自律的に学ぶ独自学習 

~ 一人ひとりの学びを育てる ~   2013年8月

 

1.はじめに

 私たちの学習研究誌は、8月号を年度初めとして、新たな一年の論究を進めるようにしています。今年度の主題論文の年間テーマは「自律的に学ぶ子どもを育てる学習法」と定めて、隔月ごとに年六回、教員全員が分担して書き進めていきます。8月号の初回は、「一人ひとりの探究①」がテーマとなっています。

 私は本稿で、「自律的に学ぶ」とは、どのような学びの姿を目指しているのか、そして、そのためには、子どもたちは「どのように一人ひとりが学びを始めるのか」について考えをまとめてみようと思います。

 

2.自律的と他律的

 私は今年から主幹教諭になり、授業は3年の理科学習だけを担当することになりました。ここでは、その3年生が最近書いたノートから、自律的な学びの姿について考えてみたいと思います。

A女 今日は光についてどく自学習をしました。わたしは、光のことについては何もしりませんでしたが、お母さんに買ってもらった理科じてんをみて、光のすすみ方や光をはねかえす物なども分かりました。3時間目も光のことについてしりたいです。

B男 今日ぼくは、独自学習で、二つやりました。まず、かげです。かげは、午前ははんたいにかげができます。反射は、3まいやると、とてもあかるくなることと、おん度が高くなります。ぼくが家でやってみたい事は、虫メガネで紙をもやすという事です。家に帰るのが楽しみです。

 

「光の研究」という課題で、初めて独自学習を進めた時の学習のふりかえりに書いた文章です。A女の記述にある「わたしは、光のことについては何もしりませんでした」「3時間目(次の時間)も光のことについてしりたいです」というところから、自ら学び始めて、新たなことを自分で身に付けていきたいという意気込みが読み取れます。初めて理科を学ぶ3年生の6月でも、自ら学びを進めることができることが分かります。また、B男の「家に帰るのが楽しみです」という、微笑ましい表現からは、自ら発見した実験を個人で試してみたいという、ワクワクした心の状況が表現されています。

 木下竹次は『学習原論』の序章に、自律的学習と他律的学習の違いを的確に書いています。他律的学習とは「教師が自ら教授材料を選定し、教授の目的方針を決め、詳細な教授経路を予想した教授案をもって、児童に臨み、教師まず教授し、教師から規範を与え、教師が真偽・善悪・美醜を判断して、其の結果を児童生徒に承認させていく。教師は自己の意思を持って児童生徒を支配し、児童生徒に対してはいっこうに教師の意思に忠実であることを要求している。」としています。

現在の、平成の時代の教育でもよくなされているのは、木下が書くような教師主導の授業です。かつて大正時代の木下は、「教師はなにゆえに教師の意思に忠順であるよりも、児童自身の良心に忠順であることを要求しないのであろうか。」と、他律的学習に対して疑問を投げかけています。教師主導にならないで、子どもの意思、子どもの良心を尊重して、学習を子どもに進めさせることを強調しています。

 次に、自律的学習について木下は「各児童は各自の個性を基礎とし、自分の環境に依拠して種々の経験を積み、工夫創作を為し、よかれ悪しかれ、自分でなくては辿ることのできない道を辿って、人間固有の本性を発揚し社会に貢献していく。」と書いています。そして究極のところ、「自律的学習の真髄は児童が本来具有する所の創造性自律性を発揮することだ。児童には本来伸びる力がある。教師はあまり自分の力を過信して余計な干渉をしてはならぬ。」と、教師が出しゃばらないで、子どもが本来持っている学ぶ力を発揮させることが大切であると言います。『学習原論』の、そして、木下の教育理念の真髄となるところであると思います。

 わが校に大正8年に赴任してきた木下のことについて、「(木下)先生は、職員会ごとに、『教えるな教えるな、諸君は教え過ぎている、諸君が後退しないかぎりこどもたちは動き出さない、何も言わないつもりで教壇に立て。』といましめられた。」と、本校訓導の池内房吉が学習研究(1961年10月号「奈良教育の回顧」)に書いています。話し口調の木下の言葉が伝えらえている貴重な資料です。

