平均化していくこと 平成16年 5月17日(月)

 

 相手の心を痛める言葉がたくさんあります。自分の規準で物事を考えて、相手のやり方、考え方を変だと言い切ります。私達の小学校は、子どもを教育しない学校だと文句をいわれることがあります。伝統にあぐらをかいた、思い上がった学校なんだそうです。私達は、この伝統ある教育方法を宝物と思っていますが、理解できないということで中傷されます。平均化された、個性のない、普通の教育にしていこうと思っているのでしょうか。そうすることで、わたしたちの小学校を改革してあげようと思っているのでしょうか。

 前にも書いたように、私達は子ども達の良いところに共感していきます。子どものよくない所を指摘して、それを修正していく教育ではなく、良さに共感する学校なのです。飛び抜けた才能、個性的な取り組み、教科書を突き抜けた学習をも、取り込んで行く学校です。もちろん、けいこ学習では、基本的な学習は保証しています。

 子育ての中で、親は、他の子どもよりも能力を付けることを望むのは当たり前のことです。他の子どもを出し抜き、自分の子どもだけを賢くしたい。この感覚を受け入れるのが、我が校の包容力です。飛び抜けている能力にブレーキをかけない、育とうとする力や、家庭の教育力をもらって育つ追究を邪魔しない。これは、とても大切なことなのです。しかし、中には、「子どもを支援できない家庭はどうするのか。差が出ると子どもがかわいそうなので、学校でできることだけをするようにして下さい。」「学校にこれない親は、どうしたらいいのか。親が学校にこないでもいいようなシステムにして下さい。」と言うような意見が出てきます。しかし、私達は、親が学校に出来るだけ来れるようなシステムを、あちらこちらにあえて作っているのです。

 平均化した教育は、子どもをだめにします。何でも一緒が好きでは、個性、才能、能力が育たないのは当たり前のことです。相手の心を痛めることを言う人は、自分の安定だけを考え、自分と違う人をけなします。相手の良さに共感していける人は、互いに伸びていこうとする人で、一人一人を大切に見ることが出来る人だと思います。

 

■時間を与える優しさ

 甘やかしになるのはよくないのですが、与えることは究極の優しさです。愛とも言えます。物を与えることも一つの形ですが、自分の時間を相手に与えること、これが一番難しく、一番大きな優しさです。何もしないで、うるさく言わないで、ただ、見守ることが出来るかです。学習でも、教師が見守る中で、子どもが学習をする、この姿が我が校の教育です。最後の5分に託した、先生のお話まで、ただひたすら子ども同士が話し合い、取り組みを続ける状況を見守る我慢です。安心できる空間、時間を与えること、これが、学習の本当の保証、愛情の形だと思います。早くしなさい、しっかりしなさいを言わなくても、そのような思いを持って見守る場と時間を作ること。

■白い帽子

 日差しが強くなりました。ふちの大きな白い帽子をかぶりましょう。

 

  今週の予定     下校   

17 月         16:00

18 火                           16:00

19 水 眼科検診    16:00

20 木         16:00

21 金                           16:30

22 土  休み

23 日       休み

24 月         16:00