独自学習と相互学習について 2017年10月31日(火)
前回は、自由研究の発表をグループで聞き合いましたね。素晴らしい「学習のふりかえり」がたくさんあり、「学ぶこと、教師になること、子どもと創る学習の意味」について、理解を深めてきていることが感じられます。まだまだ、「こぎつね小学校」の先生になるには修業が必要ですが、素敵な先生になる一歩を踏み出したと思います。教職課程の大学生らしい文章、大学生らしい学び方になりつつあります。そろそろ、自分達の書いた「学習のふりかえり」が、次の学びの対象になりつつあります。今回はまず、そのふりかえりから、学び合いましょう。
<前回の学習のふりかえり> 大学こぎつね
NK それぞれ、個性的な研究ばかりで、生活のささいなことから、こんなに生活科につなげることができるのだなと改めて実感しました。ささいなことに気付くのは難しいことで、当たり前に過ごしている中で、どれだけ自然に気づけるかということだと思います。子どもを育てるということは、こういう生活の中にある自然を感じさせて、自分でそれを研究することでもあるのかなと思いました。そうすることで、自分で調べて研究しているから忘れないし、これからの自分のためにもなるから、力がつくと思いました。
NT 私のスケジュール帳に毎日3行日記を書いているのですが、過去の自分をふり返ることができてすごく良いと思います。この日に何をしていたか知れるし、自分の文章力も上がってきたかなと感じることができます。自分自身で、自分のことを見返ることが出来るし、今日は何をしていたかなと思い出す時間を作ることにもなるし、今日楽しかったことを思い出して、家族に話してみたり、学習を生活に広げ、生活を学習に広げてみたりするということだなと、私は思いました。
HT 正直、自由研究の宿題が出たときは、大学生になってまで面倒だな思っていたけど、いざやると、何を調べようか考えるのも楽しかったし、クラスのみんなの個性豊かな自由研究が聞けて、私の知識がすごく増えたなと思っています。あと、日記を今日から私も書いてみようかなと思いました。小学1年生が入学式で書いた2行の日記からでも、子どもの特徴が知れたし、その場の風景を思い浮かべることができました。
HZ 生活の発見から新しい知識を得ると、普段授業で学んでいるより頭に残りやすいと感じた。また、生活の発見の中から学んだことなので、他の人に教えても身近に感じられると思った。私が、小学生の時は、生活科は理科と社会が合わさったものだと思っていたけど、子どもが自律的に学ぶための学習であり、理科や社会とは全く別のものだと思った。
HU 自分の意見を発表するという事に加え、聞いた人からの質問に答えることにより、もっと自分の考えを深く振り返ることができたと思う。聞く側の人も、メモを取ったりすることにより、話を聞くことに集中することに加えて、質問を考えるためにより理解しようとすることができるのではないかと思いました。つまり、一度に聞く・書く・理解するという、いろいろな力が身に付くと思い、とてもいい経験になったなと思いました。
HH グループのみんなの自由研究発表を聞いて、たくさんの発見がありました。そして、おたずね自体にも、とても大きな意味があるんだなと感じました。おたずねによって、自分自身も気づけなかったことや、もっともっと深い内容などに気付けて、おたずねする側だけでなく、おたずねされる側も総合的に学習することができたなと思う。これは、子どもを育てるということに、何かしらつながっていると思う。育てているのは自分で、勉強や世間について教えているのも自分なのに、子どもから学ぶことや気づかされることは、思いのほか多いと私は思います。このことに気付き、おたずねの大切さや、学ぶことの多さに、とても感動しました。
MK 私は日記を書いていません。でも、今日のこぎつね日記を読んだとき、日記を書いてみようかなと思いました。なぜかというと、私は私の中で、毎日必死に生きていて、毎日から少しずつ学びをもらって生きていると思っています。だけど、昨日の小さな学びさえも、今は、すっぽりぬけてしまっているからです。あんなに必死に生きていた一日をすぐに忘れてしまっては、必死で生きてくれた昨日以降の私が、あまりにかわいそうだと感じたからです。なので、毎日、少しでもいいので、必死に生きた私のことを文章にして、読み返して、ほめてあげたいです。(Re:必死で生きている足跡を残せるといいですね。きつねTは、必死で教師をしていたころのことは、お便りとして残しました。この夏、ブログ「きつねTのこぎつねだより」に整理することができました。MKさんは、作家の日記のように書くといいですね。いい言葉を紡いでください。)
