仏教の入り口 平成16年 1月26日(月)

 

 理科系、物質主義を通してきた私自身、仏教はその反対の位置にあるものと思ってきました。不思議な力や現象は、実験や観察で解明するもので、手を合わせる対象ではありませんでした。しかし最近、年をとったのかもしれませんが、仏教の世界に少し興味を持つようになりました。

 奈良にはとてもたくさんのお寺があります。お寺の間に町が成長したと言ってもよいかもしれません。また、隣の京都も同様です。こんなにたくさんのお寺があるのに、これまで私達は、お寺や仏教について殆ど何も学習してこなかったのではないでしょうか。宗教として信じる、信じないは、個人の自由であることは当然のことですが、これまで歩んできた日本の歴史において、仏教は日本人の大きな精神的な支えとなり、生きていく世界観や文化を与えてきたのではないかと思われます。

 延暦寺の千日回峰行は、40~80㎞の山道を千日間歩きます。また、役行者が開いた大峰山を中心とした吉野奥駆道は、紀伊山地の深い山々をつなぐ鍛錬の修行コースです。さらに空海は、人里から離れた高野山に聖地を求めました。東大寺のお水取りも荒行と聞きます。これらのことから、人は環境に流されるもの、自分の生活は自分で変えられないものと悟り、自分を苦境の修行に投げ込むことで、自分自身を鍛えていこうとしました。自分を見つめる禅行の中に、仏の心を感じる受け皿ができ、悟りを開くのです。荒行を乗り越えた精神の中に、一筋の光を見出します。

 さて、私達の精神はどんな所で鍛えられるのでしょうか。怠惰な生活から抜け出す強い心は、どのように見出されるのでしょうか。お念仏やお題目を唱えること、手を合わせることから始まるのですが、これは、それぞれ信条があります。しかし、精神を鍛える中に自分を高め、少しだけ菩薩の世界に近づくという小さな修行が、日々の生活の中にあるのではないかと思います。自分にかせた試練を乗り越えること、厳しい環境の中でやり続けることが、その人の精神を育て、ありがたさの分かる人に成長させるのです。子ども達も、小さな試練を乗り越えるたびに、強くたくましい心を獲得します。知識の習得だけでは、人として成長できないのです。

 

■上級生

 これまでお世話をしてもらってきた子ども達ですが、もう最上級生です。昨年12月の音楽会の片づけから、この学年の子ども達が、行事の椅子並べ、椅子片付けを引き継ぎました。朝8時からの作業も多く、たびたび取り組みをしています。

 跳び箱出しも同じなのですが、毎回遅れている人、忘れたと言っている人がいます。そんなことをしていて、心が傷んでいかないか心配です。みんなが取り組むしんどい仕事、最上級生だからこそ担ってきた仕事を、さぼりながら、こそこそしている心が、心配でなりません。まだまだ、親の支えが必要なのです。

 かつてこのような事を書くと、「少しでも寝かせてあげたい」と言われた親がいました。子どもの社会関係、だめにしていきます。

■学習研究発表会

 2月12,13日の二日間を予定しています。今回は、初の附属幼稚園との共同開催です。

 

  今週の予定      下校   

26 月         15:30

27 火                           16:00

28 水                             15:30

29 木          16:00             

30 金          16:00

31 土  休み

 1 日  休み

 2 月         15:30