皆さんこんにちは
今週も始まりましたね。
日本のあちこちで桜が咲き、春がやっと訪れてくれました
冬の寒さに震えていた身体が春の暖かさで緩み、動きが活発になっていきます。
昨日も、奥さんと愛犬の三人で思わず家の周りを散歩してしまいました
春の陽気にうきうきしていると、
私の座骨神経痛も、「春の暖かさで良くなってくれると嬉しいなぁ」と思ってしまいます
さて、そんな事を考えながら迎えた月曜日は「雑多なブログ」をお届けします。
今日も元気に楽しく書かせて頂きますので、今週もどうぞよろしくお願いしますね。
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我が家の前には、市民が安心して散歩が出来る緑道があります
この緑道沿いに私が家を建てたのが今から33年前。
緑道も同じ時期に整備されましたので、我が家と緑道は同い歳ということになるんですよ
緑道には、季節ごとに花が咲く木々がたくさん植えられていて、
散歩しているだけで”日本の四季”を楽しむことが出来るんです。
そんな木々の中には、多くの桜が植えられ春になると綺麗な花を咲かせてくれています。
桜の品種も”ソメイヨシノ”だけではなく、早咲きの”河津桜”だったり、イギリス原産の”おかめざくら”等もあったりします。
また、名前はわからないのですが、ピンクが鮮やかな遅咲きの桜などもあって、私たちを楽しませてくれているんです。
そんな春を感じさせてくれる桜ですが、我が家の前にはソメイヨシノが鎮座しております
この桜は、我が家・緑道が出来た時に植えられた桜ですので、今では他のどの桜よりも大きく
立派な姿となっていて、花が咲くと撮影スポットになるほど堂々とした素敵な桜なんです。
玄関を開けると真っ正面にこの桜はあります
真っ正面にあるせいか、自分で植えたわけではないのに・・・我が家の桜のようで、
今では愛おしい桜となってしまいました。
ご近所さんからも「良いですね。桜がいつでも見れて」なんて事を言われてしまいます。
確かに、1回の部屋からでも2回の部屋からでも、いつでも桜を見ることが出来ますし、満開の時期などは、家の中から家族で花見も出来てしまうんです。
実際、会社勤めの時などは友人達がお酒を持ち込み、窓全開で花見を家の中でしたことがありましたしね
ただ、会社を辞め、子供達が独り立ちしてしまうと、縁側で一人桜を見ることしかなくなってしまいましたが・・・
とは言え、それでも、毎年桜が咲いてくれると、朝も昼も、そして夜も桜の側に行き、
「毎年花を咲かせてくれてありがとう」なんて事を呟いてしまう”怪しい親父”なのです
ところで・・・
桜は日本人にとって特別な存在ですよね。
昔から桜の成長や様子にちなんだ言葉が数多く生まれてきましたしね。
例えば、初桜、桜の便り、朝桜、桜雲、花明かり、若桜、花霞などなど。
それに、散りゆく姿もまた”潔さ”の象徴となって、日本人らしさとして表現されています。
でも、「花」と言えば現代では”桜”を指しますが、昔は”梅”だったって知っていましたか?
奈良時代に作られた万葉集では「花」と歌われていたのが”梅”だったようですね。
ただ、時代が進み、平安時代に作られた古今集では、「花」と言えば”桜”になっていたようなので、時代の推移により「花」も移り変わっていったことになります。
そこで、やっぱり・・・その理由が知りたくなってしまいましたので、
「何故、梅から桜になったのか?」を調べてみることにしました
調べてみて理解出来たのが・・・
特権階級が愛でた”梅”と一般庶民に愛でられた”桜”という構図が見えてきたんです。
”梅”は、中国から運ばれた植物で、所謂、外来種。
かぐわしい香りとともに春を告げる異国の花に貴族の人たちは夢中になり、
奈良時代では”梅”を題材にした多くの春の歌が詠まれました。
一方で庶民は、特権階級の庭先から香る梅のにおいに憧れを持ちつつも、
農耕活動の合間に桜の花を愛でながらご飯を食べたり、お茶を飲んだりすることが習慣だったようで、桜が身近な「春の花」だったようです。
また、”花しずめ”という疾病よけの春祭りと桜の花見が結びつくなどして、一般庶民の間では、「春の花は桜」という感覚が日常の中に根付くことになりました。
平安時代になると、身分の上下に関係なく”桜の花を愛でる習慣”が定着していったようで、
貴族の庭にも、梅ではなく桜が植えられたとか・・・
ということで、「やっぱり日本の花は外来種じゃだめだよね」と平安時代の日本人が気づき、
花と言えば”桜”となったらしいです
さて・・・
桜を見ていると、「日本人に生まれて良かった」と感じてしまう自分がいます。
「それは何故?」と言われてもよくわかりません
わからないので、「私の中の細胞の一つ一つに桜が埋め込まれている」としか言えないんです。
論理的な答えでも何でも無く申し訳ないのですが、
これが日本に生まれた日本人たるアイデンティティー【identity】ということにして頂けると助かります
「花と言えば”梅”から”桜”へ」と古代の日本人が思ったことを感じつつ、
今日も我が家の前の桜を愛でている親父なのです。
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今日のお話はこれでおしまいです。
そう言えば・・・
万葉集の”梅の花の宴”で作られた32首の和歌の前に付けられた序文から選ばれたのが、
今の元号”令和”でしたよね。
それはそれで高貴な方々の歌の序文なので素晴らしい言葉ではあると思うのですが、
次の元号は古今和歌集辺りから探されると庶民的でよろしいのではないかと・・・
もし、愛子様が天皇になられたら”桜が似合う天皇”になられると思うのですが
なんて・・・
庶民の意見なんて関係ないですかね
それでは、また
元ディズニー親父の松本でした。