社会が失う国語力
きのう、佐伯啓思さんが国語教育改革について新聞に書いた「社会が失う国語力」は誠に洞察力に富む内容で、私も再読、三読しました(朝日2019.12.28オピニオン面、「異論のススメ スペシャル」)。
佐伯さんの言わんとしているのは、もっとも根本的なところへと立ち返るべきなのである、ということであり、それは、国語力を、生の経験の基礎的な訓練とみなして、国際競争力などに振り回されることなく、思想や文学の基礎的な読解を時間をかけて訓練することこそが大事だということです。
子供のうちから、スマホとゲーム漬けになり、降り注ぐような情報にさらされ、万事を情報処理として受けとめる若者たちから読解力も表現力も失われてゆくのは当然のことであろう、と佐伯さんは言います。そして、大人とて同じことである、と佐伯さんは畳みかけます。なぜならば、われわれはこの20年ほどで、まさにそういう種類の社会を意図して作りだしてきたのだから。
佐伯さんの文章で、いちばん私の印象に残った一節を、引いておきます。「国語の読解力が大事なのは、翻訳も含めて、国語で書かれた文章のなかに、先人たちの経験やそれをもとにした思索の跡が刻印されており、それを知ることがわれわれの想像力をかき立て、また鍛えるからである。」 (大藤 記)