皆さんこんにちは
今日は、一ヶ月前から右足が痺れるために朝から整形外科に行ってきました
朝9時に病院に入り、検査と診察で終わったのが12時半。
久しぶりの病院だというのに、3時間半もいることになってしまったんです
ホントに疲れました
でも、初めてMRIに入る体験をしたことは少しワクワク楽しい気持ちになりましたけどね
診断結果は、若干、骨と神経の間が狭い箇所があるものの、それは年齢から来るものとの事。
と言うことで結果は悪いところなし。
しびれは血流の悪さから来るものと言われました。
きっと、毎日ゴルフの練習をしてきたことがこの冬の寒さで血流を悪くしたのかもしれません。
病院で血流を正常化するお薬が出されましたので、しっかりと飲んで養生したいと思います。
そんな病院で疲れた今日のテーマは「孫のお話し」です。
血流の悪さを吹き飛ばすくらい、今日も楽しく書かせて頂きますので、
どうぞ、よろしくお願いしますね
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先週、初孫のイブキが保育園を卒業しました
2年保育で入園したイブキも晴れて卒園式を迎える事が出来ました
本当は、私も卒園式に出たかったのですが、両親だけの参加と保育園側からの通達があり、
渋々あきらめて式が終わるのを待つことにしたんです
でも・・・
最初は、家で大人しくテレビを見ながら待っていたのですが、そのうちそわそわし出し、
「まだ終わらないのかなぁ」と奥さんに言っては、家の中をウロウロし始めてしまいました。
その姿を見た奥さんが、「ウロウロされても邪魔だから保育園に視てきたら」と言われる始末。
「何だよ!」と言いつつ、「じゃ行ってくる」と保育園まで見に行ってしまったんです
約5分程度で到着すると、保育園の中で両親と子供達が起立しています。
何か歌っているように見えました。
「何歌っているのかな?」と耳をこらしていると”君が代”が聞こえてきたんです
「ホォー、保育園でも歌うんだ”君が代”」と思いつつ、保育園の外で一人口ずさんでいると、
会場の中にいた先生方と目が合ってしまいました
先生方は笑ってくれていましたが、ばつが悪くなり、そそくさと家に戻ることにしたんです
ところで・・・
君が代は、今では保育園でも歌うんですね。
一時、君が代を歌うことを拒否した教師がいたなんて事がニュースになっていましたよね。
では、いつから歌うようになったのか、今日はそこら辺の事を調べてみようかと思います。
日の丸・君が代がそれぞれ国旗・国歌として定められたのは1999年。
その名も、「国歌国旗法」。
意外と最近なんですね。
政府は「強制はしない」との説明を当時から繰り返してきましたが、文科省は、国旗掲揚、君が代起立斉唱を徹底するよう、学校現場への指導を行ってきたということで、都道府県別の実施状況調査では、ほぼ100%実施という状況だそうです。
また、大阪や東京は条例でこの国旗国歌法を定めているようですよ。
大阪では、3回違反した場合は免職、東京では、回数の定めなく違反した場合、停職、減給、戒告の処分が言い渡された事例があるそうです。
因みに、違反した教師が違反の理由を確認したところ、
「君が代がアジア侵略で果たしてきた役割などの正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想・良心の自由を保障する措置をとらないまま君が代を歌わせるという人権侵害には加担できない」という理由だったとか。
んん。。。理由としては解らなくもないですけど、
それを言ってしまうと各国の国家って日本より過激な内容が多い気がするんですですけどね
それに、彼の戦争は、
確かに辛く、悲惨だったと思いますし、2度と起こらないで欲しいと願っていますが、
本来の”君が代”の意味を調べてみると・・・
「天皇を中心に国民が共に永遠に平和で幸せな暮らしが続きますように」という平安時代に創られた祝賀なのですから、その意味をかみしめて日本で暮らしていきたいと私は思っていますよ。
ですから、私は、”日の丸”も”君が代”も日本的な美しさが醸し出されていて好きですけどね。
勿論”旭日旗”も
さて・・・
美しい子供達の声による”君が代”が聞けて一時満足し、家で待機していると、長男から式が終わったとの連絡が入りました。
いそいそと保育園に駆けつけると、既に子供と先生、子供と両親の撮影会が園庭のあちこちで行われていました
映されている子供達の顔は晴れやかに、子供と一緒に映されている両親の目は真っ赤になりながら、一生の思い出を撮っていました。
私も「折角来たのだからイブキと一緒に撮りたい」と長男に無言でガンを飛ばしながら訴えていると「じゃ、みんなで撮ろう」と長男が言ってくれたは、ラッキーでしたね
「眼力が届いたかな?」と思いながら、一生の思い出の一枚に収まることが出来きたんです
式が終わった後は、ホテルで懇親会を行うとのことでした。
先生も同席するとのことでしたので、昔風に言うと謝恩会?が開催されたようです。
さすがに、「懇親会に行きたい」とは言いませんでしたが、
イブキのママを含め、幹事になられた保護者の皆さんが一生懸命動いていらっしゃいました。
目の赤みが取れぬまま、懇親会の準備と運営にと保護者の皆さんも大変な1日でしたね
さぁ、イブキよ!!
保育園も卒業したと言うことは、4月から小学生だね。
これからは、お勉強することがたくさん出てくるぞ!
足し算、かけ算、九九、ひらがな、カタカナ、漢字、英語などなど。
もし、ついて行けないことが起きてもあきらめるなよ。
小学校のお勉強は、あらゆる学問の基本だから、時間をかけても良いから覚えるんだぞ。
それが将来、絶対役立つからな・・・頑張っていこうぜ!!
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今日のお話はこれでおしまいです。
そういえば、国歌や国旗っていつ頃から国内において一般化したんでしょう。
私の子供の時代は、今日書かせて頂いた、君が代を起立し歌わない教師の方の理由が色濃く残る時代で、積極的に歌う雰囲気がなかったとように記憶しています。
「戦争を思い出す」とか「天皇崇拝だぁ!」とかなんとかで
でも、サッカーがワールドカップに初出場した1998年辺りから、その暗い雲が晴れていったように感じるのは私だけでしょうか?
そして、その雲間から光りが差して翌年1999年”国家国旗法”が成立したというのも何か因縁めいていて不思議な感じがします
それでは、また
元ディズニー親父の松本でした。