晴歩雨読の始まり 2015年7月18日(土)
最近のコンピュータは学習能力が高く、何回か「せいほうどく」と打ち込んでいると「晴歩雨読」と一発で変換するようになりました。「晴耕雨読」が本来の四字熟語ですが、畑や花壇を持たない私が、自分の都合で思いついた四字熟語です。ちなみに、インターネットで「晴耕雨読」を調べると、四字熟語の意味と、ブログの題名にしている人がいることが分かりました。もしやと思い「晴歩雨読」も検索すると、こちらもブログの題名にしている人がいるではありませんか。やはり、同じように考える人がいるのだなと、最初から少し気落ちしました。ちかごろ、山や街道を歩いている人がとても多いので、ウォーカーの方々の間では、「晴歩雨読」は常套句になっているのかもしれません。さらに晴走雨読という、ランナーのブログもあるみたいです。私は、団塊の世代の少し下に当たり、エネルギッシュな団塊の人々の後を、常に追いかけていることになります。30年ほど前のオートキャンプも、昨今の中高年の登山も、団塊の世代の人たちが作った流行です。
まず、「晴歩」について少し書いてみることにします。奈良こぎつね小学校に赴任したのが38歳の時で、家から奈良まで1時間15分ほどかけて通勤するようになりました。仕事も忙しくなり、全く運動をする機会をなくしてしまいました。そのため、隙間の時間を見つけて歩くことを唯一の運動となりました。出張に行くとき少し早く駅に着いて、現地の学校まで数キロ歩いていく、東京に行ったときも早起きして朝から数キロ歩くというようなことを始めました。また、20年ほど前から土日が休日になったので、その2日間の半日、10㎞ほど歩くと体調がいいことも分かってきました。家から天王寺までが10㎞あり、遠くへ出かけて歩く余裕がない時は、家から北へ真っ直ぐ続く道を天王寺まで、トレーニングとして歩くようにしました。元気なころは、1時間40分という最速記録があり、時速6㎞歩きもできていましたが、今は無理です。
歩く距離は、どんどん伸びるもので、家から天王寺が、難波まで、大阪駅までと、13㎞、16㎞と、遠くまで歩けるようになるものです。そこで、一度、鶴橋駅から生駒山の暗峠(くらがりとうげ)を越えて近鉄奈良駅までの伊勢街道を歩きました。峠越えの30㎞です。昔、平城京の人たちが難波の港まで歩いた道で、おそらく遣唐使船に乗る空海たちも、平城京で出発の儀式をして暗峠を越えて遣唐使船の出航する難波まで歩いていたのでしょう。この道は、伊勢街道と言われていて、起点の玉造神社から暗峠を超えて猿沢の池に至り、そこから南へ向かい、桜井で再び東を目指し、榛原から曽爾高原を越えて伊勢へ至る160㎞の道の一部に当たります。私はまだ、伊勢まで至っていません。
次に、あちこち街道を探して歩くことも始めました。西高野街道、竹内街道、長尾街道、熊野街道、紀州街道などが近くを通っています。竹内街道のすぐ近くに住んでいるので、時々リュックを背負った一人歩きのおじさんや、数人の中高年男女の団体が歩いているのに出会うこともあります。私と同じように、地図を片手に歩いているので、街道歩きの方々なのだとすぐに分かります。
大阪・奈良には、上の5つの街道の他にもたくさんあります。西国街道、京街道、東海道、葛城古道、山背古道、山の辺の道などがあり、さらに、京都から吉野へ向かう道、飛鳥と平城京をつなぐ道もあります。いろいろ歩き始めると、川沿いの道も歩きやすいことが分かり、これらも昔の人たちの通り道であることがわかってきました。さらに、山の尾根を歩くと、ダイヤモンドトレイル、東海自然歩道、六甲トレイルなどのロングトレイルがあり、山歩きが大好きな人たちが整備した道の標識が立てられています。
街道を歩くと、神社や古いお寺や家並みに興味が向くようになります。道は、人が歩いてできるもので、生活に必要な物資の交易や、文化や政治の交流の通路です。道の脇には、店や宿が発達し、町ができたのでしょう。2万5000分の1の地形図を見ると、細くて、少しうねうねしながらも長く続いている道は、かなり古代からの道である可能性が高いことが分かってきました。そのような道に沿って、神社やお寺があり、古墳などもあれば、それは古代の道です。自分が発見したように書いてますが、街道歩きの人たちには、当たり前のことなのでしょう。
これまで、あちこちの街道を探して歩いてきていますが、日々の仕事が忙しく、地図に赤線を引くぐらいで、全く文章の記録をしてきませんでした。これから、この『晴歩雨読』に、歩いて楽しい道のことを記録していけたらいいなあと思っています。さらに、趣味の地層や岩石や地形や火山などの観察コースについても書いていけると、少しは、理科教育に貢献できるのではないかとも思っています。
つぎに「雨読」について、書いてみましょう。退職をすると、教育関係の本ではなくて、読みたい本を心置きなく読めるのが幸せかなと思っています。これまでも、難波駅近くに大型書店のジュンク堂が2つもあって、またその中間には古本老舗の天地書店もあり、難波地下街にはさらに2つ本屋があるので、いつも回遊魚のようにそれらの本屋を回り、本を探し求め読んできました。最近、天牛堺書店という古本と新本を扱う店が、地下鉄難波駅の改札近くにできたので、ほぼ毎日立ち寄り、古本を中心に本を買うようになりました。天牛堺書店は、4日間で古本の棚をすべて入れ替えるので、4日ごとに新顔の古本に出会うことになります。また、その天牛堺書店は、家の近くのホームセンターの中と、中百舌鳥駅にもあり、合計3つの古本屋を回ることができます。難波にはブックオフの大きな古書店もありますが、なぜか天牛堺書店の方が本を見つける楽しさがあるので、最近はブックオフには殆ど行かなくなりました。天牛で、週に3冊ほど買ってしまうので、読めない本がたまってしまいます。少し買うペースを減らさないと置くところがなくなります。
退職をすると、今以上本を増やさないためにも、図書館で本を借りて読むようにしようかなとも思います。図書館は、探せばあちこちにありますが、学生の頃からよく行っていたのが堺市中央図書館(60万冊)、そして、大阪市中央図書館(200万冊)です。大阪府中央図書館も200万冊蔵書と大きいけれど、家からは遠いのであまり行かないと思います。一番近くにあるのが堺市北図書館(18万冊)なので、多分そこを中心に雨読生活をしているのではないかと思います。先日、図書館に行くために、昔作った図書カードを鞄に入れました。自転車も買いました。図書館には思っていたより本があります。余りの多さに圧倒されそうになります。