時間を大切に生きる 2017年12月16日(土)
一日の時間をどのように使うかで、日々の学びが積み上がります。毎日、少しでも続けることが個人の成長になります。基本的な生活習慣、自己研鑽、体力作り、トレーニング、読書など、毎日積み上げている人は、確実に自分が成長していることが分かり、実感のある日々を送ることができています。そのためには、計画を立てることが大切です。めあてを持つということです。
健康的に生活をしていることが、時間を大切にしながら生活ができる一番の要件です。健康が損なわれるとすべてが進められなくなり、何もする気がなくなります。健康を維持するには、規則正しい生活をすること、食べ過ぎないで、バランスのよい食事をすることです。それから、適度に運動をすることでしょう。少なめに食べて、運動をする。これが、時間を大切に使うための根底にあるようです。村上春樹さんのインタビュー集を読んで、そのことがよくわかりました。朝4時から午前9時まで5時間ほど毎日仕事をして、そのあとは、走る、泳ぐ、自転車に乗るという運動をし、夜は9時には寝るという生活です。土日も、ずっと同じ生活をして、長編小説を書くというのが、村上春樹さんの生活です。海外で生活をしている時も、同じような生活をしていて、何処にいても、同じような生活スタイルで、仕事をやり続けることができるようです。そして、午前9時以降は、仕事はしないということです。走りながら小説のことについて考えるのかというインタビューには、殆ど考えないと答えておられました。仕事の時間に、集中して小説を書き、机の引き出しにしまうと、そのあとは考えないという生活だそうです。生きる時間のバランスを大切にしているなと思います。今はコンピュータで書いておられると思うので、電源を切るということなのでしょう。
また、コンスタントに読書をやり続けるには、毎日読む時間を決めることも大切だと思います。運動と同じで、読み続けることが大切です。読み続けると読む力が付きます。少し難しい本も、読み続けられます。しかし、少し読まない日が続くと、読む力が落ちて、読むスピードも遅くなります。村上春樹さんが毎日小説を書くのと同じように、計画的に読むと、続けられ、結果としていろいろな本を読むことができます。読むのは仕事ではないので、テレビを見てしまっている時間を、それに充てるようにするのがよいのでしょう。私はこれまでずっと電車通勤が長いので、通勤時間に読書をしていたのですが、これから退職して毎日通勤しなくなると、読書の時間をきちんと決めないとできないようになります。毎日、本を読む場所と時間を作るようにしないといけないなと考えます。電車が一番よいので、地下鉄に乗って本を読むのがよいのかなと思います。冷暖房完備で、椅子も座りやすいので、とてもいい感じです。地下鉄は、今の所、駅の中に喫茶店がないのでこれが問題点です。思っていると、いずれできると思います。図書館は、行き場のない老人のたまり場のようで、雰囲気が良くないし、公園のベンチは、冬は寒いし夏は蚊に悩まされ、良い時期が殆どありません。電車読書はいいです。最近地下鉄は、私鉄と相互乗り入れをしているので、京都も奈良にも行けるのではないかなと思います。本を読むために電車に乗るのは、一番安上がりの読書室になるような気がしてきました。また、電車読書に合わせて、天気の良い日は、知らない駅で降りて、そこの周辺を歩くというのもいいなあと思います。まずは、地下鉄を端から端まで乗るようにして、行動エリアを広げていきたいです。
自分の時間、自分の為に生きることを大切にしようと思います。
「何のために学習をするのか」ということを、子ども達が聞きます。疑問に思うようです。「何のために生きているのか」と対になるおたずねだと思います。さらに、「なぜ世の中があるのか、なぜ宇宙はあるのか、生命はなぜいるのか」、というような疑問にもつながります。そこは、分からないことだらけです。「この宇宙は誰かが書いたプログラムでできている虚像だ」と考えている学者を、最近テレビで知りました。電源が切れると、一気にすべてが無くなるというものです。また、ノーベル賞作家のイシグロさんの本「わたしを離さないで」も、何のために生きているのか、何のために子ども達は学ぶのか、ということが、テーマだと思いました。
「何のために学ぶのか」という答えは、多分、自分がより豊かな生活をするためと言うしかありません。それは、よい会社に就職するためということでなく、生きている時間、生かされている時間、いろいろなことを考えながら自分が豊かに生きるためということだと思います。学習をしないと、戦国時代のようになり、話し合いでなく、腕力がすべての世の中になります。一部の人に支配された、多くの単なる労働者、消費者、戦闘員のような世の中になってしまいます。一人ひとりの幸せを確保するために、一人ひとりが歴史や科学や社会学を学び、判断する人として生活をするためだと、子ども達に教えましょう。
学びたいのに、学びを取り上げられた人達は、自分の生活を自ら改革、発展させることはできません。世界には、劣悪な環境の中で生活を強いられている人達、極度の貧困の中で食べることだけが精いっぱいの人達がいます。教育どころではありません。日々、生きていくだけで精いっぱいの状況の人々がいることをニュースは伝えています。彼らは、そのような生活を、自分達で選んだわけでなく、また、自然になったわけでもなく、社会的に造られた状況なのです。支配層になった人は、さらに自分の権限を強めようと、一部の人を、また、多くの支配している人を、力と恐怖心で抑え込もうとします。そのためには、教育と法律を支配する側の人のために機能させていくようにします。恐怖と合わせた思想の統制です。
教育は大切です。一人ひとりが、自分の考え、個性に沿って、それぞれが学び続けるような環境を作ることです。一見平和な先進国でも、学生は寝ているだけで学習が進んでいくのは、支配する側には、とても都合がいいことです。学びをそれほど与えなくても、お金を払ってくれて、文句を言わないで、卒業してくれるのです。教育に期待しない学習環境をつくることは、堕落の世の中の始まりです。いろいろな事実から、世の中のいろいろな知識や現象や歴史から、学び取っていく人を育てることが、教育の大切な所です。先生から学ぶことだけを、期待していてはいけません。自分で学び続けること、自分で伸びて行くことが大切です。その時にヒントをくれる人が先生です。また、「いいね」、「がんばろう」、「ちょっとちがうかな」、とパワーを与えるのが先生の仕事です。学びの本体は、自分にあります。自分が行動して、自分で表現して、創り上げていくのが学びです。
子ども達が、自分の言葉で、文脈で「考え」を話すように育てることが大切です。小学校、中学校のよくある授業では、先生が多く話して、子どもは単語で答えます。知識を確かめるペーパーテストと同じ形です。分かった?覚えておきなさいね、というような授業を、多くの先生はしています。
考えを引き出すためには、考えさせる習慣が大切です。考えさせるためには、子どもが自分で行動しなければ、考えは出てきません。個性的な行動、個性的な表現をする中で、その人が育ち、それぞれが考えを持つことができるようになります。ゲームをしている、寝ている、しゃべっている、バイトをしているだけの人生にしてしまってはいけません。世の中は、心地よく搾取するために作られているのです。
行動しましょう。考えましょう。創造しましょう。自分の足で歩き始めると、案外、どこへでも行けるものです。自分で創ると、意外とできるものです。自分の時間を、自分が使います。