MH 子どもを育てるには、学習も大切だけど、その学習の中で最も大切なのは、興味関心を持つことだと思います。なぜなら、興味関心を持てば、自然と学び、知識を身に付けて、それを発信する力へと変えられるからです。自分で得た学びは「誰かに教えてあげたい」という気持ちになるし、そしたら、周りも学びに関心を持ち、そして、互いに学び合う環境につながると感じました。教科書に載っている文字や写真は、正直ただの暗号にしか見えないけれど、友達の書いた文字や絵は、不思議と印象に残ります。自由研究をし、発表するという事は、学習に必要なことしかないと言っても過言ではないぐらい、とても効率的で、理想の授業になると思いました。生活から発見すると、なんでも学習に繋がる気がすると、今日思いました。(Re:そうなんです、友達から学んだことは、頭に残りますね。この効果を最大限に生かしていくと、子どもが自律的に学ぶ学習法へと発展します。)
YU 私は、自然について研究をするのは、小学生ぶりだったので、なにかについて調べるのは、とても新鮮でした。でも、好きなことをもっと詳しく知ることができるので、研究はとても勉強になるし、学校では習わないことまで、習うことができるのが、良い所だと思いました。グループでの発表では、人の発表を聞いて、見て書くということを同じペースでしないといけないから、いつもの授業よりも集中力を使うので、とても大変だけど、いいことだと思いました。また、人の発表を聞くことで、自分が知らない情報が数分でたくさん知ることができるというのが、効率よく学べているような気がしました。そして、メモを取ることで、もう一度見直すことができるし、質問することで、さらに知らなかったことを知ることが出来るので、全てに意味があるなあと思いました。研究も日記も、毎日続けていたら、それだけの知識が増えていただろうと思ったので、これから、少しずつでも自然やいろいろなものに目を向けて、日記を書けたらいいなと思いました。
IU 前回発表していると題が同じでも、人によって調べるポイントや考察の違いがあり、自分の中で知識が増えて楽しかったです。子ども達でも、知識を増やす楽しさを味わってもらえるような、自由研究を手助けしたいと思いました。自分で調べるということに、魅力を感じました。たくさん調べて発表して、「初めて知ったー」「そうなんだー」などと言ってもらえた時の達成感を今回味わうことができました。小学生の頃は、こういう感覚を味わった覚えがありませんでした。
IM みんなとても細かく調べていてすごいなと思いました。絵がとても上手で、説明も分かりやすく書かれていました。質問をしても、答えられていてすごいなと思いました。私は、質問されても分からなくて、答えられなかったので、勉強不足だなと思いました。質問を聞かれたら答えないといけないし、予想外の質問が来たりしたので、それを答える先生はすごいんだなと思いました。
OK ただひたすら調べて学習をするのではなく、「生活の中からテーマを見付けて、生活と学習を結びつける事」「自分の考察を書き、学習に深みを持たせて意欲的になること」「レイアウトや絵を工夫して聞き手に伝えるということを意識すること」が大切だと感じました。小学校で自由研究をすることは、その後の学びにつながる重要なきっかけになり、文章力にもつながると思います。中・高・大でも、自由研究をすることで、昔の方の生活、知識を得ることができると思うし、学びが中心の生活は、自分達の糧になると思いました。先生になる私たちが自由研究をすることで、話す立場、聞く立場について考え直しながら、発表を発表するだけに終わらすのではなく、おたずねによる学びの展開によって、学習は無限の可能性を持つことに気付けました。
KM 普段調べものをしたり、本などを使ったりしないので、今回自分で興味を持って取り組めたので、よかったです。おたずね、司会、グループで楽しく発表できました。子どもの頃に学んだり、興味を持ったりしたことは、大きくなっても心のどこかに残っているものなので、大切なことだと思いました。一生懸命自由研究をしてきたことを、教師や大人は、もっともっと膨らませてあげたらいいと思いました。
