「わからない」から始める 平成13年7月 2日(月)
『「わからない」という方法』という本を読んでいます。『・・「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。スタート地点とゴール地点を結ぶと、「道筋」が見える。「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。「わかる」ばかりを性急に求める人は、地図を見ない人である。常にガイドを求めて、「ゴールまで連れて行け」と命令する人である。・・・』と、前書きにあります。
私たちは、子どもとの学習を「わからない」ことから出発しています。この本にも書いてあるように、「わからない私」が「わかっていく過程」が大切なのだと思っています。なぜ学習をするのか、それは、「わからないから」なのです。分かったことだけを教える教育は、講義形式になり、伝える教育になってしまいます。実習の先生の最初の授業は、わかったことを教える授業でした。それが、日に日に、子どもの「わからない」「疑問点」から出発する学習に変化してきています。学習時間が、「わからないこと」が「わかる過程」になってきています。
先生がわかることだけを教える授業は、教科書から離れることができません。しかし、わからないことから始める学習は、あらゆる学びを取り込む可能性をもっているのです。例えば、自由研究の発表は、子どもの「わからない」を「わかる」ようにしていく時間なのです。大きく構えて、いっぱいの「わからない」に対応していく学習なのです。子どもが自分の学びの地図を作っている時間なのです。この時、先生にもわからないことがいっぱい提案されてきますが、我々は子どもに、次に学ぶ方向性を与えたり、学ぶ環境を整えたりしているのです。
さて、最初の文章に戻り、親にも当てはめてみましょう。親は、『常にガイドを求めて「ゴールまで連れて行け」』と言っていないでしょうか。『常にガイドを求める』とは、『ゴール』とは、何をさしているのでしょうか。人によって違うとは思いますが、自分で地図を作らない人になってしまっていないでしょうか。また、子どもに自分の地図を作らせているでしょうか。21世紀の学力は、この自分で地図を作る力をつけることが大切なのです。手伝い過ぎると、いつまでも力をつけません。自分の作った地図で、一人歩きできるようにすることが大切です。自分の地図作りをして世界を広げているのが、日々の学習時間であり育ちです。
●学習の参観
『子どもの日直の時(月に一度)学校に来て、子どもの学習を見たり、教室のお手伝いをしたりしてください』と、1年生時より言ってきました。しかし、最近、子ども達がいろいろ出来るようになり、お手伝いする場面が減ってきました。そこで、「日直の時には学校へ」という教師からの申し出は、もう二学期から無くてもいいのではないかと思うようになりました。今まで通り、教室はいつ見に来てもらってもよいのですが、子どもの自立に向けて、子どもの活動を手伝わない我慢が必要となります。中学年の子ども達は、これから学級の中で社会を作ります。そこでは、トラブルや仲間はずれなどの問題も出てきます。これを学習として受け入れ、その解決の過程を育てることが大切になります。
今週の予定 下校
2 月 プ3 1:30
3 火 プ1 1:30
4 水 教育実習授業 1:30
5 木 プ1 1:30
6 金 プ2 1:30
7 土 11:50
8 日 <休み>
9 月 プ3教養講座育友会 1:30
■お弁当
7月は午前中授業です。お弁当日はなく、全て給食を食べて帰ることになります。