高麗橋のすぐ横には、里程元標の碑があります。里程元標についてネットで情報を調べてみました。

 「江戸時代の里程計算の起点は、高麗橋の東詰にあった。ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となった。明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。現在は道路元標として梅田新道交差点西北角に移されている。また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。なお高麗橋は大阪で最初の鉄橋(明治3年)である。」(大阪市)と、ありました。

 高麗橋は、今は高速道路の下になっていて、かつての要所だった面影はないのですが、とても重要な場所だったのでしょう。東京の日本橋(五街道の起点場所)も同じように高速道路の下だったなと思い出しました。また、ここに書かれている京街道、中国街道、紀州街道は、ほぼ歩いています。

 

 京街道は、「大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、文禄5年(1596)、2つの城を最短距離で結ぶため淀川沿いに文禄堤を整備。この堤の道が京街道となりました。」ということです。大阪から京都まで歩いたことがあります。

 中国街道は、「中国街道は、大坂と西宮を結ぶ街道。別名は中国路、浜街道。大坂城下高麗橋を起点に、難波橋、十三の渡し、神崎の渡し、大物浦、尼崎城下などを経由して、西宮本町で西国街道に合流する。なお、西国街道を中国街道・中国路と称することもある。」ということです。この道も歩いたことがあります。

 紀州街道は、高麗橋を起点として、熊野街道よりも海側、上町台地の下側を、住吉大社、堺市街地、浜寺公園横、岸和田城を通り、和歌山へと続く道です。大阪府南部では、熊野街道と合流して山中渓を通るコースが一般的ですが、孝子峠コース、大川峠コースもあります。この紀州街道も、ほぼ歩いています。

 

里程元標跡

 

高麗橋