歩きと本と地図 2015年8月30日(日)
本を順調?に買い続けています。天牛堺書店は、4日に一度、古本の棚の本を全て入れ替えるので、そのたびに立ち寄り数冊買ってしまいます。先日、退職された先生と話をした時、どんな本を読んでいるのですかと聞かれたので、山歩き、街道歩き、峠歩きの本を選んで買っていると答えました。そうすると、「道を歩いて何が面白いの」と問われ、私としては少し驚いてしまいました。「そこに古代からの道があるから」と、答えたかったけれど、格好良すぎるので、「歴史や人々の暮らしや自然が発見できるから」と答えました。しばらく理解してもらおうといろいろ話をしましたが、「僕にはよさが分からない」と言われてしまいました。その先生は、ゴルフや釣りといった目的がないと遊べない方なんだなと思いました。人の興味は、本当に違っていることを知りました。
理科の専科教諭の時や担任の時、子どもたちにメモ帳や、フィールドノートを持たせていて、見つけたことや考えたことを記録するようにさせていました。自分もこれから落ち着いてフィールドワークができるようになるので、本を読んだり、記録をしたり、歴史と暮らしと自然をつなぎ合わせながら道を歩いていきたいと思っています。最近続けて買っている本は、「ひとり歩いた白い道65歳からの3万キロ行脚(蓮井英乗)」・「歩く学問の達人(中川六平)」・「峠道の歴史探訪(山本さとし)」・「峠路を行く(峰矢敬啓)」・「七つの街道(井伏鱒二)」・「道の古代史(上田正昭)」・「ときどき旅びと(高田宏)」・「野ゆき山ゆき海辺ゆき(高田宏)」・「歩く旅 風まかせ年まかせ(高田宏)」・「歩いた、よかった、ふれあった(田中正八郎)」・「本のある山旅(大森久雄)」・「日本百名山(深田久弥)」・「新編 山と渓谷(田部重治)」・「ちょっと山へ行ってきます(みなみらんぼう)」・「徒然の山(石井貞男)」・「山を歩けば(共同通信社)」・「青春の山想(岡田喜秋)」・「大和まほろばの山旅(内田嘉弘)」・「関西周辺低山ワールドを楽しむ(中庄谷直)」・「中央線私の山旅(横山厚夫)」・「辺境・近境(村上春樹)」・「多摩川水源紀行(大内尚樹)」・「荷風と歩く東京(井上明久)」・「東海自然歩道ウォークガイド」・「西国街道歴史散歩」などです。古本は、たまたまの出会いで見つける本ばかりなので、体系的な読書はできませんが、探せば次々と、興味のある本が見つかるものだと思います。家のあちこちの本棚を探せば、さらに、これまでに買った歩き関係、山関係の本はたくさん出てきます。歩くことをテーマに書いた本は、とてもたくさんあります。家にはまた、これまで買い集めた「街道を行く」(司馬遼太郎)がほぼ全部そろっているので、街道を歩く前に目を通したいと思いっています。まだ、数冊しか読めていないので、退職したら順に読んでいこうと考えています。
昨日は、「本のある生活(高田宏)」と「読書日記(江國滋)」の本を買いました。高田宏さんの本は、とても読みやすく、ほっとさせられます。歩いたり地図を見たり本を読んだりと、興味が同じ方向なので、共感をもって本を読み進めることができます。江國さんの「読書日記」は、本の記録を日記の合間に書いているのが参考になります。生活をしながら本を読んで、その感想や考えたことを日記の中に書いておられます。江國さんがこの本(日記)を書いている年齢の頃には、ご自身の小学生と中学生の子どもがいて、生活の中のいろいろな出来事もでてくるので、さらに共感できます。自分の子どもとの会話や子どもとお出かけしたことなどが書かれていて、自分もそんな頃があったなと、昔をなつかしく思い出すことができます。また、「本のある山旅(大森久雄)」は、自分の歩く山に関した先人の記述や表現をたどり、歩く楽しさを書かれています。本を参考にしながら歩き旅をして、それを、日記として記録しておられます。いい生活だなとつくづく憧れます。
