新しいことを始める時、皆さんは自分の年齢を気にしたことがありますか?

年齢というのは一つの物差しではありますが、逆に言えば一つの物差しでしかない、

そんなことを感じさせてくれるアスリートが再び、戦いの場所へ戻ってきてくれました。



かつて、「天才」と呼ばれたスイマー、「ハギトモ」こと萩原智子選手です。

2004年に現役を引退したハギトモが5年ぶりに公式戦に出場しました。

先日、行われた新潟国体の成年女子50m自由形で25秒24の大会新記録を叩き出し優勝。

見事な復活レースでした。


Q太郎のスポーツ旅日記  ~Enjoy!SPORTS~


ハギトモは2000年のシドニー五輪で200m背泳ぎで4位、200m個人メドレーで8位という

成績を残しました。

2002年の日本選手権では、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレー、100m自由形

の4冠を達成。圧倒的な存在感を見せつけました。

同年に行われたパンパシフィック選手権では、200m個人メドレーで金メダルを獲得。

しかし、出場種目の多さが影響し重度の過喚気症候群で200m背泳ぎ準決勝のレース後に

倒れてしまいました。

2003年は休養の年に。2004年アテネ五輪を目指し今度は自由形に種目を絞り、

日本選手権出場。しかし、五輪派遣標準記録には届かず、この年現役を引退しました。



身長180cmという世界でも見劣りしない恵まれた体格とオールラウンドに泳ぐことができる

という強みがあることで日本競泳チームの中でもエース格として活躍してきました。

しかし、天才スイマーと呼ばれた彼女でも、オリンピックのメダルには縁がありませんでした。

速いスイマーではあるけれど、強いスイマーではない、そんな印象を彼女に抱いていました。

優しすぎるのではないか?アスリートとしては繊細なのではないか?どちらかといえば、

ひ弱なイメージの方が強く残っていたのです。



ところが、5年ぶりにプールに戻ってきたハギトモは私がかつて感じていた彼女とは、

全くの別人になっていました。

国体の優勝インタビューでは、

「山梨のワインもおいしいですが、今夜は新潟のお酒をおいしく飲みたいと思います」と

話し、会場の笑いを誘っていたのです。(萩原は山梨県代表)

高校、大学の若い選手にはできない、味のある受け答えだなと感じました。

現役引退から復帰まで、解説をしたり、結婚をしたりと外からプールを見つめたことが

彼女にはプラスに働いたのではと思います。

「世界大会で日本の女子自由形が決勝に残れないのは悔しい」と思い、

再び現役としてプールへ戻ることを決意しました。



アメリカのダラ・トーレス選手は41歳で2008年の北京五輪に出場、50m自由形で

銀メダルを獲得しました。

競泳界では脅威的な記録です。ダラ・トーレスの存在がハギトモに勇気を与えている

ことは間違いないでしょう。

ハギトモの目標はダラ・トーレスのように再び世界の舞台で泳ぐことです。

逞しさを身につけたハギトモならやってのけてしまいそうな気がします。

限界は人が決めるのではなく、自分が決める・・・。

力強さを増したハギトモのストロークに大いなる可能性を感じています。



「アメリカではシーズンオフになったら、プロもアマチュアも学生も関係なく

集まってプレーする場所がある。
日本は色んなリーグがあって分かれているけど、こうやって壁を取り払って

プレーできるようになれば良いと思う。」


8/29にLegendシーズン8のグランドチャンピオンシップが行われました。
エキシビジョンゲームに出場した仲西淳 a.k.a J-WALK(先シーズンまでbj/大阪エヴェッサでプレー)

がこんな趣旨のことを話していました。

仲西が語るように、日本のバスケットボールシーンには大きな壁が存在しているのです。
野球でいうプロ野球、サッカーでいうJリーグのようにそれぞれの競技にはトップリーグが存在します。
日本のバスケットボールにはトップリーグが2つ存在しているのです。


<JBL(8チーム)>2009-2010シーズン
レラカムイ北海道
リンク栃木ブレックス
日立サンロッカーズ
トヨタ自動車アルバルク
東芝ブレイブサンダース
三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ
アイシンシーホース
パナソニックトライアンズ


