掃除の大切さを示した禅の言葉を見つけました。ネットでその意味を探してみました。

 「禅では、その掃除を何にもまして重要なものだとしています。それをあらわすのが「一掃除、二信心」という言葉。信心より前にやることがある、それが掃除だ、というのですから、禅の修行は、まず、掃除をもって始まる、といってもいいですね。事実、禅寺はじつによく掃除が行き届いています。廊下に塵ひとつないのはもちろん、姿が映るくらいに磨き上げられています。しかし、くる日もくる日も、雲水たちはそのピカピカの廊下を磨き続けるのです。何も知らない人が見たら、「汚れてもいないのに、なんで?」と思うかもしれませんね。そうして廊下を磨くこと、掃除をすることの意味を、禅ではこう考えます。「掃除=心の塵を払うこと」。生まれたばかりの赤ちゃんの心は一点の曇りもなく、塵も埃もついていません。ところが、成長するにつれて、いろいろなものが積もってくる。欲や迷い、不安や恐れ、妬みや嫉み……といった、いわゆる煩悩です。これが塵にも埃にもなるのです。その塵や埃が厚く積もった状態を、私は「心のメタボ」と呼んでいるのですが、肉体的なメタボを解消するために、たとえば、エステと取り組む必要があるように、心のメタボを取り去るためにも、「心のエステ」にあたる行動、所作が必要なのです。」(幻冬舎プラス)

 窓・ガラス戸の掃除、風呂、床、家具などの掃除を続けています。本棚の本の数もかなり減らしました。昔から集めていた石、鉱物、化石も、減らしてきています。もっとスッキリとした家にしていきたいと思っています。

 

 

♫ 木斛(もっこく) ♫