古代の道と天体観測
先日は、桜井市の小学校で、先生方と一緒に、天体観測の道具作りをしました。数日前に書いた、天体観測道具のブログとその写真を、先に印刷して配って下さっていました。具体的な内容や写真をお伝えするときに、ブログが役に立つのだなあと分かりました。
桜井は古代文明の中心地です。田園風景が広がり、空がとても広い所です。
三輪山から満月が出て、二上山に太陽が沈むという、古代と同じ風景、同じ時間が共有できます。
かつて、大阪から二上山の竹ノ内峠を越えて、当麻寺を通り、奈良盆地を横切るように、真っすく桜井まで歩いたことがあります。堺の百舌古墳群から、古市古墳群、近つ飛鳥、竹ノ内峠、そして、桜井に向かうという東西道です。さらに、桜井から東へは、はるか伊勢へと伊勢街道が続きます。太陽信仰の道だと聞いたこともあります。
一方、
桜井から北へは、最古の道と言われる山辺の道が、奈良の平城京へとつながります。勿論さらに北へ行くと平安京にも行き当たります。
桜井から南へ行くと、藤原京そして古代飛鳥の宮々があります。
さらに、さらに、南へ歩くと吉野、そして紀伊山地の修験道の道があり、熊野本宮、新宮へと続きます。
昔の人(庶民)は全て歩いて旅をしていました。
桜井は、古代最大の、東西道と南北道の交差点です。その地で、天体観測が出来る素晴らしい環境にあります。天体の動き(太陽・月・星)と古代の文化がつながって見えてくるかもしれませんね。
楽しみです。
この古代の道は、地質学的に考えると、少しこわいのですが次のように見ることができます。
二上山から伊勢への東西道は、実は、火山岩が噴出している破砕帯でもあるのです。香川県の五色台から辿ると、二上山、耳成山、室生溶結凝灰岩と、酸性火山噴出物が一直線に並びます。これらの火山活動は、1000万年~2000万年前の火山活動の話で、現在は全く噴火することはありません。これは、日本で第一級の断層である中央構造線の北側の、マグマ噴出帯に当たるのですね。
また、南北道は、先は京都から木津川沿い、そして若草山、飛鳥へ続く南北の断層帯に当たります。奈良盆地の東側の、山地と平地を区切っている大断層に道が出来ています。それは、南へと続き、吉野そして熊野酸性岩地帯、そして南北に流れる熊野川の流路につながるのですね。
地質的に見ると怖いのですが、古代の道の多くは断層沿いにあります。
断層に沿い川ができ、川に沿って人々が生活をするというように、文明は発達してきています。