2010.11.3 スポーツ振興プロジェクト 市民公開講座
「未来を育てよう、スポーツの力で。」
(主催:朝日新聞社、東京新聞<中日新聞東京本社>、独立行政法人
日本スポーツ振興センター)

今回は後半に行われたパネルディスカッションの模様の一部をお伝えします。

------------------------------------------------------------------


パネルディスカッション
「スポーツの持つ力の再発見」


◇パネリスト
北澤 豪氏(元サッカー日本代表選手)
谷本 歩実氏(アテネ五輪・北京五輪柔道金メダリスト)
清水 透氏(滑川ファミリースポーツクラブ〔茨城県日立市〕コーディネーター)
小野 清子氏(独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長)


◇コーディネーター
宮嶋 泰子氏(テレビ朝日アナウンサー)



<スポーツとの出会い>

(北澤)サッカークラブが地元の町田には多く、大会も多かった。環境が良かった。
(谷本)体格、性格を見て父親が柔道を勧めた。
(清水)小さい頃は野球をやっていた。11才の頃に習ったサッカーの指導者が
     ほめてくれる人だったため、サッカーを続けた。
(小野)学校体育の部活から体操を始めた。



<スポーツで得られたもの>
(谷本)生き方を教育する力を学ぶことができた。
     (講道館の創始者であり、柔道の父といわれる)嘉納治五郎が何を伝えたかったかを
     考えた。今はスポーツとしての柔道と武士道としての柔道の配合を考えている。



<日本の競技力について>
(清水)企業のチームは地域の資源であり有効に利用するべきだ。
    2002年にVリーグの日立国分トレメンタが廃部になってしまったが、
    中学校の部活動を支援するなどの活動を行っていた。
    選手を学校に派遣し、指導を行う。
    また、地域でそのチームのホームゲームをサポートするなどして、
    企業におけるチームの存続を支援した。
    企業側からも地域と選手が関わることで選手の社会性が身につくと
    いうメリットがあった。


(小野)toto(スポーツ振興くじ)の収益が各方面の助成金として使用されている。
    優秀な選手の発掘や育成強化、総合型地域スポーツクラブ(※)の活動助成、
    国際競技大会の助成などへ振り分けられている。
     
    (※)総合型地域スポーツクラブ・・・1995年より文部科学省が実施するスポーツ振興施策の
       一つ。幅広い世代の人々が競技レベルに合わせて様々なスポーツを行う機会を提供する
       地域密着型のクラブ。2010年7月時点で全国に創設準備中のものも含め3114のクラブが
       存在する。



<今後のスポーツ界に求められていること>
(北澤)〔スポーツ普及について〕国民みんなで作っていくという意識改革が必要。
    知らないことを理解したり、ある程度の環境が必要だ。一つのロールモデルを
    作っていくことが大事だ。


(清水)〔スポーツ環境の整備について〕総合型地域スポーツクラブは地域住民の総意が必要だ。
    総合型地域スポーツクラブの特徴は柔軟性、多様性、公共性である。その特徴を
    活かしていきたい。



<あなたにとってスポーツを活用して実現する理想の社会とは?>
(谷本)レールある社会。絆、生きる、導きなどすべてを繋げる存在がスポーツである。
(北澤)平和な社会。
(清水)健康で住みよい街づくり。
(小野)健康安心社会。
(宮嶋)笑顔で人と人が握手できる社会。


-------------------------------------------------------------------------------

 幼少の頃、何かしらのスポーツを始めた人は多いと思う。きっと、そこにスポーツをする環境が
あったからだろう。人々にとってスポーツは、スポーツをする楽しさから始まり、
やがてスポーツを通じての教育や生きる活力となっていく。
  
 では、日本という国はスポーツにどんな役割を求めていくのか?
2010年8月、文部科学省が発表した「スポーツ立国戦略」では、日本のスポーツが目指す姿として
「新たなスポーツ文化の確立」というテーマを掲げている。
それを実現するための基本的な考え方として、


 1.人(する人、観る人、支える(育てる)人)の重視
 2.連携・協働の推進


がある。また、この考えをもとにした5つの重点戦略が、


 ①ライフステージに応じたスポーツ機会の創造
 ②世界で競い合うトップアスリートの育成・強化
 ③スポーツ界の連携・協働による「好循環」の創出
 ④スポーツ界における透明性や公平、公正性の向上
 ⑤社会全体でスポーツを支える基盤の整備


