感性の共有 平成15年3月10日(月)

 

 感性は、人によって違っています。そろえようとすると、思想の統一、感情の強制になるのかもしれません。しかし、冷たく澄み渡った夜、西の空に傾くブーメランのような月を見たとき、「綺麗だ」と思わず誰かに言いたくなります。地質見学で、モニュメントバレーの谷に迷い込んだ時、グランドキャニオンの崖の上で風に吹かれた時、キラウエア火山の焼けつくような火口を見た時、エアーズロックの頂上に立った時、叫んでも声が出ない程の、人生を一瞬に凝集したような感動があります。人によって感じていることは当然違うのですが、誰かと共有したい、一緒に、その景色の風に吹かれていたいという気持ちになります。

 子どもとの学習も、この感動の共感、感性の共有という、一瞬の風を共に心で感じる時を大切にしたいのです。しかし、まだまだ、子ども達は、その域に達していません。一緒に苦労をする、可能性の限界の所で頑張ることができず、一つの目標に向かって心を集める瞬間を持てません。それは、子どもの個性を尊重し過ぎるからなのか、わがままをそのまま温存しているからなのか、過保護からくる弱さなのか、いろいろ原因は考えられますが、心がざわついていて静寂の一瞬を創り出せません。

 かつて日本人は、枯山水の中に深山幽谷を見立て、大海原を表現してきました。茶の湯の文化では、わびや静寂を創造してきました。日本人としての、研ぎ澄まされた感性の共感がそこにはありました。しかし、最近は、現実的、拝金的な世界になってしまい、がさがさした騒がしい騒音の中の偽物文化が横行し、心の豊かさや静寂の中の気の文化が失われていました。

 私達は、教育は文化であり、もしかしたら芸術の域のものであると思っています。感性の張り詰めた気の空間で行われる、芸術的な知のネットワークを造る活動なのです。一人一人の子どもが宇宙の中の渦巻く銀河であり、それら銀河の間に働きあう引力を計算しつつ、混沌の中に一つの関連ある体系を見出す活動をしているのです。教育を、単なる知識を詰め込む、活動や作業と思っていないでしょうか。子どもが話し合っている場面を、無駄な時間と思っていないでしょうか。

 

■子どもの対応

 子ども達は、成長してきました。親はいつまでも幼いと思っていますが、学校では幼児ではなく、一人の人格ある人として扱います。最近、偉そうに親に文句を言うようになったと聞きます。それは、親がいつまでもわが子を幼児扱いしているから、子どもが反発しているのです。大人が、他の大人に意見や文句を言うとき、かなり気を使いながら言います。子どもにも、配慮がいるのです。40人や80人を前にして、自分の研究を堂々と発表する子ども達です。立派な人として頑張ろうとしつつある姿を、認める必要があるのです。学級で、子どもが先生の言うことを聞かなくなるのを学級崩壊といいます。家庭で、親に文句を言うのは、家庭崩壊の始まりです。子どもの良さや頑張りを認めていくことが大切です。

■積み上げ

 ノート、日記帳は、必ず綴じてください。手を抜くと、子どもも手を抜きます。親がしてください。20日に聞きます。

 

  今週の予定      下校   

10 月 卒業式     11:30

11  火                          15:50

12 水 個人面接    11:00

13 木 個人面接    11:00

14 金  個人面接     11:00

15 土 <休み>

16 日 <休み>

17  月                            15:50