どこまで甘やかす 平成13年12月10日(月)

 

 「基本を教えておいて、テストで応用問題を出すと『先生、ずるいですよ』と言う声が上がる今日この頃です。ところが、実社会に入ると、ほんとうに大事な問題というのは、その『先生、ずるいです』という範囲から現れてくるのが常です。それまでになかったことにどのように判断をし、どのように行動するかが、その人間の真価であると言えるのです。」

 このようなことを書かれた本を読みました。テストに慣れ、テストをかい潜って成長したエリートの中には、応用力を育てられていなくて、丸暗記で対応した人も多くいるようです。大学で全く使いものにならない、テスト対応受験技能だけを身に付けて、自ら考える、問題を解決する、追究するという能力がついていないのです。本当の学力低下は、これからますます進みます。子どもが減るのに呼応して、高校、大学が子ども集めにやっきになり、高等教育のサービス業レジャーランド化は目に見えています。

 それに合わせて、子どもを鍛えない風潮が一段と強くなりました。給食を食べなさいと言うと体罰になり、学校に残って勉強をしましょうと言うと差別になり、しんどい課題を与えると「かわいそう。あの先生何考えているの。」となります。教師が子どもをしかると、その倍ぐらいに反動(親があやまりに来る、また、文句を言いに来る)があるのです。カッターナイフを持って騒いでいる子を後ろから羽交い締めにして気を納めるようにした教師が、親から暴力だと訴えられています。石を投げて怪我をさせた(させられたではない)子どもの親から、石を学校内に放置した教師の責任が追及されます。授業中に掴み合いのけんかをして殴り合いをしている子どもに「バカじゃないの。今、国語の授業中だ」と言うと、バカと言ったと叱られます。授業中に机の上に足を上げて漫画本を読んでいる子の本を取り上げてしかると、「先生が怖いと言っています」といい、「しばらく学校に行かせません」となります。また、子どもの物が無くなると、たとえ子どもの整理不充分の場合でも「いじめ」と言われ、管理責任が問われます。教師は言い返しが出来ないで、いつも「ごめんなさい」を言うことになります。真剣に教育に取り組んでいる人を敵とみなす人間不信の風潮がなぜあるのか、「それは教師がいい加減だからだ」なのでしょう。つらいです。子どもをどこまで甘やかせばいいのでしょうか。

 

■「本番に強い」子ども

 何か行事をすると、この言葉をよく聞きます。聞くたびに、教師の指導が信用されていないなと、つくづく感じます。

 親「最近、急に日記帳がよくなってきたね。よく図書館へ行って本を読んでいるからだね。」これも、あります。

 デリカシーという言葉が、どこへ行ってしまったのかと思われるぐらい、教師の心に、空しさが突き刺さります。

■掃除

 学校内の朝掃除を見まわります。3年生の多くは、掃除の最後の塵取り、バケツの水捨てをしています。どの場所でも、しっかり掃除をしています。みんなが一番いやな最後の部分を、しっかりしている子ども達に、拍手を送りました。いい子に育っています。素晴らしい、家庭教育のおかげです。有難うございます。

■歩走練習

 もう、親が一緒に走れない距離や速さになってきました。この時、親はどんな関わりが出来るのでしょうか。これが案外難しい。

 

  今週の予定      下校   

10  月 個人面接①   11:00

11  火 個人面接②   11:00

12 水 個人面接③         11:00

13 木                   2:40

14 金 歩走練習納会   11:00

15  土                11:50

16 日 <休み>

17  月 おんまつり   10:00