『蓼科日記』
『蓼科日記抄』(2013.8、『蓼科日記』刊行会)を見ていて、漠然と感じていた長野県蓼科における小津安二郎ら、映画関係者を中心とする夏の濃密な交流の一端を、知ることが出来ました。そもそも『蓼科日記』なるものはA5判のノート18冊からなり、シナリオ作家・野田高梧の「雲呼荘」に常備され、そこを訪れた人が誰でも書くことを許されたといいます。しかし、多くは山荘主である野田高梧が書き、また多くの映画製作を共にした映画監督小津安二郎も多く記すという、いわば蓼科における二人の日常のありのままの姿が、事細かに記録されています。掲載された地図には、順不同で、今村昌平、新藤兼人、佐田啓二、笠智衆、 片岡千恵蔵といった人たちが、山荘を構えていたことが分かります。文学では梅崎春生。また分野は違いますが、川上哲治、藤田元司、水原茂といった野球人も。昭和20年代終わりから、小津が死んだ昭和38年、野田が死んだ昭和43年頃までの信州蓼科の地における文化人のコミュニティーの様子が、日記という形で、ここに凝縮され、ひとつの遺産としてここに遺されているのです。