豊かな生活 平成12年4月17日(月)
一昨年、オーストラリアへ行きました。そのときのことです。私たちは、地質見学で、砂漠地帯に来ていました。夕方、先住民のアボリジニの家族8人ほどが、大地の精霊ともいえるバオバブの木の下にシートを広げて、座っていました。太陽の沈む2時間ほど前から、太陽が沈んで薄暗くなるまで、静かに大きな動きもしないで話をしています。子ども達は、すぐ近くで遊んだり話に入ったりしています。広大な大地の中に住む彼らは、ずっと昔から、そのような生活をしてきているのでしょう。大地に近いところで生活をして、風と太陽と共に生きているのです。民族に伝わる話をして、神と精霊を大切にした生活なのです。
かつて私が育った大阪の下町では、夏の夕方になると家の前の地道に水まきをして、木や竹で作られた長椅子を持ち出し、暗くなるまで遊んでいた記憶があります。道路の裸電球が赤くともり出すと、家に帰って食事をし、また、真っ暗になった頃、花火をするためにその椅子に集まってくるという夏の生活でした。道路は、車が殆ど通らなくて、人が歩くためにあり、生活空間の一部でした。椅子に座って町のおじいちゃんに話を聞きました。紙芝居のおじさんが来たり、わらびもち、ロバのパン屋、金魚売りが来たりしました。豆腐、竿竹、魚売りも来ました。盆踊りには、家の前の道に杭が打たれて、そこにロープを張り、そのロープの周りを、隣組の人たちが細長く輪になって踊りました。子ども達は、お地蔵さんの前に敷かれたシートに集まって、お菓子やジュースをもらって座っていました。道は町の生活単位であり、集いの場所でもあったように思います。
学校も、ゆったりとしていました。夕方の校庭に遊びに行き、鉄棒をしたり、ボール投げをしたりしましたが、しかられたりしませんでした。先生方も、遅くまでいる様子ではありません。給食も、子どもが食べて、先生は昼休みにうどん屋さんへ食べに出ていました。のんびりした時代でした。
昔の生活時間は、どこへいってしまったのでしょう。生活のゆとりは、どうなってしまったのでしょうか。私たちは、何か大切なことを忘れてしまっているのではないか、そして、それが何だったか、今、思い出せないのです。ちょっと昔にはあったのですが、何と交換してしまったのでしょうか。安全、便利、学力、清潔、豊かな生活、と交換?豊かさとは、いったい何なのでしょう。
<れんらく>
●忘れ物が多いですよ
各家庭で、連絡帳、筆箱、連絡袋の点検を、毎日、親がしていますか。配った書類が何日も入っている人、宿題をしていない人がいます。我が子がだらしないなと思う親は、しっかり子どものカバンの中を点検してくださいね。また、学校に来られたときは、机の中、後ろのロッカーを点検して、しばらく学習の様子を見ていてください。
私たちは、忘れ物をする子や、宿題をしない子に対して、注意はしますが、きつくしかったりしません。最近へたにしかると、「先生のしかり方が良くない。うちの子は学校へ行きたくないと言っています。」と逆に教師がしかられます。「残念だったね。忘れちゃったの。」ぐらいは言います。本来、親の責任です。
<今週の予定> 下校
17 月 2:00
18 火 2:40
19 水 身体測定 2:40
20 木 2:00
21 金 授業参観・育友会 2:30
22 土 <休み>
23 日 <休み>
24 月 聴力検査 2:40