歩き方とおたずね  2018年2月21日(水)

 

歩いて記録していくことを2週間続けてきました。なかなか体調もよく、足も順調のようです。半年ぶりに、歩くときの膝の痛さもなくなり、さっさと歩くことができる時が増えてきました。膝に疲れを残さないように、距離と歩く時間が無理のないようにすることが大切です。一気に10㎞、15㎞歩いて、最後には足が痛くなってしまうような歩き方はしないように心掛けないといけません。若いときは、それでも翌日には復活していたことでも、今では後々、膝痛になっていくことが予測されるので、無理はしないように心がけます。毎日、歩き続ける生活をこれまでしたことがないので、楽しみながら長くできる歩き方をしたいと思います。筋トレが自然と積み重なってくると、歩ける距離は自然と伸びてくるのではないかと思っています。これまでも歩数計を付けていると、通勤や校内や難波を歩く距離はかなり多かったのですが、その歩く距離と、歩く目的を持って5㎞、10㎞歩くのとでは、足の負担は全く違います。登山家の三浦さんは、登山を続けるために、毎日のトレーニングを、高齢になっても続けておられています。荷物を背負って町の中を何時間か歩いたり、自転車で足を鍛えたりされています。筋肉量を減らさないようにすると、膝や腰への負担が軽減できるようです。筋肉量が減ると、骨と骨が直接触れ合うので、骨を痛めることになります。骨は傷つくと復元しません。膝回り腰回りの筋肉量を減らさないようにしたいものです。モンベルの辰野さんが、歩き方について、自分の会社が出している雑誌に書いていました。坂道を歩くときは、膝に負担を書けないように、膝を曲げて歩くようにするということです。膝を伸ばして坂道を歩くと、大きな荷重が関節にかかって骨どうしが、こすれ合うのは当たり前ということです。その荷重を筋肉で受け止めるようにするとよいのです。筋肉は、骨よりは復元性があるし、年をとっても鍛えられるらしいのです。プロの登山家たちも、年齢との戦いをしています。素人も、考えないといけないことです。

歩き方と同じように、学び方も分かってきました。教師という仕事は、研究者の成果や結果を教えているだけだということです。研究者は、新しいことを作り、教師はそれを伝えるだけの仕事です。それぞれの内容に疑問を持たないで、整理をしてそれを紹介する人かもしれません。アナウンサーと一緒で、原稿を読んでいるだけの人なのかもしれません。本当は、教師も研究的に生活をすることが大切だと思います。新しいことを創造することにつながる生活を日々していないと、子どもに知識を伝えるだけの人になってしまいます。教師でも、研究的な生活は可能です。それは、学びの主体である子どもが、どのように学びを獲得してくのかを研究すること、どのような環境で子どもを育てるとよいのか考えること、子ども達が研究的に学びを獲得していくのかを研究することです。また、子どもの成長にとって、どのような世の中の研究結果が必要なのかを研究することも教師の研究的生活です。子どもの育ちというのは、創造的なものであって、その創造性を育てるのが教育です。研究的創造的な教師が、創造的な教育ができるのでしょう。単なる教えるだけの教育と、研究的(創造的)な教育の違いは、「おたずね(疑問)」がそこにあるかどうかです。おたずねを持って物事に接していく学びは、研究的生活だと言えます。新しいことを創造する生活につながります。小学生の算数でも、国語でも、理科も社会も、全て研究的な態度を育てながら知識の獲得をさせていくことが教育で大事なことです。なんの疑問もなく、暗記をするだけの教育の手助けをする教師になってはいけないと思います。

例えば、道を歩いていて、「おたずね」を持つこと。これが、研究的生活、創造的生活の大切な一歩となります。これまで奈良さんぽを子ども達と進めてきて、やはりおたずねを持つことが、とても重要でした。それも、それぞれの個性的なおたずねを持つことが大切です。出来事や場所の説明を、ネットや本で調べて、紹介するだけの記録は、研究的生活ではありません。研究的生活とは、自分が持った疑問が解決されているかどうか、分かる過程がある取り組みであったかということがとても大切なことです。それが例え他の人がすでに調べて結果が出されていることでも、自分が疑問を持つことが、研究的生活の基礎基本です。子どもに研究的生活、創造的生活の学び方をさせることが、とても重要なのです。

