今日の二上山登山は、尾根道を登り鹿谷寺跡を通りました。鹿谷寺跡では、新しい解説板が立てられていることを発見しました。見捨てられているわけでなないことを知り、嬉しくなりました。ネットで、鹿谷寺跡の情報を調べてみました。

 「奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られますが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていません。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土しています。」(太子町)

 「概要・・二上山の山腹から西に伸びる尾根を開削して造営された石窟寺院跡。十三重層塔と石窟からなり、塔は高さ5.1メートルの規模で凝灰岩の岩盤から削り出したものである。石窟は間口3.06メートル、奥壁の高さ1.6メートルで、奥壁面に三尊仏を線刻する。三尊仏は蓮華座に坐し円光を負う同大の如来像である。塔の形式や付近で出土する土器から奈良時代の造営と考えられる。

ストーリーの位置づけ・・鹿谷寺跡は岩屋とともに全国でもまれに見る大陸風の石窟寺院で規模は小さいが、中国の雲崗石窟や龍門石窟を彷彿とさせるもの。建立には古墳の石棺や都の宮殿につかわれた二上山凝灰岩の石材切り出しに関わった氏族が関与したとも考えられているが、文献記録などには全く残されておらず、まだまだ謎の多い古代遺跡である。」(文化庁)

 

鹿谷寺跡の案内板