京都のヴォーリズ建築を見てきました。 | 軽井沢高原文庫

京都のヴォーリズ建築を見てきました。

 きのう、ドナルド・キーン氏ゆかりの京都を訪ねたことについて、本欄に記しました。

 今回の京都旅行には、じつはもう一つ、目的がありました。それは数年前に知り合った京都産業大学日本文化研究所の二村盛寧さんに、京都建築を案内していただくことでした。画家深沢省三と血縁関係にある二村さんは、京都検定マイスターの資格もお持ちです。

 見学コースは、二村さんにお任せしていたのですが、思わぬ大雪のため、大幅に変更となったようです。そして、空海ゆかりの東寺(とうじ)からスタートしたマンツーマンの京都建築見学会は、その後、次第に京都市内のヴォ―リズ建築の見学へと、焦点が絞られてゆきました。

 軽井沢タリアセンにウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の旧朝吹山荘「睡鳩荘」が移築されていることから、あるいは二村さんが気を遣ってくださったのかもしれません。軽井沢高原文庫のイベントで睡鳩荘を使うこともあるのは、皆さまご存知の通りです。

 近代建築を学んでいる人には新情報ではないと思いますが、ここに記録として、ヴォ―リズ建築の現在の画像をいくつか、載せておきます。

 まず、同志社大学今出川校地には、計4つ、ヴォーリズ建築があります(正確には1つ建て替えられているそうなので、3つ)。写真の順に、アーモスト館、啓明館、新島遺品庫。きのう記したキーン氏が下宿していた「無賓主庵」はアーモスト館のすぐ裏手に移築されています(念のため記しますが、アーモスト館写真はじつは正面ではなく、建物の裏側です。正面にも見えてしまうところが、すごいです)。

アーモスト館

啓明館

新島遺品庫

 私は、前日、能楽の家の河村寧子さんに同志社大学ハリス理化学館(国重要文化財)内の同志社ギャラリーをご案内いただいていて、その展示物の中に、同志社大学校歌をW.M.ヴォーリズが作詞(英語)しているという資料があり、驚いたのですが、それは私がたんに無知であったからで、すぐに河村さんが同志社大学校歌の出だしを歌ってくださいました。

 ちょっと話が逸れますが、同志社大学今出川校地は旧薩摩藩邸跡です。京都御苑の今出川通を挟んだすぐ北隣。初期の京都府政を指導した山本覚馬(幕末の会津藩士)がこの土地を新島襄に譲ったのでした。新島襄夫人はNHK大河ドラマ「八重の桜」で主役となった山本覚馬の実妹・八重です。

 さて、次は、ところ変わって、北白川にある駒井家住宅です。1927年(昭和2年)、遺伝学の権威で京都帝国大学理学部教授の駒井卓博士の自邸として、琵琶湖疎水分線の畔にヴォーリズ設計により建てられました。アメリカン・スパニッシュ様式。

 この日は公開日ではなく、内部見学はできませんでしたが、庭に学生のための宿泊施設や温室が垣根越しに覗いて見えました。温室があるなんて、いいですね。二村さんによれば、駒井夫人とヴォーリズ夫人が共に神戸女学院卒業の縁で、依頼したとのこと。すぐ横を流れる琵琶湖疎水と桜並木の写真も一緒に載せておきます(建物は向かって左)。現在、財団法人日本ナショナルトラスト他が管理。 

駒井家住宅

 

駒井家住宅付近

 もう一つ。銀閣寺近くにあるゴスペルというカフェ。このカフェは、ヴォーリズ建築事務所の設計ではありますが、ヴォーリズ死去後に設計されているため、厳密にはヴォーリズ建築ではないようです。しかし、二村さんによれば、一粒社ヴォーリズ建築事務所(東京)もこの建物をヴォーリズ建築の括りの中に一応入れているそうで、つまり、それに恥じないクオリティを持っているということでしょう。最近復活したというランチを二村さんと一緒に食べました。暖炉に火がついていました。本来ならば外観を採るのでしょうが、私は暖炉が好きなので、女性オーナーの許可を得て、内部を撮らせていただき、こちらを載せます。階段周りなど、各所にヴォ―リズ建築の特徴が見られました。  (大藤 記)

ゴスペル