会話をして賢くなる 平成14年5月20日(月)
会話をしながら学習を作っていくことが大切ではないかと考えます。教育では、対話とか自己表現とか討論とか難しい言葉で表したり、ディベートという討論の方法を持ちこんだりしますが、実はゆったりと子どもと話をしながら、分からないことに対する話し合いを進めることが大切だと思っています。これは、家庭でも一緒です。
「・・・・。私はこう思うのですが、皆さんはどうですか。何かおたずねはありませんか。」学校では、これが子ども達同士の学びの始まりだと思います。吉野へ行く前には、吉野研究をします。いろいろな資料から情報が持ち込まれて、学び合いを進めます。いい資料だと思い発表しても、案外分からないことがたくさん含まれているのです。友達におたずねされて初めて、内容が深まるという場合が殆どです。例えば、「吉野川は、日本でも有数な多雨地域である大台ケ原を源流とする川で、中央構造線にそって西へ流れ、紀ノ川と名前を変えて大阪湾へ流れ込む。」と言うような報告をすると、「大台ケ原とはどこですか」「日本有数と言うと、どれくらい雨が降るのですか」「源流って何ですか」「中央構造線って何ですか」と、どんどんおたずねが出されます。聞いている人は、分かったようは顔をして座っていては学習が始まりません。勿論、発表した人が全てを理解して、また、全てを調べてから発表しているのではないので、責任を持って答える必要もありません。みんなで、調べ学習を始めるきっかけをもらったと思うといいのです。勿論、おたずねをした人が、一番張り切って調べます。
人の賢さとは何かと、考えさせられるときがあります。物知り、博学だけでは、だめなのです。賢さとは、将来いろんな職業、いろんな状況で活動するとき、「その場に必要な情報を集め、理解し、判断して、仲間と共に新たな問題解決に当たることが出来る力」だと思います。これは、教えられるものではなく、自分で掴み取る力なのです。この賢さを身に付けるためには、積極的に会話をしながら、友達と知識や考え方を交流するしかないのです。黙って座って、ノートを書いているだけでは身に付きません。英会話のノバのレッスンでも、人が話しているのを聞いているだけより、自分が話して初めて英語で考える力が付くのです。家庭でも、学校でも、子どもが自ら話すことによって初めて、賢く育つのです。
■優しい人には優しく
ダンス、音楽、造形、英語など専科の先生の学習になると、つい羽目を外して、身勝手な行動をする人がまだいます。そろそろ高学年、自分の行動に対して自分が考えられるように育って欲しいと思っています。「怒られるからきちんとする」から、「気持ちのいい学習を作るにはどうすればよいのか」を、考えさせるようにしています。
家庭でも、「先生に叱られるから綺麗に書きなさい。」「日記を書いていかないと、先生に見捨てられるよ」というような、先生に叱られることを基準にしないでほしいと思います。何のために日記を書いているのか、綺麗に書くことは自分を育てることだと言うような、やっていることの意味を考えさせ、自分を育てる視点で活動や学習を捉えさせていくことが大切です。
今週の予定 下校
20 月 弁当 15:50
21 火 15:50
22 水 15:50
23 木 弁当 15:50
24 金 16:00
25 土 <休み>
26 日 <休み>
27 月 弁当 15:50