さらに考えると、教師の一番大切な仕事は、子ども自身に独自性や個性を持たせることです。普通は、知識を教えて、テストをして、記憶力の良い子どもを選び出すだけの仕事になっています。そうではなくて、そこ子らしい考え方を形成させることです。「あなたは、どう思う」「なぜそう考えたの」「どのようにするとよいの」「どこを、どのように見ればよいの」「これからどうしよう」というような、おたずねを発するのが先生の仕事です。知識はあとからついてくるものです。

同じように、道を歩きながら、また、本を読みながら、生活をしながら、自分自身も、研究的生活、創造的生活を少しずつでも進めていきたいと思います。「おたずねを持つこと」が、重要なキーワードとなります。これまでも、しごと合宿や奈良さんぽへ行く前、また、理科の新しい単元に入る時、必ずおたずねを整理していたことを思い出します。解決できないような高度なおたずねもあり、また、すぐにでも調べることができるおたずねもあり、それぞれの研究的取り組みが、子ども達(人として)の分かり方、理解の仕方、学び方となっていました。子どものおたずねを整理していると、教科書は、一部の事しか書かれていないことが分かります。時として、子どもの疑問と違った所を中心に学びを続けないといけない場合もあります。子ども独自のおたずねを持たせながらの、学びの探究は、大切な学び方です。

 

東高野街道を、石切から南へと瓢箪山へと歩きました。枚岡神社の一の鳥居がこの街道沿いにあり、その横に、東高野街道の説明板がありました。「この道は、東高野街道または、京道、紀伊道ともよばれています。京都九条の教王護国寺(東寺)から伏見を経て、木津川を渡り、山城と河内の国境である洞ヶ峠を越え、旧河内国に入り、生駒山脈の西麓を経て、大和川を渡り、石川沿いに南下して、紀見峠を越え、高野山へ至る街道です。古代において、河内平野は、池や低湿地のため、この山麓沿いの道は、河内で唯一の南北道として重要な役割を果たしていました。」と、書かれていました。京道、紀伊道という言葉は、初めて聞きましたが、京都の東寺から高野山までつなぐ重要な道であったことが分かります。空海も、この道を何度も通ったのでしょう。昔は、歩いて旅行をしていたので、宿泊や食事、トイレや、急な病気の時など、どうしていたのでしょう。宿泊は、予約などできない時代なので、混んでいる時は、相部屋とかになるのかなと思います。

難波周辺の明治18年ごろの様子が、「南海鉄道開通50年」誌に書かれています。それによると、「阪堺鉄道(現南海電鉄)が開通した難波駅周辺は一面のネギ畑で、『難波葱』の一大生産地でした。当時の難波界隈は、難波駅構内予定地に多少の人家もあったが、多くはネギ畑だった。当時、ネギは難波の名産であって、今でも葱の事を、ナンバというほどに有名だったらしい。」とあります。難波周辺が、砂地の畑だったことが分かります。三津寺が、道頓堀近くにあって、それは、砂州の上にあるお寺です。行基が開創と言われるほど古いもので、飛鳥、奈良時代、この辺りは港として使われていたようです。35年ほど前、堺の出島地域も砂地で、風車で水をくみ上げながら、ネギの栽培をしていたこととつながります。

 

あとひと月で、2018年度の大学の講義が始まります。今回は、「おたずね」を出させるような学びの探究を中心に、講義を進めるようにしたいと思います。子ども達は教師が与える知識を無条件に覚えていくことが学びだと考えがちですが、そうではなく、小さなおたずねを持ちながら、小さな解決を積み上げて、学び続ける体験をさせるように育てる教師としての生き方を伝えたいと考えています。