こぎつね研究室を開設 2016年4月10日(日)
小学校を退職して、4月から附属幼稚園で非常勤教諭として週20時間務めることになりました。とても幸せな再雇用です。教え子の子どもたちは、成長して上の学年、中学、高校、大学へと進んでいきますが、私は、逆に下へ下へと進んでいきます。教育の原点のところ、人が人として目覚めるところがどうあるのかを知りたいというのが、今の気持ちです。人に出会い、物に出合い、どのように言葉を習得していくのか、そして文化をどのように学んでいくのでしょうか。さらに、それぞれ個人の能力を、どのように伸ばしていくのかについて興味があります。
科学にどのようにふれさせるのかということを、まずは一番の仕事と考えます。さらに、文科省研究開発の指定校になっているので、その支援もできるかもしれません。ホームページの更新もお手伝いできます。今年は幸せなことに、何をしてもよいと言われています。しかし、その成果を一定期間後には出せるようにする計画も、もちろん必要です。そこで、まず考えたことは、幼稚園にいる毎日4時間、一週間20時間で、子どもと共に展示や掲示を作り、実物観察をしていくようにしようと考えました。週に20時間もあるので、有効に使うと、子どもと一緒に多くの活動ができます。ものを詳しく見る視点につながると考えます。特別に、子どもを育てる仕組みを作らないで、子どもがしていることを、一緒に活動するようにしていきます。私が楽しむ、子どもも楽しむことをします。こぎつね研究室がいよいよ始まりました。
4月11〜15日 春の植物・・・・春の雑草、花壇の花、花のつくり、植物あそびなど。
18〜22日 恐竜・・・・・・バージェスの展示に合わせて、恐竜の紹介。化石も紹介。
25〜29日 石、土・・・・・連休中に石集めをしてもらえるように、興味を持たせる。
5月 9〜13日 昆虫・・・・・・昆虫採集が始められるので、それに合わせて飼育を試みる。
16〜20日 チョウ・・・・・チョウの幼虫から羽化について観察できるようにする。
23〜27日 メダカ・・・・・メダカの飼育と、卵の観察。
30〜 3日 花・・・・・・・花のつくり。花粉。受粉。
まず、一週目。子どもと共に、花壇の植物のラベル作りができます。雑草は、瓶に入れて、名前を付けました。押し花、植物の写真の展示。根、茎、葉と、さらに花、実、種、花の分解なども子どもと取り組むことができます。雨のかからない外に、机を準備して、ファーブルのように常に野外にいて、自然の記録をしていくことが楽しくなります。まずは、本棚にある『ファーブル植物記』を見直さないといけないと思います。書類と報告、維持管理に追われていた副校長の仕事から解放されたのだから、本来の理科の研究に早くもどらないといけません。忘れかけていた、理科の研究者になることができます。
こぎつね研究室の活動はどこでもできます。幼稚園の広い遊戯室の隅、絵本の部屋、花壇の横、教員の会議室。小学校の理科室へも道具を貸してもらいに行くことができます。小学校の花壇も使えるかもしれません。幼小の連携を図るのも仕事なので、その特権を使わせていただきます。22年間もいたので、隅々まで知っています。また、しごと学習で取り組んだ、奈良全体のフィールドワークも活用していくことができます。今、読んでいる『空海の風景』(司馬遼太郎)は、平城京から平安京時代の奈良の理解、奈良仏教と空海、最澄の理解に大切な書物です。街道、古道、地形、天文なども含めて、幼稚園における科学教育を進めていくことができます。
2016年4月9日(土)の午後から、高野街道(天見駅~三日市駅)を歩きました。「愉快・爽快 空海ウォーク」という西高野街道観光キャンペーン協議会が出しているパンフレットが少し前から机の上にあって気になっていたので、土曜日の昼食後、お天気も良いので、中百舌鳥駅から電車に乗ってふらっと出かけることにしました。
高野街道は、京都からの「東高野街道」、守口からの「中高野街道」と、堺・大小路からの「西高野街道」があって、それら三つの道が河内長野で一つになり、そこから南へ山間部へと進み、三日市町、美加の台、千早口、天見と石川沿いにさかのぼり、紀見峠を越えて、聖地高野山へと続きます。机上にあるパンフレットによれば、「西高野街道は、室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣道となり、江戸時代には天下の台所と言われた大阪、堺の町人の米・酒・綿などの通商の幹線道として大変賑わいました。」「西高野街道には、起点の堺市大小路橋から不動坂口女人堂との間に、ほぼ一里ごとに十三基の里石が建ち、今もすべて現存。十三里石から、十二、十一と里石を辿って高野山へいくのも街道を歩く楽しみの一つです。」と書かれています。堺市の我が家の近くには西高野街道が通っていて、本来なら里石を辿って、大小路から歩いて行くところですが、今回は花見を目当てに、紀見峠手前の道を数キロ歩くことにしました。
岩湧山と金剛山の間の峠を紀見峠と言い、天見駅は、その峠手前の山が両側から迫った谷合の小さな駅です。近くに、天見温泉南天荘があります。この南天荘は、東京駅の設計で有名な明治の建築家「辰野金吾」が設計していて、国の有形登録文化財に指定されています。中に入ったことはありませんが、前からあることは知っています。駅のすぐ横を通っている舗装された遊歩道が、今回歩く高野街道のようです。とても静かで歩きやすい道です。おそらく昔の高野街道は、この道からもう少し川沿いの細い道であったかと思われます。今は、現代の私たちが歩きやすいように、よく整備されています。桜の咲く行楽日和なのに、この道を歩いてすれ違った人は、わずか三組ほどだけでした。行楽には花の名所に出かけているか、またUSJなどへ行っているのでしょうか、この自然たっぷりの道は、ほぼ貸し切り状態でした。
春の峠越えの高野街道は、桜やつつじが彩を添えて、ウグイスの鳴き声が聞こえる、山間の小道です。山の木々は芽吹きの季節で、少しずつ違った萌黄色で、あらゆる緑がそこにはあります。人里に近づくと、畑や田んぼがあり、タンポポ、スミレ、レンゲが咲いています。都会生活をしているものにとって、桃源郷のように感じられます。
三日市町の駅前まで歩きました。三日市町駅前は、昔の佇まいを保存する活動が進められていて、八里石が保存されていました。三日市町から高野山まであと32kmというになります。堺市の大小路に十三里石があるので、堺市からは52kmあるということを示しています。
今回は、天見から三日市町まで、約6kmの街道歩きでした。駅前でコーヒーを飲んで、電車に乗って帰りました。電車一本でいくことができたので、午後からでもちょうどよいお散歩になりました。