おたよりを書く 20171219日(火)

 

お便りは、教育を進める上でとても大切な仕事です。先生と子ども、先生と家庭をつなぐ絆の証のようなものです。今進めている教育の質を問い、これからどのように進めていくかについて、話しかけるように書きます。怖いのは、先生の教養、文化、生き方が、全て現れるということです。でも、持てるもの全てを出して書かないと、読んでもらえるお便りにはなりません。お便りを書く事で、先生(自分)が高められ、結果として子ども達が高められるようにしていきたいものです。

これまで、教師になって2年目からずっと、お便りを出し続けてきました。科学教育研究所にいた4年間を除いた33年間、お便りをずっと書いてきたことになります。また、そのうちの奈良のこぎつね小学校の22年間のお便りは、ブログ「きつねTのこぎつねだより」に掲載しました。それは、学級便り「こぎつねだより」「こぎつねさんぽ」・学年便り「まほろば」・理科だより「まほろば科学館だより」「こぎつねノート」・学校便り「附小だより」などです。 

 今日は、どのようなテーマでもよいので、冬休み前の、お便りを書いてみましょう。保護者と子ども(中学年ぐらい)が読めるような内容で書いてください。以下の「時間を大切に生きる」のお便りは、大学生のみなさんが読むようなお便りとして書いてみました。お便りは、誰が読むのかを想定して書くようにします。なぜなら、語りかけるように書く事が大切だからです。

お便りは書き続けることも大切です。ネタ切れにならないためには、探究的な生活を日々しないと、毎週A4一、二枚書くのは大変です。これからの、みなさんの教師人生38年間、お便りを書き続けることは、とても大切な活動となります。それは、先生としての足跡であり、生き方の記録にもなるのです。今回、みなさんが書くお便りは、そのスタートの一枚です。頑張って書きましょう。

 

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大学こぎつね達へ

時間を大切に生きる

 

一日の時間をどのように使うかで、日々の学びが積み上がります。毎日、少しでも続けることが個人の成長になります。基本的な生活習慣、自己研鑽、体力作り、トレーニング、読書など、毎日積み上げている人は、確実に自分が成長していることが分かり、実感のある日々を送ることができています。そのためには、計画を立てることが大切です。今日のめあて、これからのめあてを持つということです。

健康的に生活をしていることが、時間を大切にしながら生活ができる一番の要件です。健康が損なわれるとすべてが進められなくなり、何もする気がなくなります。健康を維持するには、規則正しい生活をすること、食べ過ぎないで、バランスのよい食事をすることです。それから、適度に運動をすることでしょう。少なめに食べて、運動をする。これが、時間を大切に使うための根底にあります。村上春樹さんのインタビュー集19972009「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読んで、そのことがよくわかりました。朝4時から午前9時まで5時間ほど毎日仕事をして、そのあとは、走る、泳ぐ、自転車に乗るという運動を毎日し、夜は9時には寝るという生活です。土日も、ずっと同じ生活をして、長編小説を書くというのが、村上春樹さんの生活です。海外で生活をしている時も、同じような生活をしていて、何処にいても、同じ生活スタイルで、仕事をやり続けることができるようです。そして、午前9時以降は、仕事はしないということです。走りながら小説のことについて考えるのかというインタビューには、殆ど考えないと答えておられました。仕事の時間に、集中して小説を書き、机の引き出しにしまうと、そのあとは考えないという生活だそうです。生きる時間のバランスを大切にしているなと思います。今はコンピュータで書いておられると思うので、電源を切るということなのでしょう。 

この村上春樹さんの小説の書き方を知り、読書をコンスタントに続けるには、毎日読む時間を決めることも大切だと思いました。運動と同じで、読み続けることが大切です。読み続けると読む力が付きます。少し難しい本も、読み続けられます。しかし、少し読まない日が続くと、読む力が落ちて、読むスピードも遅くなります。村上春樹さんが毎日小説を書くのと同じように、計画的に読むと、続けられ、結果としていろいろな本を読むことができます。読むのは仕事ではないので、テレビを見てしまっている時間を、それに充てるようにするのがよいのでしょう。しかし、それは難しいことです。私はこれまでずっと電車通勤が長いので、通勤時間に読書をしていたのですが、これから退職して毎日通勤しなくなると、読書の時間をきちんと決めないとできないようになります。毎日、本を読む場所と時間を作るようにしないといけないなと考えます。電車が一番よいので、地下鉄に乗って本を読むのがよいのかなと思いました。冷暖房完備で、椅子も座りやすいので、とてもいい感じです。珈琲大好きの私にとって、地下鉄構内には、今の所、喫茶店がないのでこれが問題点ですが、思っていると、いずれできると思います。図書館は、行き場のない老人のたまり場のようで、雰囲気が良くないし、公園のベンチも、冬は寒いし夏は蚊に悩まされ、良い時期が殆どありません。電車読書はいいです。最近地下鉄は、私鉄と相互乗り入れをしているので、京都にも奈良にも行けるのではないかなと思います。本を読むために電車に乗るのは、一番安上がりの読書室になるような気がしてきました。また、電車読書に合わせて、天気の良い日は、知らない駅で降りて、そこの周辺を歩くというのもいいなあと思います。まずは、地下鉄を端から端まで乗るようにして行動エリアを広げていきたいです。自分の時間、自分のために生きることを大切にしようと思います。

