フジコ・ヘミングさんのピアノ | 軽井沢高原文庫

フジコ・ヘミングさんのピアノ

 12月も半分が過ぎました。皆さまはいかがお過ごしですか。

 軽井沢高原文庫は12月1日より冬季休館に入っていることは、すでに記した通りです。しかし、毎日、休んでいるわけではなく、何かしら、開館中にできないことをしていることも、本欄にその一端を記している通りです。

 3日前、軽井沢千ヶ滝のマンションに、もう20年以上も一人暮らしをされている101歳の梶川敦子さんのところへうかがってきました。作家・芹沢光治良氏から梶川さん宛の書簡数十通を軽井沢高原文庫に寄贈いただきました。数年前から私にお話はあったのですが、私が忙しいのと、ぐずぐずしているのとで、今に至ってしまいました。昭和16年ごろから芹沢氏が亡くなる晩年までのやりとりです。梶川さんは芹沢氏に師事された方。梶川さんと軽井沢との関わりは古く、60年ほど前からとのことです。

 2日前、軽井沢美術館協議会の今年の最終例会および忘年会が町内の飲食店であり、私も参加してきました。ルヴァン美術館や田崎美術館の方は東京から参加されていました。

 今日、私は群馬県下仁田町にある女性村 ねぎぼうず(旧西牧小学校)へ行ってきました。今年春の軽井沢高原文庫での松永伍一展で松永氏の子守唄資料をお借りし、またイベントでも講演をお願いした西舘好子さん(日本子守唄協会理事長)がそこを総合文化施設(心と身体の相談室などもあります)にしようと、コロナ禍の中で始められ、いま、仲間と奮闘されているのです。松永伍一展の際に制作したパネル類を欲しいとのご要望をイベントの時にいただいていたので、半年たってしまったのですが、横3メートルもある松永伍一年譜などをライトエースの荷台に積んで、一式、寄贈してきました。西舘さんは東京から移動されて、手作りのおにぎりやがっくら漬けや焼きそばなどをつくられて、スタッフの方々と待っていてくださいました。食事の際、私の隣には下仁田町の元教育長・里見哲夫さん(96歳)がすわっておられて、下仁田の歴史を私に話してくださいました。なにしろ元小学校ですから、教室が沢山あります。その一つはピアニストのフジコ・ヘミングさんの部屋になっていました。フジコ・ヘミングさんが寄贈なさったというピアノが中央に置かれていて、フジコさんの絵や写真も飾られ、素敵な部屋に変身していました。ピアノは誰でも弾いてよいそうなので、私も象牙の鍵盤に触れさせていただきました。ピアノは1881年頃のベルリン製。ここに写真を1枚、載せます。 (大藤 記)