吉野から下市口駅へと10㎞ほどを歩きました。芭蕉が吉野のサクラを見に来ていることが、案内板に書かれていました。そして、その芭蕉が吉野のサクラを見に来た紀行文が『笈の小文』です。今日歩いた吉野川沿いの道は、かつて芭蕉が歩いていたのでしょう。ネットで情報を調べてみました。
「貞享4年(1687)10月から翌年にかけての上方旅行記である。芭蕉がこの旅で志したのは、吉野の春に花を探り、更に進んで和歌浦、須磨、明石に名所旧蹟を訪ねることであった。また亡父の三十三回忌が近くあり、その法要に列席するために帰郷したいという思いもあったようだ。一方で芭蕉の文名が広く高まる中で、各地の俳人衆からの度重なる招きにこたえるという目的も少なからぬ比重を占めていた。」(愛知県総合教育センター)
「松尾芭蕉の俳諧紀行である。『笈の小文』の歩いた経路は、次のとおりです。
1687年(貞享4年)10月、江戸を出発、鳴海(名古屋市緑区)に滞在、保美(愛知県田原市)を訪れる、郷里の伊賀上野(三重県伊賀市)で越年、2月に伊勢参宮、3月に坪井杜国との2人旅で吉野の花見、その後、高野山、和歌浦を経て4月8日奈良に到着、その後、大坂から須磨、明石まで漂泊」(グーグルAi)
最近歩こうと目標にしている、伊勢神宮、伊賀、吉野、高野山、和歌浦、大阪、須磨、明石は、芭蕉がかつて歩いていた所だったので、うれしくなります。『笈の小文』を読んでみようと思います。
また、芭蕉はさらに少し前にも吉野に来ていて、その文章が『野ざらし紀行』です。ルートを調べてみました。
「松尾芭蕉の「野ざらし紀行」のルートは、次のとおりです。貞享元年(1684年)8月、江戸深川を出発し、東海道を上り、伊勢、伊賀、大和、吉野を経て、山城、近江に出る。美濃大垣に木因を訪問する。奈良、京都、大津、名古屋を訪ねる。翌年4月、中山道・甲州街道経由で江戸に戻る。」(グーグルAi)
芭蕉と吉野山