 

3.自律的学習のはじまり

 「光の研究」と題した最初の独自学習では、子どもたちは、太陽の構造、太陽の動き、光の反射や屈折や吸収、光と温かさ、虹、光と植物などについて、個人が興味を持った所から追究を始めました。

子ども達がどのように、「光の研究」との出会いをしているかを、「学習のふりかえり」からみてみることにします。

C男 ぼくは、光の事はいっさいしりませんでした。○○さんは、こい色がもえるという事が1時間のべんきょうでがんばってやりました。反しゃという言葉がしっかりわかりました。くっせつを、もう一ど調べてみたいです。

D女 わたしはかげのことで、日光がものに当たりさえぎられると、かげができるとはじめて知れました。日光というのは、太陽の光のことが日光ということもしれたのでよかったです。つぎは光のせいしつのことなどを、どくじ学習をして知りたいです。

E男 今日はじめて光について研究しました。ぼくは光についてしらなかったけど、どく自学習で太陽のことが分かりました。そしてレンズのしくみもしれました。時間がたつごとにおんどがたかくなっていくことが分かりました。

F女 今日、どく自学習をしました。私は、光の進み方とレンズを調べました。そして、相互学習で、○○さんは、赤とか白でじっけんしていたのがいいと思いました。なぜならわかりやすく言っていて、私もじっけんをしてみたくなりました。

 

 これらの子どもの記述から、個別に学び始めた子どもたちの自律的な学習のよさについて、次のようなことが考えられます。

 1 人と違う自分独自の学びに喜びを感じながら、個性的な追究を続けることは、学びの自信となる。

 2 自己の学びを進めることで、友達の取り組みのよさが分かり、友達の頑張りから学べる。

 3 先生から教えられるのではなく、自分の力で新しい学びを進めることのできる力を付ける。

 4 友達との小さな競い合いが、次なる自己の学習へのエネルギーとなる。

 5 自由に課題を選びながら取り組む、開拓的な生き方を身に付ける。

 

木下は、『学習原論』の自序の所に「学級的な画一教育法を打破した自律的学習法は、いずれの学習者も独自学習から始めて相互学習に進み、さらにいっそう進んだ独自学習に帰入する組織方法であって、実に性質能力の異なったものは異なったように活動し、しかも、自由と協同とにとんだ社会化した自己を建設創造しようというのである。」と、自律的学習法としての独自学習の重要性を述べてます。

 

4.理科の独自学習の育て方

理科の独自学習の取り組みは、まずは、参考書、教科書、生活の中の疑問、図書館の本などから、静的に始める場合が多いと思います。小さな問題から連続的に問題をつないでいき追究していく場合と、テーマが持っている課題の広がりを資料などから見通して活動的追究を始める場合と、友達の取り組みに影響されて次々と取り組みを変えていく場合など、子どもによっていろいろな関わり方をしていきます。その子なりの、追究の仕方、取り組み方があります。

また、このように書くと、理科の独自学習が資料や本などからだけの、資料調べ学習ばかりになってしまわないかと心配にはなりますが、理科の教科の特質から、実験・観察という行動的な探究へと直ぐにつながっていくので、いつまでも、静的な資料からの学びだけに留まることはありません。理科学習は、動的な観察実験の体験を通して、常に新たな問いを更新し、より深い問いを持ち続けることが出来きます。

 

3年生の光の研究では、早速、色水を数種類作って日なたに置き、水温の上がり方の違いを調べてきたり、太陽の動きを影の位置で記録してきたり、虫メガネで紙を焦がしてきたりする子どもがいて、それらの発表に刺激されて、一気に爆発するように子どもたちの実験活動が広がっていきました。このビックバンが起こる瞬間をどのようにつくるか、また、取り組みがどのように広がり続けるようにするのかが、次なる問題となります。