教室で授業をしていて、ふとした機会に「何のために学習をするのか」ということを、子どもが聞くことがあります。疑問に思うようです。「何のために生きているのか」と対になるおたずねです。さらに、「なぜ世の中があるのか、なぜ宇宙はあるのか、生命はなぜいるのか」、というような疑問にもつながります。そこは、分からないことだらけです。「この宇宙は誰かが書いたプログラムでできている虚像だ」と考えている学者を、最近テレビで知りました。電源が切れると、一気にすべてが無くなるというものです。また、ノーベル賞作家のイシグロさんの本「わたしを離さないで」も、何のために生きているのか、何のために子ども達は学ぶのか、ということが、テーマだと思いました。子ども達は、「提供」のために生きているのではないのです。

「何のために学ぶのか」という答えは、多分、自分がより豊かな生活をするためと答えるしかありません。それは、よい会社に就職するためということではなく、生きている時間、生かされている時間、いろいろなことを考えながら自分が豊かに生きるため、ということだと思います。学習をしないと、戦国時代のようになり、話し合いでなく、腕力がすべての世の中になります。一部の人に支配された、多くの単なる労働者、消費者、戦闘員のような世の中になってしまいます。一人ひとりの幸せを確保するために、一人ひとりが歴史や科学や社会学や教育を学び、自分で考えを持ち判断する人として生活をするためだと、子ども達に教えましょう。

学びたいのに、学びを取り上げられた人達は、自分の生活を自ら改革、発展させることはできません。海外からのニュースは、世界には、劣悪な環境の中で生活を強いられている人達、極度の貧困の中で食べることだけで精いっぱいの人達がいることを伝えています。教育どころではありません。迫害の中で、死なないで生きていくことの大変さが伝わります。彼らは、そのような生活を、自分達で選んだわけでなく、また、自然になったわけでもなく、それは、社会的に造られた状況なのです。支配層になった人は、さらに自分の権限を強めようと、一部の人を、また、多くの支配している人を、力と恐怖心で抑え込もうとします。そのためには、教育と法律を支配する側の人のために機能させていくようにします。恐怖と合わせた思想の統制です。

教育は大切です。一人ひとりが、自分の考え、個性に沿って、それぞれが学び続けるような環境を作ることです。一見平和な先進国でも、考えなければならないことがあります。学生は寝ているだけで、学習が進んでいくのは、もしかしたら、とても都合がいいことかもしれません。学びをそれほど与えなくても、お金を払ってくれて、文句を言わないで、卒業してくれるのです。しかし、教育に期待しない学習環境をつくることは、堕落した世の中の始まりです。いろいろな事実から、世の中の知識や現象や歴史から、自ら考えを学び取っていく学生を育てることが、教育の大切な所です。

先生から学ぶことだけを、期待していてはいけません。自分で学び続けること、自分で学び取ること、自分で伸びて行くことが大切です。その時にヒントをくれる人が先生です。また、「いいね」、「がんばろう」、「ちょっとちがうかな」、とパワーを与えるのが先生の仕事です。学びの本体は、自分にあります。自分が行動して、自分で表現して、創り上げていくのが学びです。

子ども達が、自分の言葉と文脈で、「考え」を話すように育てることが大切です。小学校、中学校のよくある授業では、先生が多く話して、子どもは単語で答えます。知識を確かめるペーパーテストと同じ形です。分かった?覚えておきなさいね、というような授業を、多くの先生はしています。

