今日の朝で、コロナ菌が増えるのを抑える高価な薬(5日分95000円)を飲む期間が終わります。これから、隔離生活を徐々に終えていこうと考えます。今日から、リハビリ歩きをします。ほぼ歩かない生活をしていたので、足腰の筋肉が弱っています。再感染ということもあり、隔離生活を三週間の間に2回もしたので、かなり歩く力がなくなっています。

 山河遊歩が900号(2021年1月1日から)となりました。9月末には1000号になります。退職をしてからも、毎日文章を書く生活が続けられているのは、幸せだなと思います。文章を書く生活は、もう50年近くになります。

 教師生活のスタートは、科学教育研究所の地学研究室に4年間いたので、そこでの研究紀要に地学教育の報告書を書いたことが最初です。毎年原稿を書かせてもらいました。また、学校の先生方の地学教育研究会が地学研究室を中心として活動していたので、年に数度、日本各地に出かける観察会の記録も書いていました。海外へ地質見学にも出かけました。

 研究所の次に、公立小学校に12年間勤めた時は、学級だより、学年だよりを毎週書いていて、さらに、市の教育会の懸賞論文に3回提出し、1回は10万円、2回は5万円をもらいました。海外視察の選考会では、小論文を書き、アメリカ研修旅行にも行かせてもらいました。

 38歳からは、奈良のこぎつね附属小学校(国立)に22年間勤めました。学級だより、学年だより、理科だより、学校だよりを、その時々に、毎週書いていました。賢い子ども達、保護者が読んでくれるので、毎回、百人から数百人の読者がいると考え、頑張って書きました。こぎつね附属小学校は、教育研究雑誌を各月に発刊していたので、年に3、4回、教育論文を書く機会がありました。一般の教育雑誌からの原稿依頼もあり、いろいろなテーマで書かせてもらいました。さらに、公開研究発表会が年に2、3回もある苛酷な学校でしたが、その都度、協議会資料を書きました。こぎつね附属小学校にいる期間は、県の理科研究会や、ソニー理科教育財団のしごと、学習研究連盟のしごとなどもしてきました。

 また、先生しごとをしながら、理科の教科書(啓林館)の原稿にも関わることができました。35歳ごろから現在まで30年以上も続いています。教科書の原稿書きは大変なのですが、さらに指導書を書く時は、膨大なページ数(100頁近く)を一気に書くので、とても大変です。教科書は、3年か4年に一度改訂があるので、ほぼ毎年、仕事をし続ける状況でした。

 長く、文章を書く生活をしてきたなと、振り返ることができました。

 

 

♫ 夏至 ♫