1 静的な独自学習の時間に、個別的な光の研究を、十分に蓄積させる時間を大切にする。

2 他の人より先行的に行われた取り組みのよさを認め合い、その価値を学習の起点に位置付ける。

3 独自で取り組んだ実験や観察を書くための「独自学習ノート」、「フィールドノート」、「独自学習のページ」などの書き方を指導し、それぞれ提出されてくる取り組みに、教師がコメントを書くようにする。

 

 これまで、いろいろな方法で取り組んできました。子どもが自ら学び続けるための支援が大切だと感じています。また、生き物教材では、飼育し続ける事自体が、学びそのものであると思います。例えば、3年生の「チョウの成長」の学習では、最初は、キャベツとモンシロチョウの関係が分からず、カラカラのキャベツを入れていて気にならなかった子どもが、幼虫が脱皮する瞬間を見たり、さなぎになったり、羽化の瞬間に出会って、小さな命に対して感動と神秘の心が持てるようになっていきます。約一か月の幼虫の育ちと共に、子どもの生命観も成長していきました。

また、1年生のダンゴムシの飼育では、「私は黒く湿っている葉っぱを捨てて、茶色くてパリパリした葉っぱを入れてあげました。理由は、私と同じように、ダンゴムシもパリパリの葉っぱがおいしそうだと思ったからです。」と、堂々と自分の意見を述べる、ほほえましい感性にも出会うこともできました。

理科の学びの始まりは、まずその対象への問いを持ってからの活動だけでなく、興味や不思議さから、また命を生かし続ける行動から学習を始める場合もあります。その初動を見逃さないで大切に育んだり、子どもたち同士の相互の学び合いの場を保ち続けたりするような、教師は温かい見守りにより周りから働きかけることが大切だと思います。

 

5.グループではなく個人の追究の価値

 独自学習は、まずは一人で取り組むことが大切です。集団、グループで力を合わせて取り組むのではなく、個人が黙々と学びに向かい合って、自分自身の問題として取り組むところに意義があります。

 調べ学習を、グループで取り組むのと、個人の取り組みとでは、育ちに大きな違いがあることを、これまでの何回かの不十分な体験から感じています。

 かつて、3年生で太陽の通り道の観測をしたとき、グループで1個の透明半球に、協力して太陽の位置にシールを貼る観測を進めることにしました。学校ではグループで協力して1時間おきにシールを貼ることができました。そこで、日の出から登校までと、下校から日の入りまでの観測を、家でやってくるように勧めたところ、じゃんけんをして負けた人が持って帰るというようなことになってしまったグループがありました。さらに、じゃんけんに負けた子どもが、「持って帰るとお母さんに叱られる」と泣くというようなことがありました。グループ学習の進め方の問題点が浮き彫りにされた瞬間でした。

 また、5年生でメダカをグループで飼い、産卵、卵の観察をしていく取り組みをしました。グループによっては、メダカの日々の世話を押し付け合ったり、無駄に手や網を入れ過ぎて白点病で全滅させたりと、無責任な取り組みになってしまったこともありました。

 さらに、6年生で、グループでテーマを決めて環境問題について調べ学習をし、模造紙1枚に書いて発表をするような取り組みをしました。その時の活動を振り返ると、全てを取り仕切る人、書くだけの人、絵を描く人、色を塗る人、発表で模造紙を持つ係の人と、分担して活動が進んでいました。トータル的な個人の学びになっていない活動になってしまって、個人の意欲的な学びが育ちませんでした。

このように、与えられた課題をこなすようなグループ活動の学習からは、次のような問題点が見えてきました。

⑴ グループの中の能力の高い子どもの活動になる。

⑵ 互いの分担が気になって、互いに控えめになり、全員が十分に力を発揮できない。

⑶ したくない作業の押し付け合いが起こり、無責任な言動が子ども間に飛び交う。

 

6.おわりに

 赤ちゃんが初めてあゆみを一歩踏み出す瞬間と同じように、小学生が自ら学びを進め始める瞬間は感動的です。子ども一人ひとりが、ドキドキしながらも希望に満ちて学び続けることのできる独自学習を育てていきたいと思います。まずは個人の学びを育てて、それを持ち寄り、グループ、そして全体の相互学習へと発展するように学習を進めていく必然性が見えてきました。