SK メモを取りながら聞くのがとても難しかったです。自分は聞いたことを長文で書いていて、短く簡潔にまとめる力がないと実感しました。また、書くスピードが遅いので、そこの力も付けたいと思いました。自分が先生になったら、生徒自身が考えたことを発表する機会を多く設けたいと思います。自分が小学生の頃もそうですが、今も、先生がずっとしゃべってプリントしてとかで授業が終わる先生が殆どだと思います。けど、そのような授業ではなく、みんなで考えたり発表したりする時間を増やしたいです。
TM 自分で発表して、まず、5分以内にまとめるのが難しいと感じた。一生懸命調べたのに、たった5分で発表となると、どうすればいいのか焦るし、焦って言葉をかんだりして自己評価が下がる。要するに、良く解ったのは、何度も練習することが大事だということ。良かったのは、自己評価が低くても、自分の発表をしっかり聞いてくれた子の発表には、お礼ではないけれど、しっかり聞こうという気になるし、聞くと気になることも増えるし、おたずねがどんどん出てくるのが分かった。今回は、自然というテーマで自由研究を進めていたが、生活科の学習を創るとなると、自然だけでなく、ものとか、人間とか、いろいろなテーマで調べていくのも楽しいと思う。「私もそれ調べた」「同じだ」この結果でも全然大丈夫だと思った。人それぞれ、どうやって調べたのか、知識がどうあったのかを共有することからこそ、楽しくて面白い学習ができるのだ。学習にこそ、それぞれの性格や個性を出すべきだと思う。
<学習資料>
相互学習のあり方を問う 2014年2月 (学習研究467号より)
1.はじめに
大正時代も現在も、私たちの小学校の教育は、独自で学習を進める力をつけることを目指しています。木下竹次の言うところの「自律的学習法は、いずれの学習者も独自学習から始めて相互学習に進み、さらにいっそう進んだ独自学習に帰入する方法」です。私がこれまで、本校で子どもたちの独自学習力を高める取り組みを進めてきて気づいたことは、相互学習のあり方が、独自学習の一層の力をつけ、学びに方向性や意欲を持たせ、独自の探究力を高めるのではないかということです。ここでは、相互学習のあり方について、これまでの体験から考えてみることにします。
2.相互学習の問題点
最初に、本校での自分自身の20年間の学習の取り組みや、また、着任早々の先生方の研究授業を見る機会を振り返ると、相互学習では、次のような問題点のある学習をしている場合が多々あることを挙げることができます。
①相互学習の時に、教師が殆ど発言しないで、子どもたちだけで論点のない話し合いをつないでいる学習。
②子どもがやりたいという内容をすべて受け入れ、基本的な指導をしないで試行錯誤させ、混乱状況になってしまっている学習。
③子どもたちは独自学習を詳しくしているが、それを脈絡もなく発表しているだけの学習。
④教師はひっぱるような積極的な発言をしないが、教師が進めたい方向に書かれていく板書に沿って、子どもが巧みに意見をつないでいる学習。
⑤けいこ学習なのに、子どものしたいこと、教師のしたいこと、また、身の回りのことだけに取り組んで、そのテーマの意味する大切な所を実は学んでいない学習。
自分自身、これまでこのような学習をしてきたことを思い返し、本当に反省しなければいけないと考えています。また、私が指導に入った学校の先生方に、「自律的な学習」、「独自の学習を育てる」ということを伝えた結果、「教師が教えない学習」というように理解され、教育の進め方に混乱を起こしてしまっている学習になってしまっている場合もありました。
教師が積極的に指導しないが、子どもの学びが深まる相互学習を進めるにはどうすべきなのか、また、相互学習で子どもがどのような学ぶ力をつけるべきなのかなど、大きな課題がそこにはあります。
3.相互学習が学び合いの形だけになっていないか
相互学習は、独自学習と同じく子どもが進め、子どもが互いに学び合う学習場面であると考えます。「独自学習と分団学習を終えて学級学習に入る。学級学習は一団として学習するもので全体によって全体を発達させるところの民衆主義的の学習である。」と木下は相互学習について位置付けています。
前項で挙げた事例について状況を付け加えてみます。
まず、①教師の発言がない、②基本的な指導がないことで混乱を起こしている学習について考えます。子ども主体ということだけを大きく取り上げ過ぎることで、独自学習の弱い子どもたち、また分団学習で吟味のできていない子どもたちが、その場の思い付きで意見を言ったり、参考書やテレビやインターネットや塾などの知識を提案していたりと、広がりすぎる情報の中で、とりとめのない学習になってしまっている学習だといえます。
