「おたずね」と「めあて」 2006年10月
1.おたずね
我が校には、発表をしたり、意見を言ったりすると、「おたずねはないですか」と、聞く文化があります。これは、コミュニケーションの始まりのとても大切な言葉です。聞かれた側の子ども達は「おたずねをします」と前置きをして、自分の聞きたい内容を話します。丁寧でゆったりとした学びの時間が流れていきます。
「質問はありませんか」と聞くのと、「おたずねはありませんか」と聞くのは、意味的には同じなのですが、語彙的には「尋ねる、訪ねる」の両方が含まれるような気がしています。相手の心に訪問して、お話を伺うというような、相手を思いやる気持ちを含んでいるように思えてなりません。
おたずねは、「なぜ、○○をしようと思ったのですか。」「なぜ、そう考えたのですか。」というような、動機や発想に関わるような質問から始まる場合が多いようです。「なぜ・・」と言う質問の意義は、最近、教育界で話題になっている、PISA型読解力、そしてフィンランドの教育の中にも、取り上げられている重要な要素です。
子ども達は、コミュニケーションを好みます。自分が持ち込んだ発表に対して、おたずねが無いと物足りないようです。例えば、低学年の子ども達は、朝の会に身近なところで見つけた虫や石や花を持ち込み、説明をします。余りに説明が詳し過ぎたり、難し過ぎたりすると、おたずねが出ないときがあります。せっかく意気込んで調べて、難しい内容も覚えてきたのに、聞いてくれている友達からの反応をもらえず終わります。幾度かそのようなことがあると、次第に、子ども達は、おたずねを上手に使うようになります。それは、「今日僕は、綺麗な石を持ってきました。」とだけを言い、次に続けて、「何かおたずねはないですか。」と言います。そうすると、聞いている子ども達は一斉に手を挙げて、「なぜその石を持って来ようと思ったのですか。」「どこで拾ったのですか。」「何という名前の石ですか。」・・。実は、その子は、いろいろ調べていて、あらゆるおたずねに答えられるようにしてあるのです。
教師も、指示やお話をした後、「おたずねはないですか」と聞きます。時には、「来週、学級でさんぽに出かけます。何かおたずねはないですか。」と使う場合があります。子ども達の頭の中が一斉に動き始めます。「どこへ行くのですか」「奈良公園です」「奈良公園のどこですか」「大仏殿です」「何を見るのですか」「それは、それぞれが考えるのです」「どこに集合して行くのですか」「雨の時はどうするのですか」「持ち物はどうしましょう」・・。本当に、次々とおたずねの視点が生まれてきます。そして、おたずねを黒板に書き取っていくと、奈良公園さんぽの計画が出来上がるのです。
この「おたずね」は、当日、大仏殿の前でお話してくださるお坊様に、子ども達はまた延々と続けます。常に問題意識を持って、学びに立ち向かう子どもが育ちます。
2.めあて
毎日の朝の会では、今日一日の「生活のめあて」を持ちます。毎朝、日直が「みなさん、今日の生活のめあてを発表してください。」といいます。一人ひとりが、今日のめあてを持ち、数人が発表します。「今日の造形の時間には、工夫した作品を仕上げます。」「理科の学習の時、虫取りを頑張りたいと思います。」「集会発表が今日あるので、大きな声で発表したいと思います。」などが出されます。子どもの日々の生活のめあてを聞いていると、その日にある学習や活動の中で、自分が楽しみにしていること、少し緊張して臨んでいることをめあてにしているようです。
そして、帰りの会では、「今日のめあてのふりかえりをしましょう」と日直が声をかけます。それぞれ、朝のねらいを今一度見直して、朝の会で持っためあてが、どのように達成できたかのふりかえりをします。うまく達成した子どもが勢いよく手を挙げて、「今日、コオロギやバッタを5匹も捕まえることが出来ました。」「集会発表では、体育館の後ろまで届くような声で言うことができました。」などと、発表します。今日一日の生活が、良かったなあと感じて家に帰ることができます。達成出来なかった人は、また明日、自分のねらいを達成できるようにしたいと感じます。
毎時間の学習の始まりにも、めあてを持ちます。普段、大人も、子どもも、今日こそは頑張りたいと願って生活をしています。今日は手を挙げて発表しよう、おたずねを絶対にしてみよう、ノートを綺麗に書こう、グループの友達と協力してサッカーをしよう、等、めあてを持ちます。願いは、思い続けると、叶えられるものです。そして、どんな活動や学習にも願いを持つことは、主体的に関わる子ども、自律的に生きる子どもを育てることにつながります。
担任をしている時、奈良さんぽ(学級遠足)によく出かけました。近鉄奈良駅の行基さんの像の前で朝の会をして、今日のさんぽのめあてを発表しました。そして、戻ってきて再び行基さんの前でふりかえりをしました。遠足シーズンや観光シーズンで、駅前にどんなに人が多くいても、小さく40人がかたまって、朝の会と終わりの会を行基さんの前でしました。奈良の私の学級の子ども達は、駅前の行基さんに見守られて、育てられたなあと感じています。
一日の生活も、毎時間の学習も、遠足も、運動会も、プール水泳も、歩走練習も、学校での全ての活動に、めあてとふりかえりがないと、洗顔や歯磨きをしなかったような、何かを忘れたような気持ちになります。しかし、毎日のこととなると、めあてもふりかえりも少しマンネリになってしまうことがあります。例えば、めあては「今日の理科の学習を頑張ってしたいと思います」、そして、ふりかえりは「今日はいろいろ分かってよかったです」と言うような子どもも出てきます。このような場合は、教師からの声かけで、「何を頑張るのか具体的に」とか、「どんなことが分かってよかったのかを詳しく」あるいは、「自分のめあてに対応したふりかえりができていますか」と助言します。ふりかえりが抽象的になってしまいがちな時は、めあてをどのように具体的に決めるといいのかを考えさせることが大切です。
3.伸びて行く
「山のわらび、ぐんぐん伸びる、春の陽をあびて、ひとりでのびる。田んぼの麦の芽、ぐんぐん伸びる、雪の中をわけて、ひとりで伸びる」我が校の学習歌です。行事や儀式の時に全員で歌います。
春の陽を浴びながら、また、雪の中でも分けて自ら育っていく力を引き出すのが、私達教師の仕事です。学習歌の「ひとりで伸びる」という言葉は、子どもの真の育ちのあり方を言い表しています。
伸びて行く状況の子どもを、うまく見守るのが教育の真骨頂です。そして、ぐんぐん伸びている有様を見守り育てる重要な手立てが、「おたずね」であり「めあて」です。自律的に伸びようとしている子どもは、豊かなおたずねをします。日々、ねらい定めた学びのめあてを持てます。