山の辺の道を歩く 2016年6月13日(月)

 

 山の辺の道は、日本で一番古い官道だといわれています。春日大社から桜井までの約35kmの山沿いの道であるのは知っていましたが、なぜか以前から、天理~桜井が中心で、その南半分しか案内板などが整備されていないと勝手に思い込んでいました。もしかしたら、私が子どもの頃(50年も前)は、そうだったかもしれません。遠足で、その周辺の一部を歩いた経験があって、南半分しか整備されていないと思い込んでいるのかもしれません。

山の辺の道は、奈良からさらに北へは、木津~城陽へ向かう山背古道へとつながり、宇治、そして京都の大和街道へ続いています。桜井から南は、飛鳥を通り吉野へ、さらに、紀州の本宮へと続く奥駆道にもつながります。紀伊半島の中央部を京都から新宮まで、ほぼまっすぐに南北の道がつながります。

 また、桜井は、大阪から竹ノ内峠を越えて伊勢へ向かう東西の道と、南北の山の辺の道が交わる交差点です。古代の幹線道路の交点です。現在は大都会ではありませんが、古代は、今より栄えていたのかもしれません。桜井からは、奈良と大阪をつなぐランドマークとしての二上山がよく見えます。かつて、二上山の麓の当麻寺から桜井まで歩いたことがあります。古道には珍しく東西方向にまっすぐに線を引いたような道でした。

古代の飛鳥京、平城京にも言えますが、東西南北はとても重要な方位であると認識し、その方位を意識して大極殿が置かれ、都の道が東西南北に造られています。古代はどのようにして、方位は決められたのでしょうか。方位磁石はまだないと思われます。飛鳥時代には、天文図が古墳の中に描かれていることから、北極星のこと、春分秋分の太陽の昇る方位などから東西南北が決定していたのでしょう。 

 奈良盆地の東西の両サイドは、南北の断層でしきられていて、山並みがほぼ南北につながっています。それに沿った道が南北に伸びています。また、二上山と耳成山をつなぐ道は、たまたま、ほぼ東西を示しています。この偶然の地形と、東西南北の方位の関係は、絶妙です。古代奈良の奇跡かもしれません。春分、秋分の日の出の方位、太陽の南中の方位、北極星の方位、これらは、いつごろから古代人に重要な方位として認識されていたのでしょう。方位は、地図を書くようになってから、認識が重要になってきたのかもしれません。古代の簡単な絵地図の発達と方位の認識が、関係しているかもしれません。古代の地図を、方位との関係で見てみたいと思いました。

 奈良で古道を歩いているウォーカーを自称するには、とりあえず、山の辺の道を全部歩き切るのは当然だと考え、少しずつ分けて歩くことにしました。山の辺の道の全てを歩く前に、まず、山の辺の道ではありませんが、猿沢池から桜井まで、ほぼ直線に歩きました。午後から歩き始めて、なんとか夕暮れまでに桜井につくという歩き方でした。猿沢池から元興寺の近くを通り、その後はJR沿いのほぼ真っすぐな道で20kmほどありました。この道は、昔からの生活道に当たるのでしょう(上ツ道?)。歩きやすい道でした。

 山の辺の道は、いくつかに分けて歩いていくことにしました。①~④に分けて、少しずつ歩いていきます。よく案内掲示が整っていて、地図を殆ど見なくても迷うことはありません。

①春日大社~新薬師寺

②新薬師寺~白毫寺

③天理駅~石上神社~白川ダム~櫟本駅

④白毫寺~白川ダム   

 

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2016年6月11日の土曜日に東京のこぎつね大学大学院で話して、その時いろいろ考えたこと、気が付いたことを、奈良こぎつね短大、大阪こぎつね大学のお便りにも書くことにしました。この晴歩雨読にも、その一部を転記し、さらにもう少し書き足してみたいと思います。

 

▼先日、東京のこぎつね大学大学院で「自律的な学習」について院生にお話をしてきました。また、5月末の土曜日には、京都こぎつね大学の院生にも話をしました。夏には、舞鶴の先生方、奈良市の先生方、枚方市の先生方にも、話しに行きます。 

 こぎつね短大の皆さんには、独自学習・相互学習のこと、朝の元気調べ、自由研究、おたずね、めあてとふりかえり、などについて、時間をかけてお話をしていて、ある程度、自律的な学習のよさについて、理解をしてもらっていると思います。院生に向けての2時間ほどの講座では、こぎつね小学校の自律的な学習法が、きちんと伝わっているか心配です。

 東京のこぎつね大学の院生たちにも、講義の後、感想やおたずねを述べてもらいました。「一気に話を聞いて衝撃的である」「どのように始めたら子ども達が主体的になるのか」「最初は何から始めるとよいのか」「ほかの学校と違う一番大切な取り組みは何か」「公立校では本当にこのような子どもに育てる実践ができるのか」、など、これまでの皆さんと同じようなおたずねをしていました。教職大学院ですので、現場の先生も混じっています。

 まず、公立校でも子どもが進める学習が可能なのかというおたずねに答えました。ます、私が、子どもと同じ机にすわり、子どもと同じ目の高さになって学習を始めることが大事だということです。そして、そのような学習を始めたのは、私が28歳の頃の公立校であったということです。きっかけは、ハーバードの授業の様子をテレビで見たことでした。ハーバードの先生はほとんど教えないで、学生を次々に指名して「君はどう考えるのかな」と、学生の考えを引き出して交流させるのが主な活動でした。それまでは、大学は講義を聞く所というイメージを持っていたのですが、教えず、考えさせる学習でした。考えるということを学ばせる学習場でした。相互指名ができる小学校の学級では、適切なテーマと環境があれば、子どもが進め、子どもが考え合う学習ができるということに気が付きました。早速、翌日から、子どもの話し合いの輪の中に入り、最初はテーマを与えて話し合いの学習を始めました。教師が与えるテーマで学習が進むにつれて、子ども自身が話し合う課題(学習問題)を創ることができると分かってきました。子ども達の話し合いの中で、今日の学習の要点に関わるおたずねが子どもから出されてきて、それらが解決されるように、子どもが主体的に追究を進められるようになっていきました。

 しかし、子どもが進める学習を始めるには、かなり高度な教師の技術も必要です。新任の最初は、しっかり話して、教え込んで、なおかつ楽しい学習を進めることです。子どもが楽しいという学習ができるようになると、子ども同士の力で学び合い、学力のつく学習に向けて、教師の話す時間(教師の出)を減らしていくことができます。よい学びの環境を作ることができるようになると、教師があまり話さなくても、子ども達同士が質の高い話し合いができるようになります。しっかり教え込み、なおかつ楽しい学習を作ることが基本的にできない先生は、子ども自身の力で進める学習を創ることはできません。なぜなら、「子どもが楽しめる学習という状況」を理解できていない人には、子どもが主体的に学ぶ楽しさを感じる学習環境を創ることができないからです。

 教師自身が、学びのプロ、学習を楽しめるプロになることが大切です。学習嫌いの教師には、楽しい学習、子どもが自律した学習はできません。