次に、③独自学習の発表だけの学習、④教師の思いに沿っていく学習の場合です。独自学習を詳しく個別でしているので、それら独自の学びの発表が絡み合わないまま、一方的に調べたことを言うだけの相互学習になってしまうことがよくあります。特に中学年は、思いっきり取り組んできた独自学習を、言いたくてしかたない年頃です。友だちの発表と違う意見を言う、また、付け足しをどんどん膨らませていくだけになって、吟味のない並行した知識の羅列の学習になることがよくあります。また、正反対に、独自学習はしているが、「いい授業」を創ろうという気持ちが働き、教師の表情や板書の進み具合を見計らい、意見を教師の意図に沿わして言っていく相互学習になることもあります。高学年になると、そのような傾向が見られるようになります。
さらに、⑤追究は面白いが、基礎基本が抜けてしまっている学習です。けいこ学習で、自分たちの作った課題追究の学習も進み、話し合いも活発であるが、根本的な所が分かっていない子どもがたくさん出てきてしまう学習になるときがあります。結果として、ペーパーテストなどの、語彙や技能や知識を問う問題には、対応できないような学習になってしまいます。話し合いは活発、独自学習も充実している、活動も詳しく取り組めているが、知識として身についていない問題点のある学習であるといえます。
木下の言葉の中に、「拙劣な教師はたいていその間に何か言葉を挿入して研究の進行を滑らかにし隙間のないようにするが、それがよろしくない。」と書かれています。勿論そのことも大切ですが、子ども自らの学びの教室を創っていこうと意気込んでいる時、この木下のするどい言葉が頭に浮かび、ついつい適切な指導の場面を逃している場合もあると考えます。木下の強い思いに、迷いをきたしています。
相互学習は個人の学習ではなく、組織として学び合い、追究していく力を付けることが大切です。みんなで学び合う中心問題をどのように決めるのか、そして、その問題にどのように取り組むべきなのかが難しいところであると思います。またそこには、教師の働きかけがどのようにあるべきかが問題となります。
4.相互の学びの質を高める理科学習の取り組みとは
木下は、相互学習について次のように述べています。『学習原論』の中の相互学習の節から、興味のある指摘を拾ってみました。
〇相互学習において各児童生徒は必ず各自の独自学習の結果を持参して独自の意思をもって相互学習に参加する。
〇この学習成員中にはおのおのの特徴をことにするものがあって互いに協同してひとつの社会を構成する。
〇教師もその学習集団の一成員としてこれに参加する。教師は共学者であるうえにもちろん教師の職責をもっている。しかし教師はなるべく控目にして表面に立たぬようにしている。
〇教師は学習の背景をなしているがいつでも学習活動に転化する性質を持っている。
〇相互学習のさい各学習者の仕事としては、自分の疑問を提出して解決を乞うことと、自分の意見を提出してその批評を乞うことの二つである。
〇学友がたがいに切磋琢磨するがために分団学習をする。分団学習は学習者の相互研究と主とし、指導を経済的にすることは従とする。
〇学友相互に学習することによって自分の不注意のところを啓発せられ、自分が案外に不徹底であることを発見し、あるいはたがいに他人の仕事を監査し批評することもできる。
木下の言葉と、先に提示した相互学習の問題点を突き合せて考えてみると、次のような、相互学習の質を高める要点、また手だてが見えてきます。
まず相互学習は、独自学習の発表から始まり、互いの疑問や意見を聞きあうことで、矛盾や疑問や対立など追究の種が生まれます。私の研究教科の理科では、調べる事実が多い学習なので、ついつい新たに知った事実の提示だけになってしまいがちです。独自学習の発表から始める相互学習ですが、「事実や知識」の発表ではなくて、「疑問や意見」を提案するための独自学習にしていくことが大切であると分かってきました。ここに、相互学習の質を高める一つの要点があると考えます。
次に、独自学習を徹底して子どもが進めているかということが問われます。教師の個別指導も大切ですが、木下のいう分団学習、現在の私たちの言葉では小グループによる学習が、それぞれの独自学習の不徹底をより少なくすることになると思います。学級全体の相互学習では、発言できる子どもの数も限られてくるので、小グループで独自学習からの「疑問や意見」についての話し合いを進めることが、相互学習の質を高める二つ目の要点であると考えました。そのためには、小グループで話し合いが成立する学級集団であることが、まず問われるところです。
