今日は二上山で、ササユリを見たので、ササユリについて、ネットで調べてみました。

 「日本だけに生息するユリの原種で、関東以西の本州から四国と一部の九州に自生しています。葉が竹笹に似ていることから笹ユリと呼ばれます。生育が遅く、種子から開花するまで7年から8年もかかると言われ、山の手入れがされないことや乱獲も重なり、自然に見ることが少なくなりました。花は5月下旬から6月上旬ころに開花します。1輪から2輪の花が多く、中には5輪以上咲くものもあります。花色は清らかなピンク色で、いやみのない甘い香りがあり、清楚な草姿から最も観賞価値の高いユリのひとつとされています。ササユリは生育が遅く、病気にも弱いため、営利的な栽培技術が確立されておらず、多くは山取り品が切り花として流通・利用されています。

 ササユリと日本人のつながりは古く、日本最古の書「古事記」に登場します。神武天皇が狭井川(奈良県)のほとりで、後の皇后となる伊須気余理比売命(いすけよりひめのみこと)と出会い恋をしました。このとき岸辺には、ササユリの花が咲き乱れていました。ササユリが2人の愛の仲立ちをしたわけです。古事記においては「山由理草」と表記され「元の名を狭韋(さゐ)という」と記されています。これが狭井川とその地に咲くささゆりを神饌とする率川神社(いさがわじんじゃ)の三枝祭の起源です。その他、最古の歌集「万葉集」ではサユリ花として歌われるなど、多くの人々を魅了し浪漫を生み出してきました。」と、いうことです。

 さらに、この解説に出てくる率川神社の三枝祭についても調べてみました。

 

<率川神社(いさがわじんじゃ)の三枝祭>

 「当神社は飛鳥時代、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によっておまつり申し上げた奈良市最古の神社です。御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中で皇后様を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神(こもりみょうじん)」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外から篤い信仰がよせられています。」

 

<三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)>

「例祭日  6月17日 10時30分斎行

 宵宮祭  6月16日 15時斎行

 後宴祭  6月18日 10時斎行

三枝祭は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭りです。

昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。

国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。

このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。」と、いうことです。

 

 率川神社は、近鉄奈良駅から直ぐ近くにある神社でした。30年近く奈良に通っていたのに、率川神社も、三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)のことも、知りませんでした。情けない。

 

 

♫ 冬青(そよご) ♫