大学の学習の進め方 2018年1月10日(水)
今年も、子ども達からの年賀状がたくさんきました。子ども達からの年賀状は、いつも来てから、書かれてある内容を読んで、返事を書くようにしています。小学生から大学生、社会人まで、いろいろな年齢の教え子たちから届きます。
今回の返事には、午前中の幼稚園の仕事と、午後からの大学勤務の生活は、今年一年で終えて、日本各地を歩く生活をしたいと書きました。あと2か月後の3月には幼稚園を終え、来年の1月で大学の後期の講義を終え、生活を一新したいと考えました。70歳まで僅か7年です。歩き回る体力と気力があり、自由に動ける間に、本を読んで、街や街道を歩いたりしながら、フィールドサイエンスを続けたいと思いました。古本屋で本を買うのも続けていて、昆虫や植物関係の本、そして歴史関係の本も、読み続けるようにしたいと考えています。今は、昆虫写真家の今森さんの本を読んでいます。
大学の仕事は、予想以上に大変です。小学校の先生の時に実践していた子どもが自ら進める学習を、大学生にもしてもらっていこうとすると、人数が多すぎて、ノートを読んだり、評価をしたりするのに、時間がかかりすぎます。大学の授業は、3年間したらやめます。
かつてより求め続けてきたように、大学でも、学生主体の授業をしたいと思ってやってきました。子ども主体の学習は、小学校でも高学年に比べると低学年の子ども達の方が早く実現できることが分かっています。大学まで長く教え込み教育を受けてきた学生には、なかなか子ども主体の学習を伝えることが難しいと感じています。これまでの経験では、子ども主体の学習になるには、小学校の1・2年生では1週間、3・4年生では、ひと月かかりました。5年生は1学期間、6年生では2学期の終わりごろ、ようやく子ども主体の良さが、子ども達に伝わる実感を持ちました。昔と比べて最近は、自分自身の中で、子どもが主体に進める学習の要件が整理されてきたので、だんだん早く子ども主体の学習にできるようにはなってきました。昔の状態では、大学生に子ども主体の学習を伝えるのは不可能ですが、最近では、大学でも、元気調べ、日記、自由研究、課題研究、めあて、ふりかえりと、経験をしてもらいながら、自ら学ぶことの楽しさを身に付けてもらえるようになってきました。
大学生の授業を進めながら、主体的な学習への手立てについて、再認識したことがいくつかあります。大学の生活科の講義で、生活科を教えないということが大切だということです。生活科について、自分たちで体験すること、そして、自分たちで調べることが大事なのではないかということです。大学を教える機関と考えず、研究する機関だと捉えてもらい、研究的に、元気調べや、日記や、自由研究に取り組むことで、生活科での学び方を学んでもらうことが、自学的な学習を伝える一番の近道だということです。もう一つは、「ふりかえり」を書き出すことによって、自分たちの成長を客観的に見つめさせて、自分たちの成長自体を、学びの対象にすることができるということが分かりました。これは、小学校の指導とは違い、大学ならではの学び方であると思いました。学ぶということは、発見することです。学び方の発見、つながりの発見、自分の発見と、その発見を共有することで、協働的な学びが出来上がっていき、学びの共同体や、研究し合う組織ができるのではないかと考えます。学ぶ組織体、共同体を作ることが、大切だということです。学び合う組織を、どのように作っていくかと考えると、小学校では、さんぽから始まるフィールドワークを進める時の組織と、毎日の学習を成立させるための日直や学習係の組織があり、その組織が動き始めて、子どもによる自覚的学習が成立していきました。もしかしたら、大学でも小集団を最初に作り、それらが助け合い、支え合い、分担しあう組織を作ることができれば、小集団同士が競い合いながら育つようになるのかもしれないとも思います。次年度は、組織作りの観点から、学びを立ち上げていくことを考えてみます。
基本的には、学習は個人で進めるべきですが、組織的に学び合いながら学習を進めることはとても大切です。大学の場合、一時に進めるクラスの人数が多いので、話し合いがなかなか成立しません。そのため、小グループを作って、そこでの議論が、全体の話し合いの土俵に出てくるような学び合いの組織が必要になります。しかし、グループ指導は、緊張感を持ちうまく機能している時はよいのですが、力関係が出てきたり、なれ合いが起こってきたりすると、騒がしくなるだけで効果がありません。もしかしたら、今年度、2回使ったグループ作りがよいのかもしれません。5人グループで、一人が発表、一人が司会、あと3人がおたずね係というのが、時間的にも適切で、緊張感もうまく働いていたのかもしれません。この小グループを作るときは、カードを使って、欠席者を省きながら、毎回、みんなと一緒に5人グループを作りました。カードを配りきらない「ちょっと待ってねのプール要員」を10人ほど後ろにいてもらって、そこから欠席者のいるグループに入ってもらいながら、5人グループを作りました。一度グループを決めてから移動してもらうのは、本人たちもいやだと思うので、待ってもらう人たちを作っておいて、それらの人を、グループに入ってもらうようにすることが大切だと分かりました。小学校の時も、遠足や宿泊学習があるたびに、グループを決め直していました。恒常的なグループにはしないで、毎回、グループの中で緊張感のある関係が再構築されていたのが良かったのかもしれません。
学習には、構成していく人、プランナーがいるのかもしれません。プロデューサーというような、どのように時間配分をして、どのように子どもに表現させて、どのように全体に伝えるのかということを専門に考える人が必要かもしれません。アクティブラーニングと言われながら、なかなか高校や大学がそうなっていかないのは、子ども主体の学習の基本が共通理解されていないからだと考えます。子ども主体の学習の良さが分かっていない人に、それを実現させることは無理なように思います。単なる方法論になってしまうのでしょう。
積極的に内容を教えないという学習には、読書、参考書を持ち込む活動と並行した学習が必要です。最初に読書習慣を身に付けさせて、学習への関連図書の持ち込みを当たり前としなければいけません。学生は、それらを自分の机の上に置き、共通した話し合いに入っていくようにすることが大切なのでしょう。読書を指示して、大学の講義を進めるのは、海外の大学では当たり前になっています。そのような学習をするためには、教師はもっと本を読み、もっと学生にも本を読ませる必要があります。殆ど本は読まないと言い切る学生が多くいます。これでは、アクティブラーニングはできません。次回は、本や絵本の持ち込みと合わせて、レポートを書かせ、発表させるようにしなければいけないと感じています。
インターネットで調べることはよくないという時代は終わり、これからは、いかに上手に調べるかという能力が問われると思います。自分自身も、鳥や花や昆虫を調べる時、まずネットで調べてから、図鑑を調べるようになってきました。色や特徴などを書きこむと、検索がすぐにされます。これはすごいことです。また、自分自身、ネット上にこれまでの多くの仕事を入れることができました。私がしていることは、多分他の人もしていることなので、そんな時代になってきているということです。膨大な量のこれまでの蓄積が、ネット上で、いくつかの検索ワードで調べることができる時代になってきました。変化はどんどん進みます。上手に新しい世界を広げる若者を見守らないといけないと思います。