<bjリーグ(13チーム)>2009-2010シーズン
仙台89ERS

新潟アルビレックスBB

富山グラウジーズ

埼玉ブロンコス

東京アパッチ

浜松・東三河フェニックス

滋賀レイクスターズ

京都ハンナリーズ

大阪エヴェッサ

高松ファイブアローズ

ライジング福岡

大分ヒートデビルズ

琉球ゴールデンキングス


2004年、JBLに所属していたさいたまブロンコスと新潟アルビレックスが

JBL脱退、両チームは日本初のプロリーグとなるbjリーグの発足を発表しました。

そもそもプロ化は日本協会が提唱したものであり、「プロリーグ設立準備委員会」という

ものが発足していました。

しかし、2006年に日本で行われる世界選手権の時期をメドにプロ化へという話は

なかなか進まず、業を煮やしたさいたま、新潟が日本協会から離脱したのです。

現状では、日本協会を離脱したbjリーグから日本代表の選手が選ばれることはありません。

JBLとbjリーグのチームが試合をすることもできません。




Q太郎のスポーツ旅日記  ~Enjoy!SPORTS~-スラムダンク


この写真は2008年7月に行われた「スラムダンク2万本シュート」イベントの様子です。

(左から、五十嵐圭/JBL(日立(当時))、田中利佳/WJBL(JOMO)、仮エース/LEGEND、

寺下太基/bj(埼玉)、川村卓也/JBL(栃木)、御手洗貴暁/LEGEND(当時)、

城宝匡史/bj(東京)、安直樹/車椅子バスケ(イタリア・トレビゾ)、JUN/ストリート(TEAM-S)、

YOHEI/LEGEND)

こちらもLegendのイベントの中で行われたコンテンツの一つでした。

このイベントでこのメンバーが同じ舞台にいるということが、本当に夢のようで

一年経った今でも鮮明に覚えています。

Legendなら、いやストリートならバスケ界に存在する大きな壁を取り払ってくれるのかも

しれない・・・、そんなことを考えていました。

このイベント後、川村が自身のブログで次のような内容を綴っていました。

「(bjの選手と)bjのこと、JBLのことを話した。同じ日本のバスケの選手として考えることは同じ。

いつか同じ環境でバスケができるといい。」



このイベントから約5ヵ月後、Legendシーズン7のグランドチャンピオンシップのエンディングで

MC MAMUSHIが「次のシーズンは競技バスケのトップ選手も参戦するかもしれない。」と

発表しました。

残念ながら、それは叶いませんでした。

Legendが考えていた以上に難しいことだったのかもしれません。

でも、仲西が話したこと、川村が綴ったことは日本バスケ界でプレーする多くの選手が同じように

感じていることではないでしょうか?

Legendはシーズン8を最後にこれまでの形をぶっ壊すと宣言しました。

Legendは新しいステージに進みたいのだと・・・。

ストリートは自由な場所、誰に指図されるわけでもなく、自分がやりたいと思うからそこで

プレーするのです。

Legendが新しいステージに立てた時、日本のバスケ界も新しい一歩を踏み出せることが

できるかもしれない、そんなことをこのイベントから感じました。








「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」


プロ野球・楽天の野村監督がよくこの言葉を口にします。

負けるのには必ず理由がある。一方、勝った時でも負けに繋がってしまうような要素を含んでいる

時がある。という意味です。

第25回FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会で日本は10位という結果に終わりました。

2007年に徳島で行われた同大会は8位でした。

この時の最低記録を更に更新する結果となってしまいました。

当然、負けるべくして負けたという理由があったからです。



FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会(略称:ABC)の前哨戦としてウィリアム・ジョーンズカップ