とされている。


 ビジョンは間違っていない。あとはこの戦略をいかに国民一体となって行っていくかだ。
日本はスポーツに対し、一体となるのが苦手である。W杯、オリンピック招致に失敗した
要因の一つとして、国のバックアップの弱さと熱意が伝わらなかったことがあげられる。
国として国民にこのビジョンをどう伝えていくか?どう実行していくか?
このパネルディスカッションの中で再三に渡り「総合型地域スポーツクラブ」という言葉が
取り上げられた。総合型地域スポーツクラブの知名度アップと基盤の強化が、
新たなスポーツ文化の確立の鍵を握っているのではないだろうか。



2010.11.3 スポーツ振興プロジェクト 市民公開講座
「未来を育てよう、スポーツの力で。」に参加してきました。
(主催:朝日新聞社、東京新聞<中日新聞東京本社>、独立行政法人
日本スポーツ振興センター)
岡田武史氏の基調講演「日本をスポーツの国にするために」の話より、
「ゾーン」についての話がありましたので紹介したいと思います。

------------------------------------------------------------

 「ゾーンに入る」という言葉がある。
「ゾーン」とは適度な緊張感で精神が集中し、自然に体が動き、最高の実力を

発揮できる状態を言う。
サッカー南アフリカW杯日本代表チームは初戦のカメルーン戦後、

チームは「ゾーン」に入ったと岡田は話す。
一体、日本代表チームはどのように「ゾーン」に入っていったのか?



 1月に入っても主軸の調子が上がらない。
岡田は、「もし、このまま主軸の調子が上がらなかったら・・・」という
最悪のケースを考えて、この頃から対策を考えていた。
一体、なぜ調子が上がらないのか?
闘莉王は岡田に「W杯のプレッシャーが半端じゃないです」と話した。
中心となるべく選手の多くがW杯のプレッシャーを感じていた。



 2010.5.24に行われた日韓戦、0-2で惨敗した。ここでも主軸の調子は戻らなかった。
2010.6.4のコートジボワール戦も0-2で惨敗。メディアからの批判も大きくなった。
岡田はコートジボワール戦後、夜中の3時半に目が覚めた。
「中盤を5人で固める」というアイデアが思い浮かんだ。
すぐにコーチを呼び出し、シミュレーションをした。
2010.6.10、ジンバブエ戦で中盤5人の布陣で臨み、結果は0-0。
しかし、岡田は「思い通り」のゲームができたと確かな手ごたえを掴んでいた。



 2010.6.14、W杯初戦のカメルーン戦でも迷わず本田の1トップ、
中盤5人という布陣で戦った。
周りからは「奇策」とも言われる急激なチームの変化だったように思われる。
しかし、岡田は何も突然チームが変わったわけではなく、自然にそうなったと言う。
久々の会心の勝利だった。1-0というスコア以上の手ごたえをチーム全員が感じていたのだ。
カメルーン戦後のミーティングでチーム全員の目が変わったという。
うなずくことはしなくとも、全員の目がまっすぐ同じ方向を向いていると岡田は強く感じた。
この時、チームが「ゾーン」に入ったと岡田は確信した。



 決勝トーナメントのパラグアイ戦は惜しくもPKで敗れた。
岡田は「このチームでもう1試合だけやらせてあげたかった」と話す。
以前、岡田は「一体、なんで監督なんていう割の合わない仕事をしているんだろう?」
と考えたことがあると言う。
しかし、その答えはやりながら分かっていた。
一緒に戦う選手、スタッフ、そして家族の笑顔が見たいからだ。
南アフリカから戻るまでは、正直サポーターのために・・・という考えまでには及ばなかった。
だが、関西国際空港に降り立った瞬間、その考えは変わった。
約4300人のサポーターが日本代表を出迎えていた。
岡田の目に映ったのは、若い世代のサポーターのきらきらと輝く目だった。
豊かな国であるにも関わらず、自殺や引きこもりといった現実が若い世代に
のしかかっている。
サッカーやスポーツは若い世代に希望を与えることができると改めて感じる
ことができたのだ。



 岡田は選手と一緒に食事に行くことなど滅多にしないが、W杯後、長谷部がドイツに
渡るのでその前に一度食事をした。
長谷部は岡田に「こういうチームが作りたかったんですか?」と訊ねた。
岡田は「そうだ。こういうチームが作りたかった。でも、偶然だった」と返した。
このチームはコミュニケーションが抜群だったと岡田は振り返る。
ただ、そういうシステムを意図的に作ったわけではない。
本気で全員がベスト4を目指すと決めていたら、自然とコミュニケーションをはかるようになる。
誰かが体調を落として食事を食べていなかったら栄養士は当然コーチ陣に報告をする。
疲れがたまっている選手がいたら当然トレーナーはコーチ陣に報告をする。
また、岡田が称賛したのは控え組の態度だった。
楢崎、中村俊はこの大会に懸けていた。
楢崎は北京五輪を辞退してW杯に備えた。中村俊は移籍を決意した。
大会直前にスタメンを外された二人だが、チームのために何をすべきか分かっていた。
部屋に引きこもることなく、みんなの輪に入って明るく振る舞った。
誰もがベスト4を目指していたら、何をするべきか、自然と体は動く。



