独自学習からの学習 2017年11月12日(日)

 

 大学生の学習も、独自学習から始めたいと取り組みを進めています。どうなっていくのか、まだ結末は見えませんが、生活科の学習では、自由研究を二回進めて、その自由研究の学び合いから学習を始めるようにしてみました。

 一回目は、「秋の自然」に関する自由研究です。人数が多いので、それぞれ多様なテーマでしてくれていて、かなり面白いと思いました。こちらが面白いと思うのと同じように、学生も面白いと思っているようです。最初、たまたまカードで選ばれた人4人が、全体の前で発表し、その時、おたずねをすること、メモをとるということを学んでもらいました。発表者、記録係、おたずね係と分担しながら、学びを深めました。次の時間は、5人グループになって、発表者、司会、おたずねと分担を決めて、係を交代しながら、相互の学びをしました。同年代の友達との交流、発表の比較は、励みになるようです。教師側の評価より、友達同士の比較の方が意欲的になるみたいです。「秋の自然」という大きなテーマだったので、個人でテーマを工夫することができ、個性的な追究になりました。

 二回目の自由研究は、「生活科とはどういうことを学ぶ教科か」ということで、レポートを書いてもらうことにしました。どのようなところを根拠にして書けばよいのかについては、次のようなヒントを与えました。

①自由研究から発展させて授業を考える。

②指導要領から調べる。

③1、2年生の生活科の教科書から考える。

④図書館で本から調べる。

⑤ネットで調べる。

⑥自分の子どもの時の体験から考える。

などの選択肢から、生活科に迫ってもらいました。選択肢を示したことで、それぞれ、何らかの取り組みができたようです。二回目の発表は、前回と違ってグループ発表から進めるようにしました。やってきていない人にはプレッシャーになりますが、その場を切り抜けてもらおうと考えました。次の時間は、その中の優秀なものを全体の前で発表してもらうようにしました。学生はどうも、教師の評価より、友達同士の比較がとても気になるようです。その関係性をうまく活用することで、独自学習から相互学習へと発展していくような大学生の学び方ができるように感じました。

 小学校で授業を進めている時も、子どもの独自学習、レポート、生活体験の持ち込みから、授業を進めていました。特に、社会科などは地域の産業や歴史調べからスタートしていました。次の授業の見通しがつかないときは、子どもに任せてしまうことで、案外うまくいくときが多くありました。子どもの活動、思考の方向に沿った学習がとても大切だと分かりました。子どもから、課題に対する意見を言ってもらうようにすることです。子ども達は、思いもよらないところで思い違いをしていたり、的外れをしていたりします。しかし、それぞれ子どもが行動することで、課題に対する行動を自覚しながら、自ら修正していくことも可能だと分かりました。また、教師も、子ども達の行動を見ながら、問題解決の対応の仕方を変化させていくようにできます。

 昨年度から通い始めた大学の講義では、学生の一部は、寝ていたりして、疲れているように見えます。「どうして寝ているの」と尋ねると、「昨日は夜中までのバイトで、眠い」ということです。「よく出てきてくれたね。」と、褒めるようにしましたが、学生も大変そうです。そのような状況で、家庭学習、独自学習、予習を科すことは、最初はとてもかわいそうに思いましたが、一年を終えて、どんどん課題を出すべきだと思ってきました。そのように疲れている学生は実は少数で、疲れている学生に、大学の講義の形全体を合わせる必要があるのかと思ってきました。小学生でも、自ら資料を持ちこんで学習をしているのに、大学生に、受け身だけ、聞くだけの講義を受けさせているのはよくないと思いました。もっともっと、大学生らしい学習形態にすべきだと考えました。

 

 大学生らしい学習形態とは、どうあればよいのでしょうか。人ごとではなく、自分の将来の姿を見通して、今の学習と将来の何がつながるのかについて意識させながら、これからすべきことを自覚させることが大切です。教職に就く学生には、1回生から早々に現場を経験させて、4年間しっかりと学ぶカリキュラムを作らなければいけません。また、小学校でしているような、縦割りの活動(1〜4回生の小グループ議論)を入れながら、小さな集団での話し合いや、現場の課題解決の学習に取り組ませる必要もあります。自分たちが育つ方向性に見通しがないので、だらだらとした時間を過ごすことになっているように思います。インターンシップ、授業参観というような取り組みで現場に出向いて、様子、状況、感想を話し合い、学校で起こっている問題を自分たちも考えるような取り組みが大切です。学校現場に、たびたび行くようにすることが、大事なのでしょう。現場の先生を育てることにもなるし、学生も育つことになります。

 大学での学びが、現場では役に立たないということがよく言われます。これは何を意味しているのでしょうか。企業も、教職現場も、同じように思っています。まず、「読む、書く、話す力」がないということです。さらに、「自分で考えて行動ができない」ということもよく言われています。講義を聴くだけの時間を過ごしていると、自分で読む、自分が書く、自ら話す力はつかないのは当然です。また、自分でフィールドワークをしないと、自分で考えて行動ができません。知識は後から、必要に迫られて付いてくるものです。行動しながら必要になった人から知識を付けることが大切です。大学の学びが、世の中の最先端でなければならないと思います。また、大学の学びが次の教育界の新しい波をつくるような教育でなくてはならないのです。現場の先生方は、新しいスキルや考えや知識を持った新採教師を、怖がるような状況にならないといけないと思います。大学が現場の最先端でなくてはならないのに、過去の知識だけを与えて世の中に出しているのは、学生がかわいそうです。

 最先端の教育とは、「子どもが本当に学ぶという方法論を身に付けさせること」です。子どもの能力をフルに引き出す方法を、学生に習得をしてもらうことです。そのためには、真の学びとは何なのかを、真剣に考えてもらうことが大切です。自ら学んで勝ち取っていく学習を積み上げないといけません。自分で学び始めると、すごい人が周りにいることが初めて見えてきます。自分達が行動していない時は、寝ていたり、休んだりできます。しかし、すぐ周りにいるすごい人たちと競争しながら、そこで、自分なりの学び方を自覚的に積み上げていくことが、実は大切なことなのです。採用試験は、そんな人達と競争して合否を決めます。努力もしないで寝ていて合格するはずがありません。

 植物を教える、ドングリの種類を教えることはいらないのかもしれません。これらは、自らしてもらうことです。例えば、「ドングリを学ばせるにはどのようにすればよいのか」を、開発することがこれからの学生にとって大切なことでしょう。これまでの生活科、理科を乗り越える、新しい教育の風になるものを考えさせなければいけません。大学で植物を教えているだけでは、これまでの教育の不十分な所を補っているだけの教育になります。基礎基本を身に付けさせることにはなりますが、教育学ではありません。新しい教育を開拓し続けることが、教育学の大切な所です。そのためには、古ぼけた退職者の非常勤先生ではだめなのかもしれません。

 学生が、現場に出て、先輩の先生に負けない、新しい教育方法を身に付けていること、これはとても大切なことです。特に、学び方、学ばせ方、物に迫る方法、子どもと共に地域を学ぶ方法、自然から学ぶ方法を、本気で身に付けることが大切です。「そんな方法で子どもは育つの」と、常に問いを持ちながら、教育学をすすめないといけません。