北杜夫『母の影』
以前から気になっていた北杜夫『母の影』(1994.新潮社)を読んでいます。短篇小説集。巻頭に置かれた「神河内」とは上高地のこと。第二次大戦中に初めて訪れた上高地のことを回想した印象深い作品。戦争という現実とはかけ離れた清浄な、荘厳な、優美な自然との触れ合いが、北さんの澄んだ感性で北さんらしく捉えられていて、すぐれた一篇と感じ入りました。ここにはウェストンも芥川龍之介「河童」も出てきません。あくまでも北さんと上高地との出会い。2番目の「根津山」は世田谷代田近くにかつてあったクヌギやナラなどの雑木がうっそうと繁った小高い丘。青山の自宅から、別居している母のいる世田谷まで週末に自転車で通った少年の思い出を綴っています。根津山にはクロカナブンやカブトムシなどがいて、昆虫少年だった北さんには本当に魅惑の場所だったようです。しかしながら、どの作品にも、底流に母を慕う切ない心が流れています。この短篇群は、すべて母輝子の逝去後に書かれたもの。