感性が開かれる時 平成13年11月12日(月)
子ども達は、今確実に伸びています。変化しています。これは、育友会でも何度か話していますが、親から離れて成長するお年頃なのです。三日単位で変化していっているのではないかと思われるぐらい、激しいものを感じます。
親でも、しばらく子どもとの関わりから離れていると、もう、自分の子どもが何をしているのか、何を考えているのか分からなくなるのではないでしょうか。行動が刻々と変化し、日々の話す内容も多様化し、知識は等比数列のように増えています。その変化が急激なので、まったくもって驚かされます。現在、多くの子の視線が上がり、個人の考えを持ち、集団に積極的に関われるようになってきているのです。感性は開かれた状態になってきているとも言えるのです。
かつての経験では、学級の中に何か組織的なもの、力関係があり、その人間関係でクラスが丸く収まっているというようなこともありました。しかし、今の私達の学年は、殆どの子どもが、「自分が中心」なのです。自分が中心になってもやっていける子どもばかりなのです。私達の学校の先生方と一緒です。その視点から見ると、私達の学年の子ども達は、幹部候補生的な育ちをしているのです(不適切な表現で申し訳ないです)。
感性が開かれつつある今、しばらく、激しく成長してもらおうと思っています。攻撃的な議論も出てきます。自分の意志を通そうと泣きながら討論をする場面も出てきます。私達は、そのような子どもの育ちを通して、本当の自立した人間を目指しています。甘ったるい助け合い、情けの掛け合いは、時として成長の邪魔になります。戦士を育てているのではないのですが、集団の中で自立するということは厳しいことです。何人かつるんで意見を言う人、みんなそう言っていると言う人、みんなと同じ格好髪形をする人、流行を追いかける人、同じ物を持つ人などではなく、流されない人間関係を目指しています。出来るだけ人と違う、自分の世界を創り出せる創造的な人を育てるようにしています。個性とはそんな中で生まれるのです。
同じ格好をして、同じことを話している子ども達には、一律の教育がなされて、簡単にまとめ上げていくことが可能です。私達の学年の子どもの教育は、違いを認めながら互いに高め合えるという、とても難しい学習での育ちを目指しています。
■「・・・けど」
会話の中で、「・・けど」を使わないようにしようと、子どもに指導をします。親も、「〜ですけど」と本当によく使います。「そういう教師自身も難しいのです『けど』、親も頑張ってみてください。」ってね。「けど」の使用には、自分は棚に上げて、相手を非難したり、押しつけたり、責任逃れしたりする場合が多いのです。
■辞書・事典
2年生から辞書を使い始めました。最近では、小学生用では間に合わず、大人が使う語彙の多い物を持ち込んで来る子どもも増えてきました。参考書、辞書、事典、インターネットを使いこなして、追究的な学習になってきています。人名事典、植物図鑑、昆虫図鑑、鳥の図鑑、ことわざ、四字熟語、慣用句、百人一首・・、誰かが持っています。
今週の予定 下校
12 月 2:40
13 火 弁当 2:40
14 水 2:40
15 木 歯科検診 2:40
16 金 弁当、集会3月 3:00
17 土 PTCCミカン狩り
18 日 <休み>(流れ星)
19 月 音楽会日課 2:40
■ミカン狩り(PTCC)
土曜日は親子ミカン狩りです。集合、JR奈良駅8:15.親が来られない場合も全く大丈夫です。