コンピュータを買う 2015年12月20日(日)
教職最後のボーナスが出たので、ノートタイプのコンピュータを久しぶりに買いました。これまで、仕事用に2~3年に一度、ノートタイプのコンピュータを買い替えてきました。20年間で、何台買ったことか思い出せないくらいです。それより前は、ワープロを使っていました。20年間、ノートパソコンをいつも持ち歩いて、電車の中や喫茶店や出張先で常に使ってきました。時間がない中で、教科書や指導書を書いたり、原稿を書いたり、お便りや日記を書いたりしてきたので、ノートパソコンは手放せない道具でした。特に、お便りは、二日に一枚のペースで子どもたちに、そして保護者に発信していたので、あらゆる場所で書いていました。担任や理科専科教諭として仕事をしている時期は、ノートパソコンが動かなくなると全ての仕事がストップするので、パニックに陥っていまい、修理に出している時間も待てなくて、すぐに新しいものを買うというような状況でした。しかし、最近、主幹教諭や副校長になってからは、職員室や校長室で仕事をするようになって、緊急に文書を作ったり、お便りを出したりするような仕事は、昼間の仕事としてできるようになりました。電車の中や喫茶店でする必要がありません。また、2年前からiPadも持つようになったので、メールがどこでも読めるし返事も出すことができるので、ノートパソコンが壊れたまま2年間過ごしていました。
しかし、ついに、またノートパソコンを買いました。それは、来年から定年退職してフラフラ生活を始めるので、電車の中、図書館、喫茶店で、お便りを書く生活を始める決心をしたからです。家で書いていると、眠くなるし、いろいろ雑用をしてしまうし、一度集中が途切れると書くリズムになかなか戻れないというようなことが予想されます。たぶん、雑踏の中の孤独状況で書くのが、自分にとって一番能率がよいと思います。これまでもそうだったし、これからもそうでしょう。
一昨日(12月13日・日曜日)に買って、昨日ネットをつないでセットアップして、今日から使い始めました。ウィンドウズ10が入っていて、とても起動が早いので気に入りました。また、キーボードのタッチがここちよいので、とても速く打てます。そしてその打つ速さに、変換がきっちり対応してくれます。最近iPadにキーボードを連動させて打つという努力も少ししていましたが、変換が遅くてイライラしていました。しばらくぶりのノートパソコンの手触りに、ワクワクします。晴歩雨読の雑文をいっぱい書けるような予感がします。
ノートパソコン(できるだけ軽い。1㎏以内)の値段は、現在15万円前後です。NECのものは0.75㎏の物もありますが、電池の駆動時間が5時間。購入したバイオは10時間の設定。アップルも、同じような15万円前後で、1㎏のノートタイプがあります。しかし、オフィスのソフトが入っていないので、アップルでワードを使いたいと思うと、あと2万円以上必要だし、自分で入れなければいけません。また、外部出力ポートに関しては、バイオが一番充実しているので、プレゼンをするときは、便利だと思いました。1時間ぐらい売り場を歩き回り3つに絞り込んで比較した結果、やはり、バイオを選びました。バイオは、現在、ソニーから独立しているので、不安がありますが、これまで何台も買ってきていて、やはり使い慣れたバイオにしてしまいました。難波のビックカメラで購入時、持ち帰ることができるのかという条件も大切です。バイオは、一台倉庫にあるといいます。一台というのは嘘かもしれませんが、直ぐに持って帰られるので、その日から使えます。あと数日迷わないで、その場で買うことにしました。これで、しばらく電車の中や喫茶店でコンピュータを使うことができます。晴歩雨読も、余暇に進めることができるのが嬉しいです。退職後の4月からのフラフラ生活に、スムーズに移行していくことができるでしょう。私のような徘徊老人の必需品です。
☆ ★ ☆
『フィールドワーク』(佐藤郁哉1992年)という本を読んでいます。
フィールドノート、フィールド日記、フィールド日誌など、気になる項目が書かれてあり、思わず買ってしまいました。実際は1800円もする本ですが、天牛で280円。これまで、フィールドノートに関する本は、何冊か持っていますが、今回のこの本は、文化人類学の視点から書かれた本です。フィールドノートに関して書かれてあるページから少し書き出しをして考えてみました。
「フィールドノートとは、
① 出来事が起こっている最中にメモ用紙、メモ帳、カードなどに書き込んだメモ。
② ①などをもとに、一日(あるいは数日)の間の観察や考察をまとめ清書した記録。
③ 聞き書きの記録(インタビューの最中のメモおよび録音テープを起こした記録を含む)。
④ 調査の最中につけた日記や日誌。
この四種類のフィールドノートは、そのどれもがフィールドワークの成果を最終的に民族誌としてまとめ上げる上で大切な資料になりますが、中でも二番目の意味でのフィールドノートは、フィールドワークにとって特別の価値を持っています。というのも、フィールドノートブックに書き上げられた記録こそ、私たちが現場の社会や文化の成り立ちをつぶさに記録し、カルチャーショック体験を通してそれを理解し、さらには、それらを後の民族誌としてまとめあげる際の基礎的な資料となるからです。」
「フィールドノートを書き上げる時に、注意しなければならないことが一つあります。それは、その日一日に起きた出来事をその順番どおりに時間を追ってできるだけ網羅的に記録するということです。フィールドノートを何度も読み直して、そのメモから文章を起こすことが、次の作業です。」
「よくフィールドワーカーは先輩から次のようなことを言われたものでした。―― フィールドノートブックは、同じ物三部作っておけ ―― 一冊は万一に備えてとっておく保存用の原本であり、もう一冊は、常に手元に置いて何回も読み返すためのコピーです。そして、三冊目が紙の形のままのデータベースを作る原材料になります。つまり、原本からコピーした数千ページ(時にはそれ以上)の帳面をばらばらにしてしまい、さらにそれを記入項目ごとに糊とハサミで切り貼りしてカードにするのです。この作業によって、雑多な項目やその項目に該当する出来事が、実際に起きた順番で書き込まれたノートブックは、項目別にまとめて整理することができるカードの束になります。」
☆ ★ ☆
フィールドノートは、時間に沿って、事実をできるだけ詳しく、網羅的に書き留めることが大切だと書かれています。なかなかできることではないのですが、「網羅的に書く」ということが、心に残りました。授業記録、子ども記録、理科の観察記録、野外観察記録、旅行記などにとても参考になります。視点を絞って観察することは大切ですが、この本には、「数千ページの記録を分析する」、「何度も読み直す」など、研究はフィールドノートの読み深めと整理として進められるべきとも書かれてありました。研究は、本来たくさんの記録から、すぐに焦点が絞られるべきものではなのでしょう。最初から視点を絞るのは、自分のご都合主義で、少ないデータから主観的、断定的な結果を導き出す危険性があります。
先生方の学習研究の活動とは、フィールドワークを合わせた授業作り集団へと発展していくとよいのでしょう。教師の、フィールドワークとこれまでの経験からの教材化が、子どもの追究の過程になるのでしょう。教師がやっていないことを、子どもにさせられないのは当然です。理科ならば、予備実験をどれだけ多様に進めるかということです。自分でフィールドワークをし、実験観察をしてデータを取り、安全項目や注意項目にも自ら気が付くところから始めないといけません。『フィールドワーク』の本の副題に、「書を持って街へ出よう」と書かれています。生活から学習を立ち上げるような生活をしていきたいと思いました。