考えを引き出すためには、考えさせる習慣が大切です。考えさせるためには、子どもが自分で行動しなければ、考えは出てきません。個性的な行動、個性的な表現をする中で、その人が育ち、それぞれが考えを持つことができるようになります。ゲームをしている、寝ている、しゃべっている、バイトをしているだけの人生にしてしまってはいけません。世の中の多くのしくみは、心地よく搾取するために作られているのですから、だまされてはいけません。

行動しましょう。考えましょう。創造しましょう。自分の足で歩き始めると、案外、どこへでも行けるものです。自分で創ると、意外と何でもできるものです。自分の時間を、自分が使いましょう。

 

<前回の学習のふりかえり>  「村上春樹のような文章に近づこう!」きつねTの目標

 今日の自分のめあてが「ノート作りをしっかりする。」でした。今日の発表をメモしている中で、明らかに書くスピードと発表者の発言を聞き取るスピードが早くなっていて、まとめ方も上達しているのかなと、昔のプリントを見て思いました。今日で、この授業も12回目で、後半になっています。やはり、毎週続けていると、しっかり身に付いてきて、上達するのだなと思いました。人の意見を聞きながら、見ながら、感じながらメモをとる大切さを、改めて知ることができました。(Re:メモは、自分の学習です。フィールドワークですね。それがないと、学んでいないことと一緒です。学者は記録を残します。)

 それぞれ発表者一人ひとりが、一つの事に注目を当てて、それぞれの個性を出して、思っていることを授業に出そうとしていて、とても面白かったです。自分達の知らないことを、授業を通して自分達で発見していく、これぞ自分からの学びであるなと私は感心しました。知らないことを子ども達と一緒に探していくことは、先生自身も発見につながるのではないか。生活科は理科につながる部分がとても大きいと、この生活科の授業を受けていて分かりました。今までの自由研究がそれを現わしているのではないかと思います。個性が大事、個性を尊重すべきと、いろいろな授業で言われていますが、個性が分からない子や、出すのが苦手な子も、こういう生活を通して、自分自身を見つめ合うきっかけにもなればいいなと思います。(Re:生活科は、理科、社会、総合的な学習へとつながります。)

 個性がすごく出ていて面白かったです。私が思ったことのほかに、全然違う角度からの意見が飛び出したりして、皆で協力して授業を行えば、どれだけ楽しい生活の学習ができるか、わくわくしました。家で生活の課題をするために、何かを調べ始めるときりがないくらい、次から次へと調べたくなります。時間を忘れるくらい楽しいです。それが、「秋」や「季節」という、適度にゆるい制限の中でのことだからやりやすいのかなと思います。これを調べなさいも、自主性がなく面白くないし、なんでもいいよーだと、何にすればいいのか分からない子も多いかもしれません。良い範囲で、誰もが取り組みやすいような工夫も、すごく大切だなと思いました。でも、私たちはもう小学生ではないので、自分の興味に忠実に、知りたいことを知ろうという意欲で、学ぶのが一番楽しいのかな。(Re:ゆるいテーマで、広い取り組みがなされ、個性的な創意工夫が生まれます。同じこと、同じものを作らせる実践にならないように。)

 みんなとても良い発表でした。この90分間で、こんなにもたくさんのことが学べたことに、自分でも驚きです。友達の発表が、こんなにもスッと頭に入ってくることに驚くと共に、知識が増えたことに喜びも感じます。みんないろんなことを調べていて、本当に生活科の授業は幅広いなと改めて感じることができました。発表を聞きながらメモをしていて同時に「私ならここはこうするな」、と考えるようにもなりました。また、「このような授業をしたい」とか「この内容の授業をしてみたい」とも思いました。やってみたい授業をノートに書いてみて、将来に役立つものを作っておこうかなと思いました。身近な物なのに、知らなかったことも知れて面白かったです。今日は、発表を聞いて、いろんなものを吸収できて、深い学びができました。(Re:90分、自分がそこから何を学ぶか。勝負の時間ですね。)

 これまでの授業で、教師側が工夫をし、子ども達に興味や関心を持ってもらう努力をするということを学んできたが、私たち大学生は、教師に工夫してもらうのを待っているだけではいけないと感じた。自分自身で、その授業からどれだけのことを学べるかが大切であり、疑問や考えを持って、その学習を深めていけるようにならなければいけないと改めて思った。生活科では、授業内の課題をして「ふりかえり」を書いているが、他の授業では書いていない。自分自身が学んだことをふり返り、自分の力とするためには、他の授業であっても、自主的に「ふりかえり」をしていきたいなと思った。今回、私は、前で発表する機会があった。自分が見ている、聞いているだけの時は、発表者のやり方や態度に対して、こうするべきだなと、冷静に考えることができていたが、自分が発表するときは、その時に考えていた態度で進めることができなかった。緊張すると、体が揺れてしまったり、髪を触ったりしそうになっていた。今回、気が付くことができた。(Re:ふりかえりは、大切ですね。日記もふりかえりです。ふりかえりのある人は、毎日が自覚的に生きるようになります。授業にも主体的になります。かつて、こぎつね小で講演された大学の先生から、「こぎつね小の子ども達は、目がきらきらしている。学習に目覚めている。」という褒め言葉をいただいたことがあります。)

