにつなぐと、一見、株取引をしている人の机のようになってしまいました。うまく使いこなすと、便利なのかもしれません。大きな画面を二つ使って作業ができます。片方で調べ物をしたり、写真を大きく映したりして、もう片方で文章やブログを書いていくというようなことができます。必死で仕事をしている時以上の、パソコン環境となりました。これらを生かせるような生活ができるとよいのですが、どうでしょうか。
前にも書きましたが、書道は、モニターに手本を写し出しながら臨書をするという時代にきています。いろいろな資料がネットにあり、また、デジタルカメラで書道全集を写真に撮ると、それを必要な大きさに拡大したりしながら臨書することもできます。半紙に書く大きさに拡大するのも、自由自在です。とっても便利な時代になってきました。パソコン環境はあらゆるところで、とても便利に使えます。
絵を描くときも、写真を投影して、そこから下絵を描くようにすると、バランスがとてもよい絵が描けます。今は、鳥の絵を描いているのですが、近く、風景も描いてみたいなと思っています。プロジェクターを買ったので、どんな大きさにも拡大できます。
また、パソコンにスピーカーをつないだので、音楽は、パソコンのユーチューブを通して聞くことができます。パソコンがすべての生活の中心になってくる時代が、自分の部屋の中にできてきています。
たぶん、読書もモニターを見ながらするようになるのかもしれません。まだ、それは実行していませんが、青空文庫などがあり、昔の文学作品の多くはパソコンで読むことができます。俳句や短歌などの検索もネットを使えばすぐにできます。英語の学習も、数学、科学、社会学、古典文学、歴史など、あらゆる学習も、パソコン時代になっていくので、上手に使いこなすと、何でもできる時代になってきているのでしょう。学校の在り方が、これから一気に変わっていくと思います。
特に、最近は、花や昆虫の名前を調べるのは、パソコンの検索がとても便利です。少し前までは、図鑑を端から見て探していましたが、パソコンを使うと、とっても早く調べられるようになりました。写真をパソコンに入力して、似ているものを検索する機能も使えるようになってきていると聞くので、さらに、図鑑に代わって、いろいろな検索は、パソコンが便利になるのでしょう。
地図は、もうグーグルマップがないと考えられない時代になりました。道を歩くときは、グーグルマップは、手放せないものとなっています。歩いている時、現在地がすぐに分かるので、ややこしい道に迷い込んだ時、また、分かれ道があった時は、必ず使います。街道探しも、グーグルマップが便利だと、最近分かってきました。国土地理院の地図よりも正確で、さらに、拡大縮小が自由なのがいいです。旅行の計画も、宿舎の予約も、全て、パソコンを通さないとできない時代になってきています。知らない間に、どんどん生活が変化しています。
将棋の天才が現れました。パソコンを使いこなしてこれまでの棋譜のデータを大量に覚えたり、新しい進め方を学んだりしているようです。この現象は、将棋界だけでなく、塾も、これからもっとパソコンを駆使したものになってくると思います。これまで出会ったことのないような幼い天才が、これから現れてくるのでしょう。数学はこれまでも、自分で解くのではなく、解き方をまず覚えると聞いたことがあります。参考書に書かれていた数学解法が、パソコンで検索できる時代になっているのでしょう。文章ではなく、図形の中に、動画として回答の手順が出てくるようにしていくと、見ているだけで解き方をマスターすることができます。将棋界の天才は、そのスタートの一人だといえます。情報を、本を読み解くよりも早く、映像としてどんどん頭に入る人が、パソコンの大量の情報を使い始める時代になっています。しかも、人が作る情報ではなく、コンピュータがつくる情報を、人が学ぶ時代です。
さらに、芸術の分野でも、音楽の分野でも、医学の分野でも、1年ごとに時代は進み、新たな天才がでてくるのでしょう。日本がリードしたいと思います。