さらに、教師は共学者であり、また、学習の背景をなしていることが大切であると述べています。教師の思いに寄り添う学習ではなく、学びの集団としての「疑問」「追究の課題」を、自分たちの力で見出し、解決できるように、環境を支えるのが教師の働きです。また、実験や観察でも、さらっと分かってしまわないように、立ち止まり、踏みとどまらせ、深く見つめる瞬間を作るのも教師の働きであると考えます。立ち止まる時間と学ぶための環境を整えることが、三つめの相互学習の質を高める要点であると思われます。
今一度、相互学習の質を高める要点や手だてを、私たちが現在使っている言葉でまとめ直してみます。
① 独自学習から「おたずね」を子どもが引き出す。
② 学びの小集団、学級集団を教師が育てる。
③ 踏みとどまる学びの環境と時間を教師が創出する。
教師がすべき事、子どもがすべき事を混同しないで、教師は、学びの集団の在り方、学びの環境の在り方、時間の使い方などに関して、厳しく問われているということが見えてきました。「自律した学習」を育てるには、全て子ども任せ、子どもが言っている通りに行うと考えると、子どもと共に這い回る相互学習になってしまうということです。
5.相互学習を深めるには
「おたずねを持つ」ということに関して、考えてみることにします。「おたずね」は、ものを比較しながらじっくり見る、深く調べる、多面的に考えるところから、生じてくるものであると考えます。独自学習の動機にも、初期の「おたずね」から、追究課題としての「おたずね」があります。また、相互学習では、お友達の発表に対して、知らないことへの「おたずね」や、自分の考えとのずれからの「おたずね」もあります。さらに、いくつも出された「おたずね」に、どのように取り組めばよいのだろうか難しいところです。理科の場合、実験や観察が可能なことと、小学生では高度で難しい内容の場合もよくあります。また、時間の関係で全てを追究課題にすることもできません。その場合、より簡単にできること、より簡単に取り組めることから順序をつけて、始めるようにすることにしました。それは、簡単な実験や観察に関する「おたずね」ほど、基礎的、基本的な問題が表現されているからです。
「学びの集団」を育てるについては、本校の理科室は実験机が五人組なので、五人の集団を基本としています。小集団の話し合いの時は、五人の中で司会を決めて話し合いを進めるようにします。実験は、五人で進める場合と、二人と三人に分けて取り組む場合があります。出来るだけ個人実験に近づけるため、二人、三人のグループで取り組むようにします。また、課題別でグループを決めて取り組んだり、気の合う友達同士が組んで実験を進めたりする場合もつくります。個々人の独自学習を育てることの大切さと同じく、小グループの取り組みや話し合いを育てることはとても大切です。学びの学級集団の基本は、個人ではなくて、二~三人の集まりとして考えると、子ども集団の学び合いの育ちはさらに高まるように思います。しかし、これは単なる形ではなく、日頃からの追究的な学級の雰囲気、一人ひとりの自立、互いの信頼など、理科だけでない全生活の中で互いを認め合う学びの集団を育てる必要があります。
「学びの環境と時間」については、教師が整え、子ども達に見通しを持たせなければならないと考えます。このことは、小学校では、殆ど教師の責任としての領域です。整理整頓され、道具器具の整ったよい学びの環境と準備、そして、立ち止まる瞬間の設定、深く話し合う豊かな時間など、マネージメントとしての教師のセンスが問われるところであると思います。
6.おわりに
私たちの学校の学習の力強さは、独自学習を踏まえた相互学習にあると考えます。他の学校の先生方によく見ていただく研究会・発表会の学習場面は相互学習の場面が多いのですが、実は、その背景としての独自学習がしっかりあっての相互学習なのです。相互学習の進め方の形だけを真似ていただいても、子どもが自ら進める学習はできません。また、質の高い相互学習を求める事こそ、子どもの自立した独自学習を育てる事にもなります。
相互学習を育てるのはなかなか難しい問題ですが、今回、「おたずね」「学びの集団」を育て、「学びの環境と時間」を適切に整えることが、相互学習を育て、次なる独自の学習力を育む要件であると、私はこの主題をまとめることで、考えることができました。
引用文献
木下竹次『学習原論』(原著大正12年・目黒書店発行、引用は1972年・明治図書出版より)