パラリンピックという大会は皆さん耳にしたことがあるかと思います。
では、「パラ」とは一体どんな意味かご存知でしょうか?
元々、「パラ」という言葉が意味するのは「paraplegic」=「半身不随の」でした。
それから転じて、様々な障害も意味する言葉として「parallel」=「平行」という言葉が
使われるようになりました。
「平行」が意味するのはパラリンピックを「もう一つのオリンピック」という意味に
しようという意図からでした。

2009年8月8日(土)、代々木競技場オリンピックプラザで
「JAPAN PARALYMPIC DAY 2009 in Tokyo」
というイベントが行われました。
そこでは、実際にパラリンピックで行われている競技の体験コーナーがありました。
私が実際に2つの種目の体験をしてきたので、その2つの種目について簡単に
ご紹介したいと思います。




◆ゴールボール
ゴールボールはバレーボールと同じ広さのコートを用い、両サイドにサッカーのような
ゴールを置きます。
1チーム3人のアイシェード(目隠し)をしたプレーヤーが鈴の入ったボールを転がして
相手のゴールに入れるという競技です。つまり、視覚障害を対象とした競技なのです。


実際に、ゴールボールの選手が守るゴールを目がけて、私はボールを転がしました。
それが、なかなか決まらないのです。いくらボールに鈴が入っているからといっても
音だけで場所を判断できるのか?と不思議に思いましたが、彼らは判断するのです。
私が隅っこに投げても、すっと体を寄せてゴールを守るのです。
また、このボールが1.25kgあるので結構な重さになります。
自分のゴールを守るだけでなく、狙いを定めて相手のゴールに投げ込むという動作も
あるので、重さに耐える集中力も必要とされるでしょう。
駆け引き、集中力、タフネスが必要とされる競技です。
Q太郎のスポーツ旅日記  ~Enjoy!SPORTS~



◆車椅子バスケットボール
井上雄彦氏の漫画「リアル」で知っている方も多いかと思います。
パラゲームスの中でも花形と言われる種目でバスケットボールファンの間では
「イスバス」という呼び方をされたりもします。


会場からほど近い代々木公園内で行われていたストリートボール「Legend」の後に
イスバスのイベントが行われました。
3on3のコートで行われましたが、車椅子の操縦、腕力の強さ、当たりの激しさには
驚かされます。
特に片輪を浮かす「ティルティング」はイスバスの妙技とも言えるのではないでしょうか。
ティルティングによって少しでも打点の高い状態でシュートを狙うという効果が
あるそうです。
Q太郎のスポーツ旅日記  ~Enjoy!SPORTS~-isubasu


初めて、イスバス用の車椅子に乗りましたが予想以上に軽く、小回りがきくんだなと
思いました。
車椅子に乗るだけなら簡単と思いましたが、そこからボールを持つとなると一苦労です。
通常のバスケットボールでは、自分の体から近い方がハンドリングしやすいのですが、
イスバスでは車椅子に当たらないように、程良い距離でドリブルをつかなければなりません。
車椅子の操作をしながら、ドリブルもしなければならないのでなかなか大変です。


そして、何より難しいのがシュートです。シュートがゴールに届かないのです。
ゴール下なら、少し手を伸ばせば入るのに、イスバスの場合だと思い切り「天に向かって打つ」と
いうようなイメージでないと入りません。
イスバスの選手がいとも簡単に3pシュートを決めるのを見ると驚きです。


この日、私達にイスバスを教えてくれたうちの一人が香西宏昭選手です。
香西選手は北京パラリンピックの日本代表です。
高1の時からクラブチームのレギュラーとなり、現在はアメリカの名門イリノイ州立大学に
留学中です。
香西選手を見ていると、「プロフェッショナル」を感じます。健常者のスポーツで
あろうと、障害者のスポーツであろうとやはり「もっと上へ」という気持ちに変わりは
ありません。
イスバスの第一人者といえば、現在イタリアで活躍する安直樹選手です。
安選手は日本初のプロ車椅子バスケプレーヤーとなりました。
きっと、香西選手も安選手のように海外で必要とされるプレーヤーになっていくのでは
ないかと思います。




パラゲームスにはまだ問題点や課題がありますが、なかでも知的障害の基準は
非常に難しい問題です。
2000年のシドニーパラリンピックにはバスケットボールの知的障害クラスが
ありました。そこでスペインチームが金メダルを獲得したのですが、
後に健常者が混じっていたことが発覚しました。
その後の2002年ソルトレイクパラリンピック以降、知的障害クラスは全種目
パラリンピックからなくなりました。
知的障害クラスの大会は「スペシャルオリンピックス」という名称で行われています。
知的障害は他の障害に比べ、基準が難しいと言われているため国際パラリンピック委員会との
調整が行わなければ、パラリンピックへの復帰は難しいのが現状です。
パラリンピックが「もう一つのオリンピック」という概念を持っているならば、
一つにまとまるのが理想なのでしょうが・・・。


