室戸岬の地層 2016年4月3日(日)
3月26日(土)から3日間四国へ行きました。家から和歌山港まで娘に車で送ってもらい、8時30分発の船に乗りました。2時間で紀伊水道を横切り、徳島港に着きます。出発の日は寒の戻りで気温が低く、デッキの上でゆっくり景色を見ていられない寒さです。船内の客室へは車を持たない人が先に入れるので、窓際の席に座れました。しかし判断を誤って、進行方向の左側、南よりの席に座ったので、海ばかりでした。北側に座ると淡路島の南海岸に沿って航行するので、変化のある景色を見ることができました。かつて淡路島南海岸沿いは、車で走ったことがあるので残念でした。
徳島港からはバスで徳島駅に行き、そこから、電車(JR牟岐阿佐東線)で2時間10分と、バス60分を乗り継いで、室戸世界ジオパークセンターまで行きました。時間はかかるけれど、自家用車なしでも行けることが体験できました。テレビで見る、ローカル電車、路線バスの旅のようです。
室戸世界ジオパークセンターは、昨年できた建物で、展示もいろいろ工夫されていました。室戸岬周辺で見られる地層のでき方がわかります。
太平洋の玄武岩でできた海洋底プレートの上には、薄く堆積した地層があります。移動するプレート上に乗っかって日本近海に運ばれてきた時、海洋底プレートは日本列島の下に沈み込みますが、その薄く堆積した地層は、はぎ取られて日本列島に付加していくことを、図①は示しています。折りたたまれる具体的な姿は、図②がよくわかります。地層は、複雑にグニャグニャに折り畳まれることになります。Aの折りたたまれた地層の中には、大きな断層がいくつか繰り返して見られます。さらにまた、この図を見ていると、地層の上下がまったく逆転しているところもあることが分かります。複雑に褶曲しているところの地質調査は難しいということです。
ジオパークセンターからは、さらにバスに乗り、数キロ先の室戸岬の先端で降りました。海岸に出ると、天に向かって続くような切り立った地層の重なりが見られます③。まるで、アップルパイの断面のようです。先ほど、ジオパークで見た地層のでき方の図の、一部分を見ていることになります。地層が垂直に立っている様子も理解できます。
海岸の小石を見ると、泥岩の礫がたくさんあります。遠くの海洋底でたまった泥が固まった石なのでしょう。他には、砂岩、石灰岩、そして、サンゴ(現生)のかけらも見られます。波打ち際には、タカラガイの貝殻がたくさん集まっているところもあります。岬から東海岸を北へと歩きました。車道とは別に、海岸沿いに、地層の間を縫うように幅1mほどの観察路が2キロに渡って続いています。 太平洋の玄武岩でできた海洋底プレートの上には、薄く堆積した地層があります。移動するプレート上に乗っかって日本近海に運ばれてきた時、海洋底プレートは日本列島の下に沈み込みますが、その薄く堆積した地層は、はぎ取られて日本列島に付加していくことを、図①は示しています。折りたたまれる具体的な姿は、図②がよくわかります。地層は、複雑にグニャグニャに折り畳まれることになります。Aの折りたたまれた地層の中には、大きな断層がいくつか繰り返して見られます。さらにまた、この図を見ていると、地層の上下がまったく逆転しているところもあることが分かります。複雑に褶曲しているところの地質調査は難しいということです。
今、海岸で見られる地層は、約5000万〜1600万年前に海底に堆積してできたものです。当時の日本列島の山が削られて、川の流れで海まで運ばれた泥が、遠く日本海溝のさらに向こう側まで運ばれて堆積したものです。石灰岩は、海洋底プレート上にできた火山島の回りで造られたサンゴ礁が石化してできたものです。今回は見ていませんが、枕状溶岩もあります。石灰岩や枕状溶岩は、太平洋上にかつてあった火山島又は海底火山が日本海溝のところではぎ取られて、日本の地層の中に取りこまれたものだと考えられます。四国カルスト、秋吉台、平尾台、阿哲台、伊吹山、岐阜赤坂などの有名な石灰岩なども、動く太平洋の海洋底に乗って、はるばる遠くから運ばれてきた島が、日本列島の陸地として取りこまれたものです。
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二日目、朝から再び観察路を歩きました。斑糲岩が地層に接しているところが見られました④。斑糲岩は、海底火山を作る玄武岩質マグマが、地上や海底に噴火しないで、地中でゆっくり固まったものです。白い結晶の斜長石と、黒い結晶の輝石が見られます⑤。斑糲岩に接している泥岩層は、熱変成を受けてホルンフェルスになっていると説明板には書かれてありましたが、小雨降る中での観察だったので、どのようなホルンフェルスになっているのか見つけることが出来ませんでした。
再び、初日バスを降りた岬まで戻ると、雨雲は通り過ぎて青空になりました。室戸岬の灯台と一緒に地層の写真を撮りました⑥。海洋底でこのような大きな地層が徐々に、また地震などで一気に変化をするのだから大変なことなのだろうと思われます。そして、その折り畳まれた地層が深海底から、今見られるように海岸まで持ちあげられてきている地殻変動もすごいことです。数千メートルの上昇がなければ、私たちがここで深海の堆積物を見ることができないのだから、地震が周期的に起こりながら、大地は変化しているということなのでしょう。
室戸は海岸段丘が発達していることでも有名です。灯台があるところが海岸段丘面で、海岸から見ると山の頂のように見えます。実はそこには平面が広く広がっていて、畑作がされているようです。上空から撮影した室戸岬のポスターを見るとそのことがよくわかりました。
海岸段丘について調べると、「隆起地帯に発達した地形であり、海水準変動と地盤隆起の組み合わせにより形成された。そのため、プレートの複雑な、地震の多い地域でも多くみられる段丘である。段丘面はかつての汀線部であり、段丘崖はかつての海食崖にあたる。形成された段丘面・段丘崖は隆起運動により高位に移動し、新しい汀線に沿って新規の段丘面・段丘崖が形成される。このため、高位の段丘面・段丘崖ほど形成時期が古くなっている。」と書かれていました。急激な隆起は、地震を伴うので、段丘地形というのは、地震の化石のような所とも言えるのでしょう。
室戸を後にして、再びバスに乗り、さらに電車に乗り換えて高知に出ました。高知で一泊して、岡山経由で帰阪しました。今回は、お遍路さんが歩く海岸通りを5キロほど歩いた旅でした。初めて、室戸の地層を見ることが出来たので、とてもよかったです。