 「ゾーン」は入りたくてもなかなか入ることができない。
すべての条件がぴったり当てはまった時、偶然に無意識のうちに
「ゾーン」がやってくる。
勝負の神は細部に宿る。大事なことはベストを尽くす準備をしておくことだ。


-----------------------------------------------------------------

 時にユーモアを交えながら話す岡田氏。あらゆる方面において知識が豊富な岡田氏の講演は
あっという間でした。
 次回は北沢豪氏、谷本歩実氏、清水透氏、小野清子氏が参加したパネルディスカッション
「スポーツの持つ力の再発見」の内容を紹介したいと思います。





 「解散」
 
 2010年11月2日、プロストリートボールリーグLegendがHP上で衝撃の発表を行った。
日本初、日本発のプロストリートボールリーグはあっさりと終焉を迎えてしまった。



 Legendは今から5年前に開幕した。3on3のハーフコートで試合を行う。
その日限定のチームを作り、個人ランキングでチャンピオンを争う。
ある時は歌舞伎町のど真ん中に、ある時はショッピングモールに
Legendの特設コートが立てられ試合が開催された。
ネットや口コミで人気が広がり、全国ZEPPツアーを開催するにまで至った。



 選手のキャリアは様々だった。
中・高・大と全国制覇をしたエリート選手、一度も部活動でのバスケを経験したことの無い選手、
強豪といわれる大学でずっと補欠だった選手、サラリーマンの選手、寺の坊さん・・・。


 選手のプレースタイルも様々だった。
小さくても卓越したドリブルスキルのある選手、ダンクをひたすら狙う選手、
泥臭いディフェンスをする選手、得点を取りまくる選手、1on1馬鹿・・・。
個性あふれるキャラクターを持つ選手がいること、それがLegendの魅力の一つだった。


 Legendに欠かせない存在がMCとDJだ。
MC MAMUSHIが選手とファンを煽り、DJ MIKOが試合の流れにマッチした選曲をする。
選手の入れ替わりはあっても、MCとDJが変わることは無かった。



 なぜ、Legendは解散という結論を出すことになってしまったのか?
SEASON8が終わった時点で、Legendは新しく生まれ変わると宣言した。
新生Legendは競技、ストリート、リーグの垣根を越えた空間を目指した。
それまで屋外を中心に活動してきたLegendだが、新生Legendは屋内のライブハウス
限定で月1回の開催となった。通称「ハコ」と言われるイベントである。
新生Legendにはトップリーグの選手も参加した。JBL、bjリーグから選手が参加することで
バスケ界に重くそびえ立つリーグの壁を取り壊そうとした。
しかし、本来Legendが持っていた自由さ、エンターテイメント性が「ハコ」と呼ばれる
独特の空間では薄れてしまうという反面もあった。


 
 2010.10.24「エピローグイベント」と銘打たれた越谷でのLegendは久々の屋外での
イベントとなった。原点回帰のLegendだが、その後の予定は未定と前もって発表されていた。
この屋外でのイベントを通じて、Legendが感じたことは「美しい思想や気高い使命の前に
ただひたすらにバスケを楽しみたい」という気持ちだったという。
納得の上の「解散」ではない。
「本当にこれでよかったのか?もっと話をするべきだったのでは」
「新しいものを創るには、一度古いものを壊さなければいけない」
「継続していくべきなのでは」
ボーラーそれぞれに感情、意見があった。



 日本のストリートボールを引っ張っていったLegendが果たした役割は大きい。
Legendを経て、再び競技バスケのトップリーグへの挑戦をする選手が現れた。
学生時代に挫折を経験した選手がLegendの舞台で大きく飛躍した。
バスケットを知らない層を独特のエンターテイメント性でファンへと取り込んだ。
Legendの解散で改めて、「ストリートボールとは?」という質問を突きつけられた。
ただ純粋にバスケを楽しむことができる場所?
限りなく自由な場所?
高いレベルの競技バスケへと飛躍するための第一歩?



 日本のバスケットボール界は「ストリート」という自由であるはずの場所に、
あまりにも重過ぎる使命を背負わせてしまったのかもしれない。
Legendで流れるミュージックは競技バスケの会場においても定番のミュージックとなった。
ネットと口コミだけで観客を増やし続けてきたLegendの存在はある意味でバスケット界の
パイオニアであった。
Legendは「解散」であって「消滅」ではない。
きっと、Legendはまた戻ってくるだろう。
何事も無かったかのように、街のど真ん中にHOOPを立てて・・・。