大阪、奈良周辺の、五万分の一、二万五千分の一の地図をかなり持っています。どこの地図を持っているのか整理しなければいけません。歩く時は、その地図をコンビニエンスストアでコピーをして、コピーの地図にルートを書き込んだり、目印を書き込んだりしています。歩く前に、お寺や神社の位置と名前を確認したり、川や橋、山の頂上、電車の駅、大きな道、送電線の位置も確認したりしておくと、地図が頭に入ります。五万分の一の地図しかない場合は、拡大コピーをして、見やすくします。しかし、歩いていて迷った時は、iPadのグーグルマップが、道の太さや分かれ道の形などを正確に表現しているので、とても便利です。細い入り組んだ道では片手にiPadを持って歩いたり、分かれ道では必ずiPadを鞄から取り出して現在地を確かめたりします。歩くときには本当に便利な道具です。車のナビと同じです。さらに、グーグルなどの検索を使うと、電車やバスの時刻表がどこでも調べられるので、時間の無駄なく、一日の旅程を立てることができます。だんだん、歩き方も変わってきています。
昔、地学同好会で巡検に行く前には、地質図のコピーに色鉛筆で色を塗って地質の分布を頭に入れたり、地形図の印刷物を冊子にして計画ルートに赤線を入れたりしていました。最近は、便利な世の中になっていますが、かつて若いころの地学巡検のことを思い出し、地名、お寺、神社、古墳、記念館、資料館、山、川、地形、街並みなど、先にしっかり地図から読み取り、イメージを持って、さらに見る観点を決めてから歩くようにしたいです。
最近、道を歩いていて分かったことがあります。昔からの道は、自然なうねり(ゆらぎ)があるということです。道の方向、幅、高低などに、自然な小さなうねりがあります。まるで、川の流れのようなかんじです。おそらく、昔からの道は、自然の微地形に左右されたり、森林や水の流れに左右されたりしながら、人が歩いたところが道になっているからなのでしょう。定規で線を引いてその通りに道を計画的に造ったものではなく、人の生活と生活をつなぐ自然発生的な道が古代からの道なのです。そのような道は、今でも、山際や谷筋では当たり前にみられるけれど、町の中に、うねりのある細い道を見つけるととても嬉しくなります。細い道で、それが、うねりながら比較的長くつながり、さらに、お寺や神社がその道沿いにあれば、自信を持って古道であるといえます。古代の人たちは、この道を通って生活したり、旅に出かけたり、戦をしたりしていたのだなあと、考えがいろいろ膨らんでしまいます。
今はまだ、忙しい仕事の合間に歩いているので、見つけたことをメモして、そのメモを文章にする時間がありません。健康のために歩くことを主な目的にしています。しかし、もう歩き始めて10年ほどになるので、大阪や奈良の道には少し詳しくなってきました。また、歩くときの服装や道具や歩き方についても分かってきました。まず、35度を超える日は歩いてはいけない。30度前後の場合でも、歩く時は、飲み物をしっかり準備し、帽子、着替えを持って歩くようにします。どこでも飲み物が買えると思っていると、峠越えなどの場合には、自動販売機に出会わないことがあります。さらに、地方の無人駅には、コンビニも、自動販売機もない場合もありました。出かける前から水筒の準備が必要です。持ち物一覧は、飲み物、地図、iPad、携帯電話、方位磁石、万歩計、カメラ、メモ帳、ペン、お金、タオル、着替え、雨具、虫刺されなどの薬、バンドエイド、少しのお菓子などです。最近は、殆どが街道歩きなので、昼食は駅に着いてから食べるようにしていて持ち歩くことはほぼありません。将来、近畿を離れて、長い距離の街道歩きなどをし始めると、昼食、宿泊などの心配が必要です。歩くことだけにこだわらず、電車やバスも乗り継ぎ、無理のない楽しい歩き旅をしたいなあと、夢は広がります。明後日からまた、子ども達が登校してきて、日々の仕事が始まります。