 みんなの発表を聞いて、みんな先生に向いているなと感じ、私も頑張ろうと思いました。私の中のMVPは、「きつねについて考えよう」という発表です。中身は誰よりもゆるかったと思いますが、子どもを引きつける授業はこういうものなのだと思いました。まわりのみんなは顔をあげ、興味をもって聞いていました。子どもが自由に発言できる場を作ってあげれば、子どもは授業を勝手に進めてくれるのだと思いました。今回、みんなの感想を読んで、みんな将来に不安を感じているのだなと思いました。でも、私はだんだん楽しみになってきています。なぜなら、生活は、今受けている授業の中で「今、私は、夢に向かっていて、みんなも同じ目標を持っている」と一番思える授業だからです。みんながやっていることで、私自身の夢を再確認することができるし、さらに強い気持ちを持つことができます。みんなと同じ夢を持った友達である、ライバルでいられるような授業が増えるといいなと思います。(Re:先生という仕事は、物を作るしごとではなく、人を創るしごとです。とってもやりがいのあるしごとですよ。ぜひ、目標達成してくださいね。応援します。)

 「配られている白い紙に、毎回90分で論文を書く練習をしている」とプリントにのっていて、ハッと気づいた。今まで無意識で、みんなが言うことをメモにとっていて、そして振り返りを書くだけだったが、それが、論文の練習になっているのだという事に気付くことができた。地味にやってきたことが、意味があるということを、改めて思いました。(Re:白い紙一枚に、あらゆる可能性を表現できます。あなた次第ですね。とても上手に書くようになってきました。子どもの全てのノートは、白い紙でいいのかもしれませんね。)

 私は発表にあたって、初めて生活の授業を前に出てしゃべりました。考えていたことが、スムーズに導入できず、私が9割をしゃべってしまい、これでは子どもからすると退屈な授業になって、意欲ダウンにしてしまいます。もっと分かりやすい言葉を使って、みんなに問いかけをしていき、子どもに自分の意見や経験をしゃべらせるような質問を考えるべきだったと感じました。(Re:やってみて初めて分かることってあります。子どもの声、子どもの考えが聞ける先生になってください。子どもの声を構成していきながら学習を創ることができる、創造的な先生、芸術家の先生になろうね。授業は、一つの即興の芸術の域に達すると思います。)

 学習の導入は、今日することを子ども達に言うだけでは導入にならないということが分かりました。いかに先生が子ども達の興味や関心、意欲を引きつけ、子どもがやりたい、楽しみと思う気持ちを生み出せるかが、大切だと分かりました。学習を始めるには、何事もやる気や前向きな姿勢が必要だと私は思います。それを作り出すには、先生が一方的に話しているだけではよくなくて、先生が言ったことや質問に対して、子どもがどれだけたくさんの自分の思いや気持ちを発言できるかが鍵となってくると思います。

 物を作ることに女の子は興味がすぐにわいてくれると思うけど、やんちゃな男の子たちをどれだけ興味を引きつけ「やりたい」と感じてもらうように、最初の導入を工夫するかが大切だと思いました。先生が殆ど話すのではなく、自分のやりたいことをどんどん言えるようにすることが、良い授業になると思います。子ども達ができることを伸ばしてあげるように授業の展開をしっかり考えていこうと思います。私が小学校の時の先生は、自然が大好きな先生でした。自分で自然の村を作ったりして、そこで「まがたま」を作ったりしました。今でもその村があるので、行こうかなと思いました。(Re:一つの学びをきっかけに、その人の行動、意識が広がることは、素敵なことです。このようにして、人は学びを深めてきます。)

