私の「理科の学習」のあゆみ 2014年春
今年は、私にとって最後の理科学習の指導になると思うと、感慨深いものがあります。これまで、理科学習を中心に、いろいろな経験をしてきました。
まず、教師のスタートの4年間は、堺市立科学教育研究所に勤めることができました。そこでは、幼稚園、小学校、中学校の理科関係の教材講習会や指導資料の作成、地学領域の市民講座の実施などに取り組みました。たくさんの本を読んだり調べたり、野外調査や授業研究会などに出かけたり、泊りがけの合宿を進めたりしました。研究所に出入りする、多くの素晴らしい先生方にも出会うことができました。
研究所にいた経験から、地学教育研究会の運営にも長く関わるになりました。15年間ほど、年に数回の日帰りの野外巡検、年に一度の合宿巡検の企画や運営に関わらせていただきました。日本各地の地質見学に出かけたり、数年に一度は海外研修にも取り組んだりしました。北海道から沖縄までの各地、そしてハワイ、韓国、アメリカアリゾナ、オーストラリア、カナダの、地質、地形、火山、岩石、化石など、目を閉じると、たくさんの風景がよみがえります。
堺市で12年間、小学校の教師をしていました。その時は、堺市理科部会に属していて、授業研究会では何度か学年代表授業をさせていただきました。思い出深いのは、「大地のつくり」と、「星の動き」と、「川のはたらき」の単元をしたことです。「大地のつくり」の授業では、大阪層群と和泉層群の比較から見えてくる地層のでき方、年代の違いをさぐりました。「星の動き」の時は、プラネタリウムのドームに、子どもたちの観測結果をプロジェクターで投影するという、大掛かりな授業に取り組みました。「川のはたらき」の授業では、体育館に大和川の流路を作り、数地点の川原の石を配置し、それらの石の分類をして、流れる水の働き、そして、上流の山々の地質をさぐる取り組みを発表しました。
教科書の筆者にも推薦していただき、長く取り組ませていただいたおかげで、3年から6年までの多くの単元の教科書原稿を書くことができました。また、東京や大阪で行われる編集会議では、各領域の専門の科学者である大学の先生方との出会いがあり、教科書の内容の議論以上の、専門的な科学の世界について学ばせていただく機会をいただきました。
38歳でこぎつね附属小学校に来てからは、研究集会、研究発表会の公開学習や、来校される先生方の参観授業では、ずっと理科の学習を見ていただきました。20年間続けて研究発表会に取り組んできて、ほぼ全単元の研究授業に取り組むことができました。
奈良では、奈良県の理科部会の先生方と、理科の授業研究会を持ち続けました。最近の6年間ほどは、毎月1回、金曜日の夜6時から9時頃まで教材研究の会を持ち、毎回20人から40人ほどの先生がわが校に来校し、教科書の実験の一つひとつのデータを取り直しながら、授業の進め方についての講座をしました。多くの理科の先生仲間が広がりました。
また、奈良には、ソニー科学教育財団の支部もあり、そこでは全国的な理科の先生とのつながりを広げることができました。ソニー科学教育財団の運営企画委員をさせていただき、全国各地の理科の研究会に出かけたり、指導者として派遣していただいたりして、仲間を広げることができました。また、海外で授業をする機会もいただき、アメリカの小学校で、「電気のはたらき」の単元の授業をし、アメリカの理科教育学会で発表もしました。下手な英語で、苦労をしました。しかし、授業はコンデンサーとプラレールの電車を使った、動きのある楽しいものなので、アメリカの子どもたちにも喜んでもらえました。
理科学習の追究を一途に若い頃から続けてきて、多くの方に出合い、いろいろな体験をさせていただきました。私は、小学校の教師なので、常に子どもと共に取り組んだ実践的な授業研究の発表でした。子どもと創る理科学習の可能性を求めた授業を、定年近くまで見ていただくことができました。多様な世界が広がった教師人生でした。子ども達に、本当にありがとうと言いたいです。