という大会が7/18~7/26にチャイニーズ・タイペイで行われました。

アジアの9チームが参加、総当りで順位を決める大会です。

この大会で日本チームに数々のアクシデントが起きました。

食中毒の被害にあう選手が続出したのです。

竹内公輔、網野、竹田の3選手が食中毒に遭い、中盤戦以降の試合は出ることができませんでした。

それに加えて、けが人も続出しました。

桜井が試合中に腰から落下、柏木が足痛、石崎が試合中に骨折のため即帰国。

五十嵐も足の調子が思わしくなく、最終戦の対チャイニーズ・タイペイは5人のみで戦うという

異常事態になりました。


<対チャイニーズ・タイペイ戦 出場メンバー>

#4  岡田 優介 SG   10得点

#5  山田 大治 PF   18得点

#9  折茂 武彦 SG   21得点

#14 伊藤 俊亮 C    17得点

#15 金丸 晃輔 F    25得点


ご覧の通り、5人ということは交代メンバー無しです。

そして、PGが不在という中でゲームの組み立てをしなければならない状況でした。

結果、この試合は91対97で終わり負け。もはや、試合の勝敗よりも試合をこなすことで

精一杯だったという状況は否めません。

日本はジョーンズカップで1勝7敗の最下位に終わりました。

9日間で8試合という過酷なスケジュールの大会で日本の選手達に残されたものは、

疲労と不満、それだけだったような気がします。

金丸晃輔を除いては・・・。



金丸晃輔は明治大学の3年生、20歳の選手です。

7月にセルビアで行われたユニバーシアードでは平均得点29.8点というスコアで

堂々大会の得点王に輝きました。

その結果が認められ、ジョーンズカップでA代表初召集となりました。

どのスポーツにおいても、ナショナルチームには世代間バランスが絶対に必要だと

私は考えています。

ベテラン・中堅・若手の3世代が常に代表の中にいることで、世代交代がスムーズにはかれるからです。

金丸のように若い時から国際舞台を経験することが、この先の大会で活かされていくはずです。

しかし、彼がABCのメンバーに入ることはありませんでした。



石崎が骨折で代わりに急遽ABCに召集されたのは、PGの正中岳城(トヨタ自動車アルバルク)でした。

石崎のポジションPGの補充ということであれば、4月から合宿に参加していた田臥が

NBAの挑戦から戻ってきていたため、召集されるというのがベストの選択だったでしょう。

けれども、田臥は足の状態が悪いため、召集見送りとなりました。

PG正中の召集は致し方ないことだったかもしれません。

ただ、納得いかなかったのは結局ABC大会中に正中のエントリーが認められず、

1試合も出場することができなかったということです。

大会運営側に不手際があったのか、日本側に不手際があったのか、詳しい情報は

入ってきませんでしたが、ぼろぼろの状態の日本代表チームにとって一人の選手が

ベンチ入りできないというのはあまりにも大きすぎる痛手です。



代償を負ったのは、代表チームだけではありません。

クラブチームからしても、一人の選手が代表チームに召集されるということはかなりの負担です。

トヨタ自動車アルバルクには今季、PG 五十嵐が加入しました。

つまり、一つのチームからPGが二人も日本代表に選ばれているのです。

どのチームもシーズン開幕に向けて、チーム作りをしている中でゲームをコントロールする

役目のPGを2枚も失うというのはかなりの痛手です。

もちろん、日本代表に選ばれるということは選手にとっても、、クラブにとっても名誉なことです。

ただ、まさかエントリーすら許されない大会に選手を一人送り出すことになるとは

予想だにしなかったことでしょう。

大会は終了ましたが、日本バスケットボール協会がしっかり抗議し、問題を解決しなければ

また同じことが繰り返される予感がします。

クラブ側、選手側との信頼関係が築かれなければ、今後の代表選手の召集にも影響が

出てきてしまうのではという懸念があります。



代表にはコンディショニングの整った選手を召集するというのが鉄則です。

各国が一つの大会に照準を絞ってくるのに、けが人続出では試合になりません。

結果は始まる前から分かっていたのかもしれません。

監督の問題も含めて、日本バスケットボール協会が考えなかればならないことは

山積みです。

もう、負けが分かる試合は見たくないと思います。

不思議であったとしても勝ちという喜びを味わいたいものです。