久しぶりに歩く 2016年9月23日(金)

 

 今年の夏は、35度を超す酷暑の日がほとんどで、午後からは外を歩ける状況ではありませんでした。そのため、お盆の前後2週間ほど、家から殆ど出ない生活をしていると、病院に入院していたように、足腰が弱ってしまいました。また、9月から歩ける体を、徐々に作っていきたいと思いました。急に無理をして膝を傷めないように、少しずつ歩ける足に戻さないといけません。

 歩くのは、トレーニングのように歩くのと、行先の目的を持って歩くのとがあります。家の近くを2キロほど歩く、家から天王寺まで10キロほどを歩くというのはトレーニング歩きで、日ごろあまり歩けていない時、足を慣れさせる時の歩き方です。8月末にトレーニングとして天王寺まで2度ほど歩きました。9月には幼稚園の仕事の帰り道に、北花田駅で電車を降りて、歩いて家まで帰ることもしました。街歩きは、ビルの日陰になるので、歩きやすいです。コンビニも多くあり、雨が降ると直ぐに地下鉄に乗れるので、安心して歩くことができます。

 また一方、高麗橋から守口へ京街道を歩く、奈良公園から山の辺の道を桜井へと歩くというのは、地図を見ながら、「古道を辿る」という目的を持って歩くことです。地図を見ながら歩くので、事前に計画を立てて、当日地図を見ながら歩きます。トレーニング歩きとは違って、道を探しながら歩くことになります。今、計画を立てているのは、京街道、そして、東海道を歩くことです。短い距離の歩行をつないで、大阪から大津まで、まずは歩いていきたいと思います。また、東京へ出張で行くとき、東京から横浜ぐらいの間は、少しずつ、歩けるかもしれません。両方から歩いてみるようにしたいと思います。ちなみに、東京から横浜は30キロ、横浜から茅ヶ崎は27キロ、茅ヶ崎から小田原は17キロでした。箱根の芦ノ湖まで行くと、駅伝コースとなり約100キロです。また、大阪駅から米原駅までも約100キロです。一日25キロ歩くとして、東京~大阪が500キロなので、20日は必要です。冬休みとか、土日に計画的に歩くと、到達するかもしれません。「うどん屋の釜」(ゆうだけ)にならないようにしたいものです。

 3月に退職してから、月に最低50キロは歩くと目標を持ちました。4月74キロ、5月50キロ、6月78キロ、7月100キロ、8月52キロと、これまでぎりぎり目標は到達しています。5月は、連休中殆ど家にいて、歩けませんでした。6月、7月は、東京出張の時に、都内をまめに歩いたので、距離が伸びています。8月は、暑いので歩きませんでした。9月は、どうでしょう。

 さて、京街道は、数年前に、京橋から守口まで歩いたことがあります。今回は、その続きの守口駅から枚方まで京街道を歩くことにしました。しかし、たまたま歩いた日は、9月だというのに、思ったより気温が上がり、35度に達する猛暑日となってしまいました。天気予報では、午後から雨が降ると言っていたので、曇り空の下歩けると思っていたが予想外でした。計画では枚方まで13kmを歩くつもりでしたが、あまりの暑さに途中で断念することになってしまいました。京街道は淀川の堤防の上を通っているので日陰が全くなく、あまりの暑さに並行している車が多く通る道に早々に降りてしまいました。それでも暑さは同じで、ジュースを買ったり、コンビニで体温を下げたりしながら歩き、ついには、バス停にたまたま停まっていた寝屋川行きの路線バスを見つけたので、助け舟に救われた気持ちで飛び乗りました。本当にラッキーでした。枚方まで歩くと、熱中症になってしまうところでした。現在、京街道がなぜこの堤防の上に設定されているか分かりませんが、季節の良い頃だと真っ直ぐで歩きやすいのかもしれません。周りよりも高いところを通っているので、周囲の山々が遠くまで見えます。次回は、バスに乗ってしまった所まで、寝屋川駅から戻り、続きを歩こう と思いました。歩くときの、最高気温は30度までにしなければいけません。

 後日、続きを歩くつもりで幼稚園を出ましたが、雨なので、市立枚方宿鍵屋資料館へいくことにしました。まず、枚方駅の近くで、TUTAYAが展開する本屋に寄りました。少し前、壁一面の大きな本棚の映像が、テレビで紹介されて気になっていたからです。駅のすぐ横のビルでした。二階分の吹き抜けがあり、その壁一面が本棚になっていて、おしゃれな海外の本が並んでいます。手が届く範囲は、売り物の本で、手が届かない上のほうは、飾りのようです。はしごや階段が付いていないのが、ちょっと残念でした。我が家も、二階の屋根までの吹き抜けがあるので、壁面を全て本棚にすると、少しはこんな感じになるんだなと思いました。

 

枚方駅前のビル

 

 枚方駅からまずは鍵屋資料館へ行くことにしました。枚方駅周辺は、京街道が通っていて、枚方宿としての歴史的な保存をしようと整備されています。西見附から東見附までの、約1500mの街並みです。かつては、その間に、多くの宿屋や本陣などがあったようです。東海道53次は有名であるが、京都から大坂までの宿の伏見、淀、枚方、守口の4つの宿を加えて、江戸大坂57次になります。昔、参勤交代の時、大名が公家の方々と接点を持たないように、江戸幕府は大名行列を京都へは入れなかったようです。そのため、参勤交代の道は、伏見から山科を通り大津へとつながっていました。

 鍵屋資料館は、江戸時代は、淀川を往来する船を待つことができる宿、船待ち宿でした。近代以降、鍵屋は料亭・料理旅館として、平成9年まで営業を続けています。枚方市の歴史的建造物で、解体・復原工事の後、平成13年に資料館として開館したとパンフレットに書かれていました。資料館には、枚方宿に関わる古文書や出土遺物、模型、民俗資料などを展示しています。江戸時代の旅の休憩場所、宿泊所として賑わっていたのが偲ばれます。

この枚方周辺は、「くらわんか舟」が有名です。淀川の水運は、京都から大坂八軒屋浜までの川下りは6時間、上りは12時間かかったといわれ、船は下りだけがよく利用されたようです。その船便の乗船者に、舟を近づけて物を売るのが「くらわんか舟」でした。乗客とのやりとりを映像として再現したものがありましたが、あまりに言葉使いが悪くて、ちょっとがっかりしました。河内言葉としての、方言が荒いのは理解できますが、言葉のやり取りで相手を馬鹿にするような内容はどうかと感じました。

 淀川資料館は、鍵屋資料館から近くの淀川の堤防横にあります。入場したいときは、インターホンを押すと、遠隔操作で鍵を開けてくれて、中に入れるようになっています。無料です。中には誰も人がいませんでしたが、見学をしているとき、生き物(魚)の世話をするために、飼育員がやってきました。展示は、淀川の治水の歴史と、淀川の魚などの自然環境について、詳しく説明されています。「わんど」がどのように作られたのかについて、初めて知りました。仁徳天皇の時代から、歴史的な大工事が何度もなされてきていることも分かりました。もう少し、お金をかけて、整備をして、淀川沿いの子ども達は、琵琶湖博物館、淀川資料館、上水道下水道資料館、津波資料館、海遊館をつないで、必ず行くべき淀川見学コースとするべきだと思いました。教育的にとても意義がある展示館です。また、宇治から大阪湾の海遊館あたりまでの淀川に、高速遊覧船を走らせて、ウォーターフロントの観光開発をすれば面白いのではないだろうかとも思いました。