しかし、パラゲームスからは新たな発見と驚きがたくさん見られるような気がします。
健常者ではできないような、凄いと感じるようなプレーがたくさんあるのです。
「福祉」「医療」といった観点よりも「スポーツ」「文化」といった観点で
発展をさせていくことが今プレーしている選手達の希望なのではないかと思います。


9/11~9/13に東京2009アジアユースパラゲームスが開催されます。
ユース年代のパラゲームス国際試合は非常に稀なケースだそうです。
ぜひ、パラゲームスを皆さんの目で感じてください。

www.tokyo2009.jp

バスケットボールのアジア選手権が開幕します(8/6~8/16:中国(天津))。

この大会で3位以内に入れば、2010年に行われるトルコでの世界選手権出場が

決まります。



しかし、バスケットボールの神様はどうしてここまで日本に試練を与えるのか?

神様のせいにでもしたくなるような苦難の連続でした。


第1の苦難はデービッド・ホッブスヘッドコーチの退任でした。

6月に愛知で行われた東アジア選手権前から数多くの合宿を積み重ねてきました。

基本的な細かい動きまで厳しいチェックをいれると言われた、デービッド・ホッブスHCの

教えが少しずつではありながら浸透していったように思えました。

けれども、東アジア選手権後にデービッド・ホッブスHCは体調不良で休養、

その後退任となってしまいました。

アジア選手権まで時間が無いため、強化部長であった倉石平氏が日本代表の

HCに就任することとなりました。


どのスポーツにおいても、ナショナルチームのヘッドコーチというのは4年単位の

スパンでチームを作っていくというのが基本です。

なぜなら、オリンピックやW杯といった大きな大会が4年に1度のものだからです。

それを目指してチーム作りをしていくので、任期途中での退任というのは今後の

ナショナルチームの強化に大きなマイナスとなるのです。

アジア選手権がゴールではなく、通過点には世界選手権があり、ゴールがロンドン五輪

出場なわけです。

そのために、どのような策を講じるのか、アジア選手権次第でHC問題も再燃してくること

でしょう。



第2の苦難はけが人、体調不良者の続出です。

7/18~26に台北で行われたジョーンズカップは悲惨な結果となりました。

PG石崎(東芝)が試合中に相手選手と接触し骨折。代表から離脱。

加えて、二人のPG柏木(アイシン)、五十嵐(トヨタ)も足痛を訴え思うように練習ができない状態でした。

また、敵はけがだけではなかったのです。

食中毒にかかる選手が続出しました。日本選手だけでなく同ホテルに泊まっていた他国の

選手でも食中毒にかかる選手がいたとのことで現地ホテル側に問題があったのでは

ないかと言われています。


けがや食中毒で日増しに選手層が薄くなっていく状況でした。

ジョーンズカップ最終日には交代選手無しのたった5人で40分を戦わなければならないと

いう非常事態となりました。

しかも、あくまでバックアップの位置づけとして召集していたユニバーシアード日本代表

金丸晃輔(明治大3年)も最終戦には40分のフル出場でした。

結果、日本は1勝6敗となり、惨敗。強化どころの騒ぎではなく、思うようなポジションで

それぞれの選手がプレーすることすらままならないという異常事態となったのです。


PGからFまでこなせる桜井(レラカムイ)がPGをやる場面もあったものの、そうなった時には

Fが手薄になるのも事実です。

アジア選手権を前に、骨折した石崎の代わりにPG正中(トヨタ)が急遽召集されることとなりました。



苦難続きの日本代表ですが、苦しいとばかり言っていられません。

開幕早々にライバル韓国との対戦が待っています。

予選リーグで奇しくも同組となった韓国には6月の東アジア選手権で負けを喫し、

優勝を逃しました。

早速、初戦から予選リーグの山場を迎えますが、韓国得意のゾーンディフェンスに

日本がどう対応していくかが注目です。


暗闇の中から光のある方へ・・・。

もう暗闇はたくさん見てきたはずです。

バスケットボールの神様が微笑むのはどこの国になるのでしょう?


人の力を超えた大会。一体、どこまでがスイマーの力なのか?

