皆さんこんにちは
昨日お伝えした我家の正面の桜🌸。
今日は、青空をバックに綺麗な薄紅色が映え渡っています。
そのせいなのか・・・
幼い子供を散歩させている親子や、ご年配の女性の方達、中国語や韓国語で会話をしている海外の方等、たくさんの方が桜をバックに写真を撮られていました📷
そんな姿を見ると、「我家の前の桜🌸は、やっぱり見栄えが良いんだなぁ」と
自分の家の桜🌸でもないのに誇らしくなってしまいます
そんなのどかな春の季節を感じる水曜日のテーマは「東京ディズニーリゾートで体験した事」
今日ものんびりと昔を思い出しながら書いていきますので、最後までお付き合い下さいね。
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東京ディズニーリゾートも来月の15日になると40周年ですね
私自身は、今から7年前に会社を辞めてしまいましたので、
30周年までしか携わらなかったのですが、やっぱり周年行事と聞くと、
その年度しか味わえないたくさんの思い出深い仕事をした記憶が蘇ります。
それぞれの周年行事とは、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーにとって区切りとなる
行事であると同時に、そこで働く私たちにとっても、1つの区切りであり次へ向かう力を確認
することが出来た年でもありました。
例えば・・・1周年。
何もかもが手探りの状態でオープンに漕ぎ着き、アメリカのキャストのサポートを受けながら、ディズニースタイルを兎に角”真似て”無我夢中で走りながら迎えた1周年。
その1周年は・・・
「やっと1年運営することが出来た!」という達成感と同時に、
「さぁ、これからが本番だぞ!」と確認した年でもありましたっけ
例えば・・・10周年。
「日本に新しい娯楽文化を根付かせるんだ!」と当時の社長の高橋さんの言葉に勇気をもらい、
無我夢中で走りきった10周年。
日本国内において”家族で楽しむ場所”という認知がされ始めた東京ディズニーランドでした
でも、その反面、
学校現場において”家族で楽しむ場所であって学校行事で活用する学びの場所では無い”と
誤解をされ、学校での利用が少なくなっていった年でもありました
例えば・・・20周年。
東京ディズニーランドに加え、東京ディズニーシーという新しいテーマパークが完成し、
”東京ディズニーリゾート”として迎えた初めての周年行事となりました。
この周年は、個人的な思い出として、
パーク部門である店舗キャストや教育セクションから周年行事を活用しながら集客に結びつける営業部隊の一員となっていた時期でもありました。
その為、パークを離れ地方へ出向く機会が多く「出張が多い年だった」と記憶しています
そして例えば・・・30周年。
私自身も50歳を過ぎ、1つの部門を任される年齢となっていました。
東京ディズニーリゾートも国内だけではなく、海外からも認知をされるようになっていました。
20周年辺りでは「東京ディズニーシーより東京ディズニーランドの方が好き」というゲストが多かったのですが、30周年になる頃になると「東京ディズニーシーの方が好き」というゲストも増え、2パークを楽しめるチケットなども販売しておりました
それぞれの周年には、それぞれの思い出深い記憶があります。
そして・・・
ゲストとして訪れた皆さんの心の中にも多くの記憶が仕舞われているのではないでしょうか?
今では日本人の誰もが知っている東京ディズニーリゾート。
来月には40周年を迎えます。
「是非、時間を作ってお祝いに行ってくれると嬉しいなぁ」と思う、
もう辞めてはしまっていますが😆・・開園前から働いていた元ディズニー親父なのです。
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今日のお話はこれでおしまいです。
そういえば・・・元学校担当として次のウォルトディズニーの言葉を書き添えておきますね。
「積極的に未知の世界をたずね自発的に学ぶことの楽しさを若い世代に伝える」
これは、ウォルトがアメリカのディズニーランドを造った時に語った言葉なんです。
もう70年近く前の言葉ではあるのですが、周年の事を書いていて思い出してしまいました。
勿論、この考えは東京ディズニーリゾートにも生きているんですよ。
まだ、”学校では東京ディズニーリゾートを使わない”と考えているとしたら”モッタイナイ”と
今でも私は思っちゃいます。
折角、そんな施設が日本にあるのにってね
では、また
元ディズニー親父の松本でした。