千日回峰を読む 平成13年9月25日(月)
歩くことは、子どもの頃から興味を持っていました。少し放浪癖がありました。小学校低学年の頃から家の前の道はどこにつながっているのか、また、その道の先には何があるのかを知りたくて、時計を持って真っ直ぐ1時間歩いて、また真っ直ぐ帰って来るということを繰り返していました。そのころは、大阪市内に住んでいたので、南へ歩いて大和川を発見したり、北へ歩いて天王寺を発見したりしました。小学校高学年の頃には、堺市の家から玉手山へ往復20㎞ほど歩き、中学生では堺市から法隆寺まで30㎞歩き、高校の時は、和歌山の新宮から十津川まで60㎞ほど歩きました。また、高校生の頃からは、月に一度程度、和泉山脈や金剛・葛城山の谷道、尾根道を探しては、山の中を歩き回っていました。冒険家のように世界中や日本縦断をしたというような大それたことはしていませんが、今から考えると、子どもの頃の行動を、よく親は許していたなあと思います。と言うよりも、何処へ行ってきたと親には話をしていなかったと思います。さらに、大学の頃は、時間を見つけては、大阪市内を歩き回ったり、奈良、京都の町や、東海自然歩道を歩いたりしました。さらに、地質学をしていたので、よく、室生周辺、二上山周辺の山へも通いました。日本各地への旅行時は、必ず町の中を数時間歩き、その町の雰囲気を体で感じるようなことをしていたと思います。ここ20年間は我が子との旅行が続いていて、車で移動することが多くなりましたが、そろそろ子どもも自立し、「歩き回り」の血がさわぎ始めています。この夏のカナディアンロッキー山脈での21㎞のトレッキングはとても素晴らしく、これを機会に、また各地を歩きたいと思います。歩くと、生活の息吹、一つ一つの曲がり角の風景、道ばたの草花まで記憶に残ります。
「千日回峰」についての本を読みました。12年間、修行をしながら、毎年レベルを上げていき、修行を極めるというものです。山での修行、京都大回りの修行と、道を歩きながら、お参りをします。人生そのものの修行に思いました。歩きながら、生きていること、生かされていることに感謝し、その向こうにある何かを求め続けることなのです。自分の足で歩き、自分の体で物事を捉える大切さを身につける修行です。子ども達にも、自分の足で歩くことの素晴らしさを伝えたいのですが、しんどい、かわいそうという言葉が先に立ち、最近、難しくなりました。
■マニア
子どもの頃を思い出したついでに、4年生の時、天体の図鑑から太陽のことを調べて、レポート用紙100枚に写したことがあります。初めての調べ学習だと思います。その頃は天王寺公園の中に図書館があって、扇風機の回る暑い図書館でした。何日か通って、大人の間で机に向かっていました。太陽の項を丸写ししました。そのときに、黒点、フレア、コロナ、プロミネンス、粒状斑などの言葉を覚えたり、オーロラとの関係も知りました。ただ単に、写しただけでしたが、それが、理科学習の始まりだったように思われます。また、その頃の知識は、本当によく身についています。今取り組んでいる、朝の発表、自由研究発表は、大人にとってはあまり記憶に残らないことでも、子どもの一生に関わるかもしれません。
今週の予定 下校
24 月 <休み>
25 火 弁当 2:40
26 水 2:40
27 木 2:40
28 金 秋の遠足 3:00
29 土 PTCC行事
30 日 <休み>
1 月 2:40
●遠足、PTCCの行事があります。集合場所、持ち物などについては、配布資料確認の上、遅れないようにしてください。