 今日の授業は、発表している人が先生になり切っていて、楽しかった。ハキハキ話し始めていた人もいたし、緊張が伝わってくる人もいたけど、みんなそれぞれ内容が面白くて、よく思いついたなと思った。けれど、内容がどれだけ面白くても、授業の導入で子ども達の意欲や集中力を高めないと、いくら面白そうな授業でも、ついていかないと思った。(Re:言葉巧みな人は、案外、話すことで子どもを笑わせて、子どもを引きつけるのですが、それは、子ども主体の学習にならない場合があります。延々漫談のように話して、子どもは延々笑っている中学校の社会の先生がいました。面白いけれど、子ども主体ではありませんね。言葉巧みではない人は、それはそれで、いいのかもしれません。)

(12) 私はいつも、独自学習をしてきて「考察」ってなんだろう、本当にいるのかなと思っていました。でも今日のこぎつね生活を読むと、考察は学習のふりかえりなんだと学びました。ただただ、ふりかえりを書くのではなく、今回で、どんなことが分かったのかを理解していることを書くことが一番大切だと私は思いました。(Re:そうなのですよ。どの教科や活動、全ての学習に振り返りは必要です。)

(13) 学習ノートのふりかえりの意義は、この講義を受けてどんな学びをしたのかの確認だけでなく、お友達の学習の仕方を参考にしたり、自分であればどう生かしていくのかを考えたりする大切な時間であることが分かった。その為にも、先生の発表、お友達の発表をしっかりメモを取ることで、自分で学びとり、充実したふりかえりになると考えます。(Re:お友達のふりかえりから学ぶという事は、互いに子ども同士で学ぶことです。子どもが子どもから学び合うことは、学習の基本です。ふりかえりを毎回読んで、文章をコンピュータで入力するのは、教師はとても手間ですが、教師の仕事の一番大切なことです。子どもが考えて、学習は進むからです。次の計画は、ふりかえりを読みながら、子どもと共に創る。)

(14) 主体的・対話的で深い学びを子ども達が行うことができているかを確認するためには、「ふりかえり」が大事になってくる。大学生では、テーマや予想、結果、考察という難しい言葉で行っているものだが、小学生でもそれを実践することができる。私は、ふりかえりが一番大切だと感じた。なぜなら、今まで自分が学んだことや、友達の発表を聞いて考えたことについて、全てにおいて再び思い出し、考え直す機会だと思うからです。(Re:ふりかえりは、めあてと対になります。良いふりかえりは、次のめあてを引き出します。良いめあては、深い学びをつくります。)

(15)  今回の発表を見ていて、みんなの課題だと思ったことは、まず一つ目に、先生と子どもが半分半分ぐらいで話せるようにすること、二つ目が、子どもが単語で答えないように問いかけをすることだ。これらを直すためには、どうしたらよいのか、私なりに考えてみた。問いかけをクイズっぽくしてみるのはどうだろうか。今回、私は発表ができなかったけれど、設定は「この間、公園に探検に行ったときに、虫が気持ち悪いと触れなかったり、見つけられなかったりした子がいました。その子たちのために、虫の形に慣れようと、自分達で虫を開発してみましょう」というものだった。そして、私は、子ども達も、先生も虫は得意じゃないのよと言い、どうして苦手なのか、そのエピソードを挙げてみようということをしようと思っていた。すると、単語だけで答える方が難しいのではないだろうか。話し方が、後に行くにつれて、先生らしい自然な話し言葉だった。このように、友達の良い所をどんどんまねて、自分のものにして、それをまた、友達がいいなと思ってくれるのが、こぎつねだよりのように、最初の成功なのではないだろうか。(Re:素敵な考察です。)

(16) 今日の発表を見て、先生がおしゃっていたように、単語ではなく、文章で話させることの大事さ、難しさがよく分かった。私も今日、発表で当たっていたので、子どもに何を聞くかについて考えたが、とりあえず何かたずねないといけないと思い過ぎて、文章で話させるという所まで頭が回りませんでした。また、私たちはこの授業で、どんな学びが大事かについて、子ども中心の授業をすべきだと考えていたはずなのに、この学びが全く生かされていないのではないかと思った。こぎつね生活にも書かれていたが、このふりかえり(考察)で、今回どんなことが分かったのかという事も大切であると思うが、この分かったことを今後の学習でどのように生かしていくかも大切であると思う。(Re:大学のあらゆる学習に、ふりかえりを書いていくといいですね。今日分かったこと、次の準備、家で少ししておくこと、いろいろ日記のように、ノートの最後に、文章で記すようにするとよいと思います。その延長上として、先生になったら、教師の日記につながります。私は、教師の日記として、学級のおたよりを、年間100枚ほど、書いていました。)