信じられないほどの高速化を生み出した水泳世界選手権(競泳)を

振り返ってみたいと思います。



◆高速水着と世界新ラッシュ

五輪の翌年は記録が出ないとされています。各国ともエース級の選手が欠場したり、

世代交代の時期となったりすることが多いからです。

しかも、今回のローマ大会は屋外プールでした。屋外プールは一般的にタイムが

出にくいとも言われています。

そのような条件の中、世界新記録43個大会新記録108個という脅威の記録

ラッシュとなりました。昨年の北京五輪で生まれた世界新が25個ですから

信じられない数字です。


タイムが出ないという条件を覆したのが「高速水着」と呼ばれるものの存在でした。

全面、ラバーやポリウレタン素材の欧州製ハイテク水着が現れ、今まで無名だった

選手でも続々とタイムが出るようになりました。

しかし、この大会を最後に記録の更新は一旦ストップするでしょう。

国際水泳連盟が高速水着の開発競争に歯止めをかけるため、

来年度より適用される新規定を発表しました。


「素材は織物とする。透水性がない素材は認められない。

体を覆う範囲は、

男子・・・腰からひざまで

女子・・・肩からひざまで

に限定する。」


個人的な意見として、国際水泳連盟が発表した新規定案に賛成です。

2008年6月、北京五輪の前哨戦として行われた競泳ジャパンオープンで

北島康介選手が着ていたTシャツにはこんな言葉が書かれていました。


「I AM THE SWIMMER

 泳ぐのは僕だ

 是我在遊泳」


「泳ぐのは僕だ」と英・日・中の3ヶ国語で書かれたTシャツを着て、プールに登場しました。

この時は、スピード社製高速水着「レーザーレーサー」の話題で持ちきりだった頃でした。

100分の1秒でも早く泳ぐために、それまでの自分の記録を越えるために、

どれだけの練習を積み重ね、どれだけの犠牲を払ってきたか、

それは選手自身がよく分かっていることでしょう。

「選手が泳ぐ」のではなく、あたかも「水着が泳ぐ」かのような報道に一石を投じたのが

北島選手の意思表示だったのです。


この記録は水着なのか?実力なのか?そんなことを考えながらレースを観るのは

すっきりしません。

世界のトップスイマーが今大会の記録を追い続けるという図式がしばらく続くでしょう。

もう、しばらくの間更新されることのない記録も出てくるかもしれません。

それでも、選手の力が純粋に評価されるのであれば、不必要な高速化はいらないと

私は思います。



◆チームJAPANの収穫と課題

世代交代がうまく進んだかどうか?今大会はその物差しとなる大会であったと思います。

アテネ、北京とチームを引っ張ってきた選手がこぞって抜けた大会でした。

女子では柴田亜衣、中村礼子が引退、中西悠子は今年の日本選手権を欠場。

男子では森田智巳、宮下純一、柴田隆一らが一線を退きました。そして、大黒柱の

北島康介は拠点をアメリカに移し、現役続行。今年の日本選手権は欠場しました。

今大会はロンドン五輪に向けて、誰がエースとなりうるのか?誰が世界と戦えるのか?

をはかる大会だったと言えるでしょう。


今大会から日本代表のヘッドコーチに就任した平井伯昌氏は大会前の目標として、

「メダル3個以上、複数のエースの登場」という項目を掲げていました。

最もメダルが期待された入江陵介(背泳ぎ)がしっかりと200mで銀メダルを獲得。

男子キャプテンである松田丈志(バタフライ)が五輪メダリストとしてのプライドを

見せ200mで見事銅メダル獲得。

そして、何よりの驚きは100mで金メダルを獲得した古賀淳也(背泳ぎ)でしょう。

世界選手権での金メダル獲得は日本選手としては北島康介以来2人目という偉業でした。

しかも、最終日に行われた50mでも銀メダルを獲得。実力が本物であることを証明しました。

古賀、入江の両選手が同種目の背泳ぎであるということが、今後も良いライバル関係と

なり高いレベルでの争いとなると予想されます。


男子に比べ、女子の力が世界と離されているのではと危惧する声もありますが、

私はそこまで悲観していません。ただし、世界のトップに食い込んでいくのには時間を

要するということは確かだと思います。

酒井志穂(背泳ぎ)が100mで4位、金藤理絵(平泳ぎが200mで5位、田村菜々香(平泳ぎ)

が同じく200mで6位入賞という結果を残しています。

オリンピックのメダリストとなった中村礼子や中西悠子といった選手でも、

世界の3位以内に入るまでには、数々の辛酸を味わってきたのです。

世界大会でコンスタントに力を発揮するというのは並大抵のことではありません。

予選、準決勝、決勝としっかり3本泳ぎ、常にファイナリストとして名を連ねていくという

経験が大事なのです。

男子では、立石諒(平泳ぎ)が100分の1秒差で決勝進出を逃がすという悔しい経験を

しました。

国際大会での経験を積み重ね、レースでの勝負強さを養っていってほしいと思います。



2年後の世界選手権、競泳の世界勢力図はどのように変わっているのでしょうか?

ローマが競泳界にとって、新たな出発地となったことは確かでしょう。