わたしの「しごと」学習のあゆみ 2014年秋

 

「しごと」学習とは、こぎつね小学校の独特な学習領域を示す言葉です。戦後の1948年に、わが校の教育計画「奈良プラン」ができたときの、「しごと・けいこ・なかよし」の三つの学習領域の一つにあたります。この、戦後始めた「しごと」学習は、約50年後の2000年から全国の学校で始まる「総合的な学習の時間」を見通して実施されてきた学習といえます。先輩たちは、「しごと」学習を次のように説明しています。「新鮮な感覚と知性に立って、自由な視点から弾力的に考えることのできる、人間としての幅を育てます。自然、人間、社会の真実のすがたを求めて、その知見と視野を拡げ、身近な現実の問題を追究して新しい社会生活のありかたを見通させ、それに向かって自己の生活態度ならびに生活環境をつくりかえていく意欲と実践力を育てることに主眼があります。総合的な単元学習の形態をとります。」  

現在も私たちの学校では、戦後の「奈良プラン」を引き継ぎ、各教科との関連を取りながら、全学年に週5時間(情報教育の1時間を含む)の「しごと」学習の時間を工夫して実施しています。 

 私は、本校に着任して21年目になりますが、公立校の頃も、総合的に研究を進める時間に興味を持ち、実践をしていました。4・5・6年生を続けて担任ができる機会を得たとき、5年生で「湊西風土記」、6年生で「湊西古事記」を創る実践をしました。5年生では、地域の工業や農業や漁業の聞き取り、戦争体験の聞き取り、昆虫や植物の標本作りなど、その当時の地域の記録に取り組みました。とても多くの方々にお世話になりました。6年生では、昔からの伝統産業、神社やお寺の歴史、街道調べなどを行いました。修学旅行は、堺市の小学校は伊勢に行っていたので、伊勢神宮、お伊勢参りの歴史を事前学習し、現地では、伊勢神宮の宮司さん、伊勢のおはらい町のお店で聞き取りをし、さらに、国崎の町で海女の生活と伊勢神宮との関連についても聞き取り学習をしました。その実践は、いくつかの新聞にも取り上げられ、子どもたちと喜んだことを思い出します。また、卒業制作には、「湊西カルタ」を作る取り組みをし、地域の特徴的な歴史、風土、産業を「いろはカルタ」に仕上げて、卒業記念とすることができました。

 本校に着任してからは、1年から6年まで連続して持ち上がることができたとき、奈良の歴史や風土を子どもたちと学ぶ、「奈良さんぽ」の実践をしました。

1年生は、学校周辺の「自然さんぽ」を中心に、奈良公園や東大寺にも何度か出かけました。「さんぽ」をして、記録を書いて、劇を作るという繰り返しで1年間が過ぎていきました。冬の自然さんぽは、大阪市立自然史博物館や二上山に行きました。2年生は、奈良町を中心に元興寺に行ったり、藤岡家や格子の家など、奈良の住宅を知ったり、さらに、墨、筆、柿の葉寿司、蚊帳、お茶、素麺などの産業に学習が広がりました。3年生は、元興寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺、春日大社、東大寺、興福寺、平城京など、奈良のお寺や神社を深く学びました。

4年生からは、「しごと合宿」に取り組みました。4年生は「滋賀合宿」です。琵琶湖研究、比叡山千日回峰行研究、城・街道研究をしました。5年生は、「白川郷合宿」です。白川郷や五箇山の歴史や生活を学び、白峰層で化石採集もしました。6年生は「東京合宿」です。日本の最先端を学ぶことを目的として、科学未来館、ユニセフ、国会、都庁、東京大学、電通、共同通信などに出かけて聞き取りをしました。私たちの学年の「泊りがけのさんぽ」の取り組みが、その後「しごと合宿」としてわが校に定着しました。 

また、4年生からは、低学年の自由研究の取り組みを、課題研究として「しごと」の学習に取り入れました。4年生は、飛鳥や斑鳩のお寺や歴史、5年生は、京都や大阪のお寺や歴史、6年生は、日本の仏教者、仏教の歴史などをテーマに、長期休み前に分担して、じっくり調べ、聞き合い学び合いをしました。

私の「しごと」の学びは、公立校の頃の子どもたち、そしてこぎつね附小の子どもたちと、地域を歩いて地域を学ぶフィールドサイエンスのあゆみでした。それは、私自身が、岩石学・火山学を学んできたので、常にフィールドに出て野外から学ぶことが好きであることと関係してきたのでしょう。